すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.伝道活動における誤解と中傷

・伝道活動にはいつも誤解と中傷が伴う。世の人は、伝道活動を教勢拡大活動とみなすからだ。パウロに対しても、自己の為に伝道を行っているとの批判があった。伝道は何故行うのか。大事な問題がここにある。
−汽謄汽蹈縫2:3-4「私たちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。私たちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、私たちの心を吟味される神に喜んでいただくためです」。
・伝道活動が教勢拡大活動になる時、そこには人々に対する迎合、言葉のゆがみが入る。戦前の教会は、国の軍事活動のための献金を呼びかけ、飛行機を献納した。しかし、パウロはこのようなことは一切しなかった。
−汽謄汽蹈縫2:5-6「私たちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証しして下さいます。あなたがたからも他の人たちからも、人間の誉れを求めませんでした」。
・パウロは自給伝道に徹して、教会から報酬を受けようとはしなかった。それは誤解を避けるためであった。
−汽謄汽蹈縫2:9「兄弟たち、私たちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。私たちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした」。
・伝道者はその働きの為に報酬を受ける権利を持つ。しかし、パウロはその権利を受けようとはしなかった。
−汽灰螢鵐9:16「私が福音を告げ知らせても、それは私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです」。
・今日、伝道者には、職業的な専門性と時間が要求される。その時、伝道の働きと伝道者の生活をどう配慮すべきか。基本は教会が伝道者に十分に報い、出来ない状況にあれば、伝道者は生活維持のために働くべきだ。
−汽灰螢鵐9:13-15「神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。しかし、私はこの権利を何一つ利用したことはありません」。
・宣教に対する誤解と中傷は常に発生する。解決策は御業の為にひたすらに働くことしかない。
−汽謄汽蹈縫2:10「あなたがた信者に対して、私たちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます」。


2.テサロニケの人々に対する感謝と愛惜の思い

・テサロニケの人々はパウロの勧めで入信したばかりに、同胞から排除されるという迫害をこうむった。
−汽謄汽蹈縫2:14「あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです」。
・彼が感謝してやまないのは、テサロニケの人々がパウロの言葉を神の言葉として受け入れてくれたことだ。宣教者が聖霊に満たされて語り、聞く人がそれを真摯に受け入れる時、人の語る宣教の言葉が神の言葉となる。
−汽謄汽蹈縫2:13「私たちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。
・パウロは今コリント伝道に従事し、動くことは出来ない。しかし、体は離れていても、パウロの心は常にテサロニケの人々と共にいる。
−汽謄汽蹈縫2:17-18「兄弟たち、私たちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので(顔を見ないというだけで心が離れていたわけではないのですが)、なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、私パウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました」。
・しかし、どんなにサタンの力が強くとも、私の心はあなたがたから離れないとパウロは言う。
−汽謄汽蹈縫2:19-20「私たちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、私たちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、私たちの誉れであり、喜びなのです」。
・牧師の牧師たるゆえんは教会に対する愛だ。それがなければ、その人は牧師を続けることは出来ない。牧師は自己ではなく教会に仕える(参照:ヨハネ10:7-18)。
−汽灰螢鵐13:2「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。
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