1.約束の地への侵攻

・40年間民を率いてきたモーセは死に、その使命はヨシュアに継承された。ヨシュアは約束の成就の時が来た旨を知らされる。共同体は個人の死を乗り越えて、前進する。
−ヨシュア記1:2-4「私の僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、私がイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。モーセに告げた通り、私はあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる」。
・約束の地は無人の地ではなく、先住民がいる。約束の付与は先住民との戦いを通してなされる。これから多くの困難があるであろうが、主は「私は共にいる」と約束された。この言葉が彼らを励ます。
−ヨシュア記1:5-6「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、私が先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である」。
・「私は共にいる。怖れるな、強く雄々しくあれ」。これは私たちに与えられる励ましでもある。
-使徒行伝18:9-11「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ』。パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた」。
・神が臨在される限り、危険はない。しかし、神の臨在は民が応答し、戒めを守ることにかかっている。
-ヨシュア記1:7-8「私の僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する」。
・これは申命記に繰り返し語られた言葉だ。旧約聖書では因果応報の原理が貫徹する。
−申命記28:1-2「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日私が命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう」。
−申命記28:15-20「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる・・・主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これは私を捨てて、あなたが悪を行なったからである」。
・人は戒めを聞くだけではなく、行う事が求められている。人は行いによって救われるのではなく、救われたから戒めを守る。しかし同時に、「行いの伴わない信仰はゆがんだ信仰だ」と新約も語る。
-ヤコブ2:14-17「自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いている時、あなたがたのだれかが、彼らに『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」。

2.戦いの準備

・約束の地に入ることは戦うことだ。民は準備をするように命じられる。
-ヨシュア記1:11「宿営内を巡って民に命じ、こう言いなさい。おのおの食糧を用意せよ。あなたたちは、あと三日のうちに、このヨルダン川を渡る。あなたたちの神、主が得させようとしておられる土地に入り、それを得る」
・ルベン・ガド・マナセ部族は聖戦への参加を条件に領土が付与されている。彼らも全体のための戦いに参加する。共同体は一致しないとその力を出せない。一致とは既に持っている者が持っていない者の為に尽くす事だ。
−ヨシュア記1:12-15「モーセがあなたたちに与えたヨルダン川の東の地に妻子と家畜を残し、あなたたちは皆、隊伍を整え、同胞たちに先立って川を渡り、彼らを助けなさい。主が彼らをも、あなたたちと同じように安らかに住まわせ、あなたたちの神、主が与えられる土地を、彼らも得られるようにしなさい。あなたたちはその後、主の僕モーセがあなたたちの領地としたヨルダン川の東、すなわち太陽の昇る側の土地に帰り、それを得なさい」
・ヨシュアとは、「主は救い」の意味だ。キリストは生まれられた時、「ヨシュア」と名図けられた。そのヨシュアをギリシャ語読みにすれば「イエスース」となる。イエスの最後の約束も「私はあなたともにいる」という言葉だった。
−マタイ28:19-20「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
・ヘブル語聖書では、ヨシュア記は「預言者」の中に構成される。世の歴史は勝利者の立場から描かれるが、イスラエルの歴史は、預言者の立場から記述される。即ち、「イスラエルは神と契約を行い、彼らが契約に従う時、祝福と繁栄がもたらされ、彼らが契約を破る時、国家及び個人の荒廃がもたらされる」という歴史観に立つ。ヨシュア記はその約束が与えられた土地でどのように果たされるかを見ていく歴史書だ。

3.イスラエルはどのようにして土地を取得したのか(イスラエル古代史から)

・申命記25章5−9節のイスラエルの最古の信仰告白において、「乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜りました」という一項がある。これは、イスラエルがカナン(パレスチナ)の地に侵入した出来事であり(恐らく紀元前13世紀)、ヨシュア記に詳細に叙述されている。しかし、その記事の通りのことが歴史的に行われたかは疑問である。ヨシュア記の記事によると、イスラエルによる土地取得は、一つのまとまった形で行われたように描かれている。すなわち、ヨシュアに率いられたイスラエル12部族は、最初にヨルダン川の東を占領し、ギルガルでヨルダン川を渡り、そこから一気に進軍して、まず中部パレスチナのエリコ、アイ、ベテルを征服し、次にパレスチナの南部と北部をも取得し、最後に、全地がくじによってイスラエルの12部族に分配された。この土地取得が歴史的に実際にどのようにして行われたかについては、現在激しく論争されている。
・多くの資料や遺跡から見て、パレスチナに侵入してきたイスラエル諸部族は、まず差し当たっては、カナンの人々が住まなかった山地に定住し、堅固な都市が多くあった平野部には足を踏み入れることができなかったと思われる。士師記1章17―36節のイスラエルが占領することが出来なかったカナンの都市国家を数え上げる「未占領地の表」は、何よりもこのことを裏づける。
・ヨシュア記では、最初にエリコの町が占領されるが、このエリコはベニヤミンの領地にあるが、考古学的な調査からは、エリコはベニヤミン族が侵入した時には、既に廃墟になっていた(恐らく「海の民」による侵略によって)。しかし聖書の伝承者たちは、これは神が大いなる奇跡を行ったのだと理解し、ヨシュア記6章にあるような物語として伝えたものと思われる。そして、後の伝承が土地取得を12部族連合全体による統一的行動として表現した時、ベニヤミン族の侵入の経路が全体の経路として用いられたのである。しかし歴史的には、諸部族はいろいろな経過と経路によって侵入したのであり、南部パレスチナ、東ヨルダン、パレスチナ中央部、パレスチナ北部ではそれぞれ事情が違っていた。(ドゥ・ヴォー『イスラエル古代史』)。
・彼らの土地取得は、半遊牧民が沃地に定着する場合に今日でも見られるような形で、主として一連の牧場交換の経過の中で行われた。沃地の周辺で生活していた小家畜飼育者が、夏に耕作を終えた耕地に入って放牧をしたが、雨期に入っても耕地に留どまることが出来た場合に、そこに定着するということが起こった。これに伴って、牧畜から農耕へ、小家畜飼育から牛の飼育へと次第に生活様式を変え、同時に天幕生活から、固定した家屋に居住する生活へと変化したのであろう。
・初期の段階では、イスラエルの部族がカナンの都市国家の領地を軍事力で奪い取るということは不可能であった。聖書の伝承は、イスラエル人が都市国家の戦車の武力の前に全く無力であったこと、さらに城壁で囲まれた都市があり、戦車の使えた平野には足を踏み入れることが出来なかったことをはっきりと認めている(士師記1:19)。住民が少なく城壁もない、またカナン人が農業に利用していなかったような山地には、遊牧民の集団は比較的容易に植民することができた。そしてイスラエルがこのような形で定着し、長い時間が経過して、彼らが「強くなった」時(ヨシュア記17・13)、すなわち土地取得の第二の段階で、彼らははじめて要塞化された町々を征服し、その領土を併合することが出来るようになったと思われる。