1.ヨルダン川の渡河

・イスラエル軍はヨルダン川を渡るべく、準備を始めた。民がヨルダン川の岸辺に立ったのは第一の月の10日(太陽暦の4月)、川は雪解けの水と春の雨であふれていた。
−ヨシュア記3:1「ヨシュアは、朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した」。
・あふれる川を前に、4万人の兵(4:15)をどのように渡河させるのか。ヨシュアは民に身を清めて、神の為さる業を待てと命じた。
−ヨシュア記3:2- 5「三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、民に命じた。『あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる』。ヨシュアは民に言った『自分自身を聖別せよ。主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる』」。
・ヨシュアは祭司たちに、「契約の箱を担いで民の先頭に立ち、川を渡れ」と命じた。
−ヨシュア記3:6-8「ヨシュアが祭司たちに、『契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ』と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。主はヨシュアに言われた。『今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。』」
・ヨシュアは「神が先立ち、ヨルダン川の水を止めて下さる。紅海で行われた奇跡をあなたがたは再び見るであろう」と語った。
−ヨシュア記3:9-13「ヨシュアはイスラエルの人々に『ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け』と命じ、こう言った『生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう』」。
・ヨシュアの命に従い、祭司たちはヨルダン川の中に足を踏み入れた。すると、川は上流のアダムでせき止められ、水が干上がった。兵たちは対岸に渡ることが出来た。
−ヨシュア記3:14-16「ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にした時、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた」。
・紅海の奇跡が再現された。おそらくは地震等により上流の断崖が崩れ、水がせき止められる等の不思議が起こったのであろう。民はこの奇跡を見て、主と主の僕ヨシュアを信じた。
−ヨシュア記3:17「主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。」。

2.しるしと信仰(奇跡をどのように理解するか)

・ヨルダン川の水がせき止められて、兵が向こう岸にわたった奇跡は、モーセ時代の紅海の奇跡と類似する。しかし、雪解け水で増水したとはいえ、ヨルダン川を渡ることはそんなに困難ではなく、あえて神が介入するほどの事態ではない。ではなぜ神が介入されたとヨシュア記は記すのか。それは出来事を通してイスラエルとヨシュアの権威を高めるためであった。現に、エリコに住む者たちはこの奇跡を聞いて戦意が砕け、もはやイスラエルに抵抗しようとせず、エリコはイスラエルの軍門に降ったとヨシュア記は記す。
−ヨシュア記5:1「ヨルダン川の西側にいるアモリ人の王たちと、沿岸地方にいるカナン人の王たちは皆、主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を涸らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、もはやイスラエルの人々に立ち向かおうとする者はいなかった。」
・もう一つの注目点は「主の契約の箱」の存在である。契約の箱には、モーセに与えられた十戒を記した石板が納められていた。それは「主が共におられる」ことを民に確信させた。モーセの時代にも民を導く道標になった。
−民数記10:33-36「人々は主の山を旅立ち、三日の道のりを進んだ。主の契約の箱はこの三日の道のりを彼らの先頭に進み、彼らの休む場所を探した・・・主の箱が出発する時、モーセはこう言った。『主よ、立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は御前から逃げ去りますように。』その箱が留まる時には、こう言った。『主よ、帰って来てください。イスラエルの幾千幾万の民のもとに。』」
・ヨルダン川徒歩の奇跡が歴史的にあったのかどうかはわからない。それに類する出来事はあったのだろう。それよりも、この出来事が「古い歩みへの決別であり、新しい第一歩の象徴である」ことを覚えることが大事なのではないか。ヨルダン川を境に、イスラエルの民は、もはや後戻りできない歩みを進めた。私たちが水で洗礼を受けることも同じことを意味している。私たちは洗礼によって、古い自分に死に、そして新しく生きるのである。
−ローマ6:3-5「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた私たちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。もし、私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」

*参考資料:契約の箱(いのちのことば社・聖書辞典より)
「主の箱」(ヨシ3:13),「神の箱」(汽汽3:3),「主の契約の箱」(申10:8),「神の契約の箱」(士20:27),「あかしの箱」(出30:6)とも呼ばれる.十のことば(十戒)を刻んだ2枚の石の板が納められている直方体の箱である。「契約の箱」と呼ばれたのは,その箱に納められた2枚の石の板に刻まれた十のことば(十戒)が,主とイスラエルとの契約の基礎をなす神のことばであったことによる。契約の箱の意義は,それが納められた幕屋の至聖所で(出26:34)ケルビムと結合されている点に見出される.ケルビムは神の臨在の象徴であるから,契約の箱の置かれた至聖所は,イスラエルの神である主が御自身の僕に御旨を啓示される会見の場であった。こうして契約の箱は民を導く神の臨在の象徴として用いられた。それはシナイで神がモーセに命じられた通りに作られてから(出25:8以下),荒野の旅において(民10:33),ヨルダン渡河において(ヨシ3章),民の先頭に立って進んだ。ヨシュアは契約の箱をギルガルに運び,さらにシロに移した(ヨシ18:1)。サムエルの時代までシロに安置されていた(汽汽1:3,3:3)。しかしペリシテ人との戦いで契約の箱がエベン・エゼルの戦場に持ち出された時,イスラエルは打ち負かされて契約の箱をペリシテ人に奪われてしまった(汽汽4章)。ところがペリシテ人はこの箱のために主によって7か月も災害に悩まされ,その箱を返還せざるを得なくなった(汽汽5‐6章)。契約の箱は神の現臨を象徴するものであったから,不用意に中を見たり,手でふれたりするなら死をもって罰せられた(汽汽6:19,競汽6:6‐7)。契約の箱は再びイスラエルの手に戻ってキルヤテ・エアリムに運ばれ,そこに安置された(汽汽7:1‐2).ダビデは契約の箱をキルヤテ・エアリムからエルサレムの天幕の中に移して安置した(競汽6章)。その箱が新しく造営されたエルサレム神殿に安置されたのは,ソロモンの治世においてである(砧8章)。エルサレム神殿にあった契約の箱は,前586年,バビロン軍によってエルサレムが破壊された時に失われたものと思われる。バビロン捕囚から帰還した後に建てられた第2神殿には契約の箱は存在しなかった。黙11:19には,神の国が完成する栄光の終末の時,天にある「神殿の中に,契約の箱が見えた」と記されている。