すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2002年10月23日  マタイ12:1-14  安息日とは何か
1.安息日に麦の穂を摘む行為を批判する人々(1-8節)

・弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べ始めた時、パリサイ人たちはこれを非難した。麦の穂を食べることではなく、安息日に行ったことがとがめられた(貧しい人が麦畑から穂を摘んで食べることは許されていた)。
―マタイ12:1-2「ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、『ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています』」。
・安息日にはどのような仕事もしてはいけなかった。人々は麦を摘む行為は労働にあたるとしてとがめた。
―出エジプト記20:8-11「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべての業をせよ。
七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんの業をもしてはならない。・・・主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」
・イエスはダビデが緊急時に祭司しか食べられない供えのパンを食したこと(サムエル上21:1-7)、祭司が安息日に犠牲の動物を捧げる等の働きを行うこと(民数記28:9-10)等をあげて、形式的順守にとらわれる人々に反論された。律法とは「神を愛し、人を愛する」ことであるのに、人々は見えるものにこだわり、律法の本旨を忘れていた。
―ホセア6:6「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」
・イエスは言われた「安息日の主は人」なのである。
―マルコ2:27「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」
・安息日=Holiday=Holly Day、安息日は休息の祝福として与えられた。それはまた聖別された日でもある。仕事や家庭の都合で日曜日の礼拝を守れない人々に教会はどう対応するのか、意見が分かれるかも知れない。

2.安息日のいやしをとがめる人々(9-14節)

・安息日にイエスが会堂に入られたとき、そこに片手のなえた人がいて、人々はイエスがどうされるか注目した。
―マタイ12:9-10「イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、『安息日に人をいやしても、さしつかえないか』と尋ねた。」
・安息日に良いことをするのは当然ではないかとイエスは反論された。
―マタイ12:11-12「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。
・そして、あえて安息日にその人の手をいやされた。一日待てば非難されないのを承知の上である。それは神の業が、今、人々の前で現されるためである。
―ヨハネ9:2-3「弟子たちはイエスに尋ねて言った、『先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか』。イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみ業が、彼の上に現れるためである。』」。
・人々はイエスを殺そうと図った。安息日の律法を犯すものを許容できなかったからである。
―ヨハネ9:16「パリサイ人たちが言った、『その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから』」。
・信仰に熱心なものは律法を重んじる。律法を重んじるものは他人が律法を守らない時、これを許せない。目に見える行為が大事になる結果、ぶよをこしてらくだを呑んでいるのに気付かない。
―マタイ23:24「盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。」
・教会も同じ罪を犯すことがある。律法よりも神殿よりも大事なものがあることを忘れてはいけない。
―マタイ12:6-7「あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。」
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