すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2002年9月25日 マタイ9:35-10:15 主に遣わされて
1.12弟子の選び

・イエスは12人の弟子を呼び寄せ、彼らに悪霊を追い出し、病をいやす権能をお与えになった。
―マタイ10:1「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。」
・悪霊を追い出し、病をいやすとは、言葉と行為で隣人に係わる行為である。宣教は言だけでは力を持たない。その言を実行することも証だ。
―マタイ10:7-8「行って、『天国が近づいた』と宣伝えよ。病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。」
・なぜならば福音を知らない隣人は、飼う者のない羊のように弱っているからである。
―マタイ9:36「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。」
・イエスの弟子はこの憐れみを継承するために呼び出され、働き人として世に送られる。
―マタイ9:37-38「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。

2.12弟子の派遣

・イエスは、先ずイスラエルの家の失われた羊のところに行けと言われた。
―マタイ10:5-6「イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、『異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け』」。
・伝道とはまず近くの人に伝えることだ。それが終わった後、遠くの人に伝えればよい。イエスが世界宣教を命じられるのは復活後である。
―マタイ28:16-20「十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
そして、イエスに会って拝した。・・・イエスは彼らに近づいてきて言われた、「私は、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」
・今為すべきことと、将来為すべきことの区分をしなければならない。先ずあなたに与えられた民のところへ行け、その後で他の人のところへ行け。篠崎教会に即して考えれば次のようになろう。
―今はまず、篠崎地区の宣教に専念し、教会の自立のために励むべきである。教会が自立できるようになってきたら、他の教会を支援することをも視野に入れた教会形成が必要になる。
・また、宣教するとき何も持っていくなとイエスは言われる。
―マタイ10:9-10「財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。」
・宣教は神の業であり、必要なものは与えて下さる。
―競灰螢鵐1:8-10「兄弟たちよ。私達がアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。私達は極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。神はこのような死の危険から、私達を救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。私達は、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。」
・伝道する時、受け入れる人と拒絶する人が出る。拒絶するものに対しては足の塵を払い落としなさい。それはその人を呪う為ではなく、後は主に任せるためである。
―マタイ10:14「もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。」
・伝道の成果を一喜一憂してはいけない。やるべきことをやればよい。ラインホルド・ニーバーはそれを次のように祈った。
―ニーバーの祈り「変えることの出来るものにはそれを変える勇気を、変えることの出来ないものにはそれを受け入れる平静さを、そして何が変えられ何が変えられないかを知る智恵を与えたまえ」
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