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2017年11月9日祈祷会(ヨシュア記4章、ヨルダン川のしるしを覚える)

1.ヨルダン川渡河の意味

・約束の地に入ろうとする民の前に、雪解け水であふれたヨルダン川が立ちふさがった。主は川の水を止めて、イスラエルの民を渡らせ、民が渡り終わった時、「川から石を取り、それをしるしとせよ」と命じられた。
−ヨシュア記4:1-3「民がすべてヨルダン川を渡り終わった時、主はヨシュアに言われた。『民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい』」。
・ヨシュアは石を集めて、礼拝をするように、民に命じる。出来事を「しるし」として覚えるためだ。
−ヨシュア記4:4-6「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。それはあなたたちの間でしるしとなるであろう」。
・9節では石はヨルダン川の中に立てよと言われる。
−ヨシュア記4:9「ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。」
・他方、20節では「石はギルガルに立てよ」と言われている。ギルガルは「石の輪」という意味であり、エリコ占領後、聖所が置かれ、信仰の中心地として栄えたという。伝承のあるものはこのギルガルの聖所に保存されたのであろう。
−ヨシュア記4:19-20「第一の月の十日に、民はヨルダン川から上がって、エリコの町の東の境にあるギルガルに宿営した。ヨシュアはヨルダン川から取った十二の石をギルガルに立てた。」
・石が置かれた場所について、複数の伝承があり、それが記事の混乱を招いている。ただそれらは些末なことであり、主題は「十二の記念の石が置かれた」ことであり、「神のなされた行為を、世代を超えて記念する」ところにある。信仰の継承の重要性がここにある。
−ヨシュア記4:6-7「それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねる時には、こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」
・しるしそのものが意味を持つのではない。しるしを通して示された神の行為の中にこそ意味がある。アブラハムは約束を受けたしるしとして、割礼を受けよと命じられた。
−創世記17:9-11「あなたたちと私との間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが私とあなたたちとの間の契約のしるしとなる」。
・ところが、しるしはいつの間にか偶像となる。割礼も洗礼も聖餐式も形骸化した時、その意味を失くす。
−ガラテヤ5:2-6「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります・・・キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」。

2.契約の箱が先立つ

・民が川を渡り終わったのを見て、ヨシュアは祭司に水から上がるように命じ、列の先頭に立つように命じる。神の戦いであるから、神が先頭に立たれる。そのしるしが契約の箱だ。
−ヨシュア記4:10-11「主がヨシュアに命じて民に告げさせたことがすべて終わるまで、箱を担いだ祭司たちはヨルダン川の真ん中に立ち止まっていた・・・その間に民は急いで川を渡った。民が皆、渡り終わると、主の箱と祭司たちとは民の先頭に立った」。
・ヨシュアは自分が先頭に立たず、神の箱を先頭に立てた。指導者は主を恐れ従う時に、大いなる者とされる。逆に指導者がその地位を自分で獲得したと思い始める時、主はその指導者を替えられる(サムエル上15:22-23)。
−ヨシュア記4:14「その日、全イスラエルの見ている前で、主がヨシュアを大いなる者とされたので、彼らはモーセを敬ったように、ヨシュアをその生涯を通じて敬った」。
・祭司たちが川から上がると、ヨルダン川の流れは元に戻った。ヨルダン川はたまたま止まったのではなく、主に依って止められた。しるしの意味がここにある。出エジプトにおいて、紅海が開かれたように、今度はヨルダン川も開かれた。神は全てを可能にして下さる。
−ヨシュア記4:23-24「主は、あなたたちが渡りきるまで、あなたたちのためにヨルダンの水を涸らしてくださった。それはちょうど、我々が葦の海を渡りきるまで、・・・主が我々のために海の水を涸らしてくださったのと同じである。それは、地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである。」

3.しるしの意味を考える

・しるしの意味は救済体験の伝承である。「神のなされた行為を、世代を超えて記念する」ところにある。イスラエルは出エジプトを記念するために、過ぎ越しの祭りを毎年執り行い、子供たちに教えて行った。
−出エジプト記12:21-27「モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。『さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい・・・主がエジプト人を撃つために巡る時、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される・・・あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束された通りあなたたちに与えられる土地に入った時、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねる時は、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれた時、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」
・新約のしるしはイエスの死と復活である。だから私たちは毎月、主の晩餐式を行う。
−第一コリント11:23-26「私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです。」
・逆境の時にも信じる力を与えるものこそ、過去の救済経験、しるしである。しるしを持って生きる。ヘブル語では過去(ケデム)は前に置かれたもの、未来(アハロ)は後に続くもの、ボートをこぐ人が後ろを向いて前に進むように、私たちも「過去のしるしを持って未来に進む」。
−第二コリント1:10「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
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