すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ガリラヤで伝道を始める

・イエスが宣教の初めに向かったのは、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムであった。当時のカファルナウムは、ロ−マ帝国の重要な軍事拠点で、百人隊が常駐していた。後にイエスに部下の病を癒してもらった百人隊長も、ここに駐屯していた。(マタイ8:5−13)。会堂(シナゴ−グ)は、捕囚後、イスラエル全土に普及し、ユダヤ人の礼拝と宗教教育の場となった。イエスが宣教した頃のシナゴ−グの廃墟は、今も現地に残存している。シナゴ−グ時代の礼拝形式や神学思想は、キリスト教に影響を与えた。
・イエスが荒野の試みを受けていた頃、バプテスマのヨハネはヘロデに捕えられた。それを伝え聞いたイエスは、自らが宣教の第一線に立つべき時が来たことを悟った。ヨハネを捕えたヘロデは、ヘロデ大王の長子ヘロデ・アンティパスだった。彼は自分の妻を離縁し、弟の妻ヘロディアを奪い妻にしていた。それが姦淫の罪であると、公の場でヨハネに非難されたので、口を封じるためヨハネを捕え,マケルス城内の土牢に幽閉していた。イエスの宣教は、都エルサレムからではなく、辺境の地ガリラヤから始められた。イエスは「悔い改めよ、天の国は近付いた」と宣言された。
−マタイ4:12−17「イエスはヨハネが捕えられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある町、カフアルナウムに来て住まわれた。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に者に光が射し込んだ。』そのときから、イエスは『悔い改めよ、天の国は近付いた』と言って宣べ伝え始められた、」
・ガリラヤは、イスラエル人がエジプトから、帰還したとき、すでにゼブルン族やナフタリ族が住んでいたので、ゼブルンの地、ナフタリの地と呼ばれた。ダマスコを起点にした街道はガリラヤ湖沿いに延びて、遠くアフリカまで達していた、北辺の地ガリラヤは、紀元前8世紀アッシリアに侵略され、原住民のほとんどは捕虜として連れ去られ、後に外国人が住みついた。ガリラヤは北辺に位置していたので、北方から外国人が流入しやすく、混住が起こり、しだいにガリラヤは異邦人のガリラヤと呼ばれるようになった。そのガリラヤの地で、イエスの宣教が始まり、救いの光が射し込んだ。預言が成就したのである。
-イザヤ8:23「先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」

2.四人の漁師を弟子にし、宣教が始まる

・ガリラヤ湖はガリラヤの中央にあり、南北に21キロ、東西に13キロと湖としては、小ぶりである。湖面は海抜マイナス207メートルと低く、温和な気候に恵まれていた。イエスは湖沿いを歩きながら、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの四人の漁夫を弟子にした。彼らはイエスの最初の弟子であった。彼らは教養のない貧しい漁夫であったが、人として、一番大切で高価な自分自身をイエスに捧げた。「網を捨てて従う」は、この漁夫たちの献身から、献身の決意を表す言葉となった。
−マタイ4:18−22「イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ぺトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐ網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、船と父親を残してイエスに従った。」
・イエスはガリラヤ中の会堂を回り教えられた。当時会堂(シナゴ−グ)は民衆の信仰生活の中心であった。神殿は犠牲を捧げ祈るところで、教育も説教も行われなかったが、会堂はその地域内のユダヤ人が歩いて通える位置にあり、宗教教育と説教の場であった。会堂での集会は、最初に礼拝、次ぎは律法と預言の書の朗読、そして説教の三部構成であった。どの会堂も会堂付きの説教者を置いていなかったので、希望者が申し出れば会堂司の判断で講壇に立つことが許された。このようにして会堂は、イエスにも開かれていた。イエスが宣教の最初に会堂を選んだもう一つの理由は、その頃会堂に集まっていたのは、最も純粋な求道者たち、信仰をひたすら求める人たちだったからである。会堂こそ伝道を開始したばかりの、イエスが説教し、新しい教えを人々に伝えるのにふさわしい場所だったのである。イエスは説教だけでなく、病も癒された。イエスの評判は広がり、影響は遠くまで及んだ。人々はイエスの説教と、癒しを求めて、ガリラヤだけでなく、遠くエルサレム、ユダヤ、デカポリスからも集まった。デカポリスは10の独立したギリシャの都市連合で、そんな遠地からも人々が集まった。
−マタイ4:23−25「イエスはガリラヤ中を回って、緒会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判はシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、エルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。」
・ルカは、イエスがシナゴ−グで、イザヤの預言を読んだ後、説教された時の様子を伝えている。その中で、神から遣わされメシアは私であると、イエスは宣言されている。
-ルカ4:16−21「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、次のように書いてある箇所が目に留まった。『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人には解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』イエスは巻物を巻き、係りの者に返して座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。』と話し始められた。」

*さらなる話し合いのために:イエスの行われた病の癒しを考える

・イエスは先に会堂で悪霊を追い出し(マルコ1:25-26)、次にペテロの姑の熱病を癒す(1:29-31)。この病気治しの評判が近隣に伝わり、多くの人々が、「患っている者や悪霊に憑かれた者をすべて彼のもとに運んで来始めた」(1:32)。イエスは人々の要望に応えて、「さまざまな病を患っている多くの者たちを癒し、また多くの悪霊どもを追い出した」(1:34)。
・本田哲郎(カトリック司祭)は聖書の個人訳を始め、ギリシャ語から聖書本文を訳し直した時、福音書に繰り返し出てくる「癒しの意味」が新共同訳の訳と異なることに気づく。「文字通り“癒す”という言葉“イオーマイ” が出るのは、マタイとマルコ両福音書について言えば、合わせて五回しかない。それもすべて、結果として“癒し”が行われたことの報告という形、もしくは“癒されたい”側の期待のことばとして出るだけで、あとはすべて“奉仕する”という意味の “セラペオー”だ。マタイとマルコ合わせて二十一回も出てくる。英語 Therapy の語源となった言葉で、これを病人に対して当てはめると、“看病する”、“手当てする”となる。 “手当て”をして、結果として“癒し”が起こって、イエス自身“深い感動をおぼえた”という事例すら、福音書は記録している。
・イエスにとって、神の国を実現するために本当に大事なことは、“癒し”を行うことではなくて、“手当て”に献身すること、しんどい思いをしている仲間のしんどさを共有する関わりであったことは明らかだ」(本田哲郎「小さくされた人々のための福音」p18-19)。イエスが志したのは病の治癒ではなく、「病人の苦しみに共感し、手を置く行為だった、その結果病が癒されていったのだ」とマルコは記している事に気づく。
・マザーテレサが行ったことも病気の治癒ではない。マザーテレサは「死に行く人を看取ったのであって、治したのではない」ことに留意した時、癒しは治癒ではなく、共感であることがわかる。イエスが与えたのも「治癒」ではなく、「癒し=慰め」だった。私たちは「治癒」と「癒し」を峻別することが必要だ。癒しが為される時、その結果治癒したかしないかは、そんなに大きな問題ではない。「ある者は治癒されて喜び、別の者は治癒されなかったが生きる勇気を与えられた」、それが大事なのではないか。
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