すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  民数記(二巡目)  >  2017年8月31日祈祷会(民数記28-29章、献げ物の規程)


1.献げ物の規定

・民に献げ物の規定が示された。約束の地に入っても、定められた時に従って、礼拝を持つためであった。
−民数記28:1-2「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に命じてこう言いなさい。あなたたちは、私の食物である献げ物を、燃やして捧げる宥めの香りとして、定められた時に忠実に私にささげなさい」。
・礼拝は時の秩序を持って捧げなければいけない。それは創造の秩序である。神はまず昼と夜を創造された。だから、礼拝の基本も朝と夕の献げ物である。
−民数記28:3-4「無傷の一歳の羊二匹を、日毎の焼き尽くす献げ物として、毎日、朝夕に一匹ずつ、献げなさい」。
・神は七日目に仕事を休まれた。だから民も七日目は仕事を休み、安息日の礼拝を献げる。
−民数記28:9-10「安息日には、無傷の一歳の羊二匹をささげ、上等の小麦粉十分の二エファにオリーブ油を混ぜて作った穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を添える。安息日ごとに捧げるべきこの焼き尽くす献げ物は、日ごとの焼き尽くす献げ物とぶどう酒の献げ物に加えるべきものである」。
・神は太陽と月を作り、季節を与えられた。だから民も毎月の第一日を覚えて礼拝を行う。
−民数記28:11-15「毎月の一日には、若い雄牛二頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として、主にささげる・・・日毎の焼き尽くす献げ物およびぶどう酒の献げ物に加えて、贖罪の献げ物として雄山羊一匹を主にささげる」
・過越の祭りは、元来は春分の日の祭りであったが、後に出エジプトを記念する意味合いが加わった。
−民数記28:16-17「第一の月の十四日は、主の過越である。十五日は祭りの日である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる」。
・七週際は小麦の収穫祭である。収穫の初穂を感謝して献げる。
−民数記28:26「初物の日、すなわち七週祭に新穀の献げ物を主にささげるときには、聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない」。

2.時の秩序の中での礼拝

・28章は年の前半の祭を、29章は年の後半の祭を記す。最初は第七の月を安息月として覚えることである。
−民数記29:1-2「第七の月の一日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。角笛を吹き鳴らす日である。あなたたちは・・・献げ物として主にささげ、宥めの香りとする」。
・第七月の10日は大贖罪日であり、大祭司は神殿で民の赦しのために特別の献げ物を行う。
-レビ記23:27-32「第七の月の十日は贖罪日である。聖なる集会を開きなさい。・・・この日はあなたたちの最も厳かな安息日であり、あなたたちは苦行をせねばならない」。
・第七の月の15日から仮庵の祭りが始まる。元来は収穫感謝祭であるが、荒野の旅を覚えて、仮庵を立て、1週間の間、そこに寝泊りをするよう求められた。荒野の苦難と神の導きを忘れないためだ。
−レビ記23:42-43「あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは私がイスラエルの人々をエジプトの国から導き出した時、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである。私はあなたたちの神、主である」。

3.旧約の礼拝と新約の礼拝

・民数記28-29章は私たちの礼拝に大事なものを教える。まず、礼拝の基本は朝夕の祈り、つまり毎日の生活を朝の祈りで始め、夕の祈りで閉じる。毎日を主への献げ物として生きることが礼拝の基本だ。
−ローマ12:1「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」。
・七日目に休む。安息日を聖なるものとして守ることは義務ではなく祝福だ。喜びを持って教会に集まる。
−出エジプト記20:8-11「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない・・・七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」。
・月の第一主日を特別な日として覚える。教会では、第一主日を主の晩餐式として守る。また、教会歴を覚えることも季節の秩序に従って礼拝を守ることだ。冬の待降節、春の受難節・復活節等、教会行事には季節がある。過越の祭りの時にイエスは十字架につかれ、三日後に復活された。私たちは過越祭りをイースターとして祝う。
−ルカ22:7-8「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた」。
・七週の祭り(五旬祭)の日に使徒たちは聖霊を受けた。私たちはこれをペンテコステとして祝う。
−使徒行伝2:1-3「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。
・贖罪日には2頭の山羊を献げ、1頭は神に、もう1頭は「スケープ・ゴート」としてアザゼル(荒野の悪霊)に捧げるために、荒野に追われる。イエスも犠牲の子羊=スケープ・ゴートとして神に捨てられたとヨハネは書く。
−第一ヨハネ2:1-2「これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償う生贄です」。
・この日には大祭司が至聖所に入り、犠牲を捧げて、民の罪の購いを行う。ヘブル書はイエス自らが大祭司になり、自らを犠牲として捧げられたと記す。
−ヘブル9:11-12「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」。
・仮庵の祭りは荒野を忘れないための祭りであった。イエスは宣教の始めに荒野に行かれた。荒野で神の声を聞くためである。荒野の伝統をイエスも継承されている。
−マタイ4:1-2「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた」。
・仮庵の祭りは、後に水の祭り(雨乞いの祭り)に発展し、シロアムの池から水が汲まれ,神殿の水盤に注がれた。イエスはこれを見て、「私こそ生きた水である」と言われた。
−ヨハネ7:37-38「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』」。
・何故、定められた時の礼拝が重要なのか。それは苦難を忘れないためだ。豊かになり、満ち足りると恵みを忘れ、自分の力で生きていると思い始める。そのために十字架が私たちの日常にも必要となる。
−マタイ16:24-25「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る」。
・やがて入る約束の地では、完全な占領はなされず、異邦人が残された。それはイスラエルの軍事力が十分でなかったためだが、士師記はそれを信仰の問題として記述する。すなわち、イスラエルが神の恵みを忘れないために、あえて異邦人を彼らの、試みの罠、棘として残されたと。
−士師記2:20-22「主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた『この民は私が先祖に命じた私の契約を破り、私の声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだ時に残した諸国の民を、私はもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見る』」。
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