すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.シティムでの背信行為

・民数記22-24章は、「イスラエルの民を呪え」とのモアブ王の異邦人預言者バラムへの要求に対し、主がバラムに働きかけてその要求を拒絶させた次第が書かれていた。イスラエルのために、主が山頂でモアブ王と戦っている時、民は平野でモアブの娘たちと背信の行為にふけっていた。背信の行為=直訳では淫行を為すとある。イスラエルは主が戦われていることをまるで気づかず、自分たちの楽しみを追求していた。
-民数記25:1-2「イスラエルがシティムに滞在していた時、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげるときに民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ」。
・バラムのような異教徒の預言者さえも、主の言葉に従ったのに、主の民イスラエルは平気で主を裏切っている。神の民であるイスラエルは、異邦の娘たちの誘いに乗り、土地の神バアルを拝み始めていた。これは、主に対する裏切り行為であった。その行為は十戒の第一の戒め「あなたは私のほかに、何ものをも神としてはならない」(出エジプト記20:3)を公然と愚弄する行為だった。姦淫の罪を犯した者たちは絞首刑にして日にさらされた。
−民数記25:3-5「イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた。主はモーセに言われた『民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい。そうすれば、主の憤りはイスラエルから去るであろう。モーセはイスラエルの裁判人たちに言った。『おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕った者を殺しなさい』」。
・歎くために民が集まっている時、シメオンの族長ジブリは懲りずに、ミデイアンの女を連れて、宿営に入ってきた。それは共同体を汚す行為であった。祭司ピネハスは二人を殺した。
−民数記25:6-9「モーセとイスラエルの人々の共同体全体が臨在の幕屋の入り口で嘆いているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて同胞のもとに入って来た。祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスはそれを見ると、共同体の中から立ち上がって、槍を手に取り、そのイスラエル人の後を追って奥の部屋まで行き、この二人、すなわちイスラエル人とその女を共に突き刺した。槍は女の腹に達した。それによって、イスラエルを襲った災害(疫病)は治まったが、この災害で死んだ者は二万四千人であった」。
・民数記25章1-5節はエロヒーム資料だが、6節から祭司資料が登場し、そこでは姦淫の報いは処刑ではなく疫病になっている。詩編106編はこの流れの中にある。民数記は異なる資料が編集されて構成されている。
−詩篇106:28-30「彼らはバアル・ペオルを慕い、死者にささげた供え物を食べた。この行いは主の怒りを招き、疫病が彼らの間に広がった。ピネハスが立って祈ると、疫病はとどめられた」。
・主は、ピネハスの行為を喜ばれ、彼を大祭司の光景とする特別の契約を結ばれた。
−民数記25:11-12「祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスは、私がイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対する私の怒りを去らせた。それで私は、私の熱情をもってイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。それゆえ、こう告げるがよい。『見よ、私は彼に私の平和の契約を授ける。彼と彼に続く子孫は、永遠の祭司職の契約にあずかる。彼がその神に対する熱情を表し、イスラエルの人々のために、罪の贖いをしたからである』」。
・主の怒りはミディアン人に向かい、「彼らを滅ぼし尽せ」と語られる。
−民数記25:16-17「主はモーセに仰せになった。『ミディアン人を襲い、彼らを撃ちなさい。彼らは、お前たちを巧みに惑わして襲い、ペオルの事件を引き起こし、またこの事件のために災害が襲った日に殺された彼らの同族の女、ミディアン人の指導者の娘コズビの事件を起こしたからである』」。
・この続きは民数記31章以下に記述される。エロヒーム資料では賞賛された異邦人預言者バラムが、祭司資料の文脈では人々を惑わす偽預言者として糾弾されている。
-民数記31:3-14「モーセは民に告げた。『あなたたちの中から、戦いのために人を出して武装させなさい。ミディアン人を襲い、ミディアン人に対して主のために報復するのだ』・・・彼らはベオルの子バラムをも剣にかけて殺した・・・モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち・・・に向かって怒り、彼らに言った。『女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いが下ったではないか』」。

2.この物語の意味するもの

・イスラエルは全て順調であった。軍勢も整ってきた。全ての戦いは勝った。約束の地は目の前にある。神が祝福しておられる。それでも彼らは罪を犯した。この物語は金の子牛の再現だ。モーセが律法を受けるためにシナイ山に登った時、民は不安にかられて金の子牛を造って拝み、淫行を行った。戯れた=淫行を行った、の意味である。偶像礼拝は必ず性的放縦を招く。
−出エジプト記32:3-6「アロンは若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ』と言った・・・彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた」。
・イスラエルの民は剣や槍には、その武力で対抗することが出来た。しかし、心の中の欲望は抑えることが出来ない。古い世代は新しく生まれ変わることが出来なかった。
−民数記26:63-65「モーセと祭司エルアザルは、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野でイスラエルの人々を登録した。その中には、モーセと祭司アロンがシナイの荒れ野でイスラエルの人々を登録した時に登録された者は一人もいなかった・・・だれも生き残った者はなかった」。
・主は新しい世代に期待をかけて、彼らを約束の地に導かれる。新しい世代は、主の期待に応えるだろうか。歴史は否と答える。
−申命記31:16-17「この民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、私を捨てて、私が民と結んだ契約を破るであろう。その日、この民に対して私の怒りは燃え、私は彼らを捨て、私の顔を隠す」。
・人は自分の欲望をコントロールすることができない。人の罪は姦淫に最も鮮明に現れる。新約記者はその典型として「ペオルの罪」を描く。
−第二ペテロ2:13-16「不義を行う者は、不義にふさわしい報いを受けます。彼らは、昼間から享楽にふけるのを楽しみにしています。彼らは汚れや傷のようなもので、あなたがたと宴席に連なる時、はめを外して騒ぎます。その目は絶えず姦通の相手を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。彼らは、正しい道から離れてさまよい歩き、ボソルの子バラムが歩んだ道を辿ったのです。バラムは不義のもうけを好み、それで、その過ちに対するとがめを受けました。ものを言えない驢馬が人間の声で話して、この預言者の常軌を逸した行いをやめさせたのです」。
・人は罪を犯し続ける存在だ。人は自分の力で救われることは出来ない。十字架以外に救いはないとパウロは民数記の物語を振り返る。
−第一コリント10:1-11「私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました・・・しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました・・・彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました・・・それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面している私たちに警告するためなのです」。
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