すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.地の塩、世の光

・古代から食用の塩と夜間の照明は、人の暮らしに欠かせぬ貴重なものであった。イエスはその塩と光をたとえとして弟子たちを教えた。しかし、現代人は塩と光を貴重なものと認識していても、容易く得られることから、教えを聞く気持ちにずれを生じ易い。イエスがこの教えを述べた当時の塩と光の価値に、思いをはせてみたい。
・死海に結晶した塩はあっても、濃度が高過ぎ二ガリが強く、塩味は全然ないので、古代から今日まで食用に供されたことはない。ロ−マの兵士の給与が塩で支払われ、ラテン語サラリウムの語源になったくらいだから、当然当時の塩は高価であった。蜜蝋の蝋燭はすでにあったが、蜂が体内で生成するわずかな蝋が原料だったので、これもまた高価であった。庶民の明かりはせいぜい魚油のランプくらいで、それさえ、マッチは無かったから、一度火を消すと、次ぎに火を点けるのは容易ではなかった。そのような時代背景のもとイエスは塩と光の教えを述べられたのであった。
−マタイ5:13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
・地は人の住む世界である。その人の世界の「塩であれ」とイエスは教えた。健康のための減塩が常識の今日であっても、適量の塩分は人命維持のためには絶対必要であり、また塩は食べ物に味をつけ、腐敗を防ぐためにも欠かせない、人にとっての必需品である。その塩のように、あなたがたは人々に必要で欠かせない存在であれとイエスは教えたのである。言い変えれば、それはまさに、イエスの教えをそのままに生きよとおいことである。パレスチナの岩塩は風化と湿気で分解し、塩気の無くなった不純物となり塩に混じっていた。その不純物は肥料にもならないので、道に捨てられ道行く人々に踏まれた。人が地の塩になるにはどうすれば良いのか。その一端をパウロはこう教えている。
−コロサイ4:5「いつも塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきか分かるでしょう。」
・パレスチナではマラリアが発生したので、蚊が発生する湿った低地を避けて、町は高い土地に建設されることが多かった。高地の町は何処からも見え、何処からもよく見える。そのようにあなたがたも、世の多くの人々から見られ、隠れることはできないのである。古代の家に窓ガラスがあるはずはなく、小さな窓からの、明かりだけの室内は暗く、昼間からランプが必要だった。そしてランプを升の上に置き、高くかかげることは、明かりを部屋全体に行き渡らせる有効な手段であった。
−マタイ5:14−16「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中すべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前で輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
・キリスト者がたとえ立派な行いをしたとしても、決して自分自身を誇るための行ないでであってはならないのである。むしろ良い行いができたことを、信仰により神の栄光にあずかれた幸いであったと感謝し、自分を誇らず、すべての栄光を神に帰すのである。
−汽灰螢鵐10:31「だから、あなたがたは、食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」

2.地の塩、世の光として生きたマザ−・テレサ

・マザ−・テレサは1910年マケド二アのスコピエで生まれた。本名はアグネス・ゴンジヤ・ボヤジュで、「マザ−」は修道女の指導者への敬称で、「テレサ」は修道名である。1929年から1947年まで、彼女はインドのカルカッタの聖マリア学院で地理を教えていた。1944年には校長に任命され、上流階級の子女の教育にあたっていた。その彼女の目に映り気がかりになっていたのは、カルカッタの貧しい人々の哀れな姿だった。ある日、彼女は「すべてを捨て、最も貧しい人々のために働くように」との啓示を受け、スラム街へ入り、貧しい人々仕える決心をする。
・1948年、ようやくロ−マ教皇から、修道院外での居住許可を得たテレサは、カルカッタのスラム街に入り働き始める。彼女はインド女性の着る、租末なサリ−を身にまとい、まず始めたのは学校に行けないホ−ムレスの子供たちへの街頭授業だった。1950年、テレサは教皇から新しい修道会設立の許可を得、それが「愛の宣教会」の始まりとなった。会の目的は「飢えた人、裸の人、家の無い人、体の不自由な人、病気の人、必要とされない人、愛されない人、誰からも世話されない人」たちの援助をすることであった。テレサはインド政府の協力でヒンズ−教の廃寺院を譲り受け、ホスピス「死を待つ人々の家」を開設した。
・テレサの活動初期は、地元住民からキリスト教への改宗を迫られるかと疑われたが、テレサはケアする相手の宗教を尊重する態度を貫き、死亡の場合も、死者の宗教の葬儀で葬った。ケアする相手の状態や、宗派を問わないテレサの活動は、次第に世界中の関心を集め、多くの援助が集まるようになり、1960年頃には「神の愛の宣教師会」の活動はインド中に広まり、1965年以降は、教皇の許可で活動は世界規模となった。さらにテレサの活動はカトリック教会自体にも刺激を与え、1963年から1969年までに「神の愛の宣教者修道士会」「神の愛の宣教者信徒会」が設立された。
・テレサは世界的に大きな12の賞を受けている。1979年、ノ−ベル平和賞受賞式に出席したテレサは、正装とはほど遠い、白い木綿のサリ−と皮のサンダルの普段着姿であった。賞金19万2000ドルはテレサの希望で、カルカッタの貧しい人々のために使われることになり、祝賀晩餐会も「私のためなら晩餐会は不要ですから、その費用はどうか貧しい人たちのお使いください。」と言い辞退した。1993年、テレサはイスラエルとパレスチナの高官にかけあい、戦闘を一時中止させ、戦火の中で身動きとれない、べイル−ト市内の入院患者を救出した。
・テレサは数々の名言を残している。以下はその一部である。この世界で、地の塩、世の光であろうとすることは容易くはない。おそらく、テレサ自身これらの言葉で、他だけではなく、自らをも励ましていたのであろう。
−「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。」
−「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。」
−「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなくやり遂げなさい。」
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