すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.バラムの最初の預言

・イスラエルを呪うために連れて来られた預言者バラムは、バモト・バアル(バアルの高い山)に上り、礼拝を始める。祭壇に雄牛と雄羊を捧げて、モアブ王バラクと共に自分たちの神バアルを拝んだ。
−民数記22:41−23:2「バラクはバラムを伴ってバモト・バアルに上った。そこからイスラエルの民の一端が見えた。バラムはバラクに言った『私のために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と雄羊を用意しなさい』。バラクは、バラムが言ったとおりにした。そしてバラクとバラムは、どの祭壇にも雄牛と雄羊をささげた」。
・それはモアブの神バアルに捧げた礼拝だった。しかしこの偶像礼拝の中に神が関与される。神はバラムに言うべき言葉を託された。
−民数記23:4-5「神がバラムに会われたので、彼は神に言った『私は七つの祭壇を築き、雄牛と雄羊をどの祭壇にもささげました』。主は、バラムの口に言葉を授け『バラクのもとに帰ってこう告げなさい』と命じられた」。
・その言葉は呪いではなく、祝福の言葉だった。神が呪われぬものを人は呪うことが出来ない。
−民数記23:7-8「バラムはこの託宣を述べた『バラクはアラムから、モアブの王は東の山々から私を連れて来た。来て、私のためにヤコブを呪え。来て、イスラエルを罵れ。神が呪いをかけぬものに、どうして私が呪いをかけられよう。主が罵らぬものを、どうして私が罵れよう』」。
・バラムが山の上から見たものは、神に聖別された民、その数を数えることが出来ないほどの民であった。
-民数記23:9-10「私は岩山の頂から彼らを見、丘の上から彼らを見渡す。見よ、これは独り離れて住む民、自分を諸国の民のうちに数えない。誰がヤコブの砂粒を数えられようか。誰がイスラエルの無数の民を数えられようか。私は正しい人が死ぬように死に、私の終わりは彼らと同じようでありたい」。
・呪いを期待したバラク王は祝福を聞いて驚く。バラムは答える「主が告げられたことを告げたのだ」と。
−民数記23:11-12「バラクはバラムに『あなたは、何ということをしたのですか。私は敵に呪いをかけるために、あなたを連れて来たのに、あなたは彼らを祝福してしまった』と言うと、バラムは答えた『主が私の口に授けること、私はそれだけを忠実に告げるのです』」。
・後代の預言者ミカヤも北イスラエルのアハブ王から「幸運を預言せよ」と求められた時、それを断る。
−列王記上22:13-15「ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。『いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。』ミカヤは、『主は生きておられる。主が私に言われる事を私は告げる』と言って、王のもとに来た」。

2.バラムの二度目の預言

・バラク王は再度バラムにイスラエルを呪うように命じ、別の場所に連れて行く。
-民数記23:13-14「バラクはバラムに言った『私と一緒に別の場所に行って、そこから彼らを見てください・・・そこから私のために彼らに呪いをかけてください』。バラクはバラムをピスガの頂の見晴らしのきく所に連れて行き、そこに七つの祭壇を築き、どの祭壇にも雄牛と雄羊をささげた」。
・今度も同じであった。バラクは「主の祝福されたものを私は呪うことが出来ない」と預言する。
−民数記23:19-20「言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。見よ、祝福の命令を私は受けた。神の祝福されたものを、私が取り消すことはできない」。
・バラムは、神が共におられる民の姿を見た。神の祝福は彼らの内にある。その時、魔術も占いもききめがない。占いを職業とするバラムがそのように語った。そこでは人は何も出来ない。
−民数記23:21-24「だれもヤコブのうちに災いを認めず、イスラエルのうちに悩みを見る者はない。彼らの神、主が共にいまし、彼らのうちに王をたたえる声が響く・・・ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神はその働きを時に応じてヤコブに告げ、イスラエルに示される。見よ、この民は雌獅子のように身を起こし、雄獅子のように立ち上がる。獲物を食らい、殺したものの血を飲むまで、身を横たえることはない」。
・神は選ばれた者を祝福される。それは選ばれた者を通して、全ての人を救うためだ。
-使徒行伝3:25-26「あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」

3.バラムの三度目の託宣

・モアブ王バルクは、眼前の敵イスラエルを呪うように、魔術師バラムを雇い、バラムはイスラエルを呪うために魔術を行おうとするが、彼はイスラエルを祝福する言葉しか言えなかった。バラクは呪うように魔術師に圧力をかける。しかし、バラムはイスラエルを呪うことは出来ない。バラムは三度目も試みた。しかし、彼は神が命じられたままを語る。魔術師が預言者に変えられていった。
−民数記24:1-7「バラムは、イスラエルを祝福することが主の良いとされることであると悟り、いつものようにまじないを行いに行くことをせず、顔を荒れ野に向けた・・・神の霊がそのとき、彼に臨んだ・・・いかに良いことか、ヤコブよ、あなたの天幕は、イスラエルよ、あなたの住む所は・・・水は彼らの革袋から溢れ、種は豊かな水を得て育つ。彼らの王はアガグよりも栄え、その王国は高く上げられる」。
・モアブ王は怒る。しかし、バラムは答える「主が語られたことだけしか私は語れない」。
−民数記24:12-13「たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、主の言葉に逆らっては、善にしろ悪にしろ、私の心のままにすることはできません。私は、主が告げられることを告げるだけです』と。

4.バラムの四度目の託宣

・バラムは、求められないのに、預言を始める。主の言葉が彼の内にある。この預言はダビデの時に実現する。ダビデはモアブを打ち、アラムを征服し、エドムをも支配下に置いた。新約時代の人々はこの預言の中にメシア=キリストの到来を見た。
−民数記24:17「私には彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。一つの星がヤコブから進み出る。一つの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く」。
・神がこのようにモアブと戦っておられた時に、イスラエルの宿営の中では、人々は罪を犯し始めていた。モアブの女たちと姦淫を犯し、女たちの求めに応じて、バアルの神を拝み始める。
−民数記25:1-2「イスラエルがシティムに滞在していた時、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげる時に民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ。イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた」。
・この時、預言者バラムは人を惑わすものとして殺されたと民数記は語る。バラムを主のための預言者と讃える伝承(22-24章)と、バラムを偶像礼拝に導く偽預言者と伝える別の伝承(31章)もあるようだ。
-民数記31:3-14「モーセは民に告げた。『あなたたちの中から、戦いのために人を出して武装させなさい。ミディアン人を襲い、ミディアン人に対して主のために報復するのだ』・・・彼らはベオルの子バラムをも剣にかけて殺した・・・モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち・・・に向かって怒り、彼らにこう言った。『女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いがくだったではないか』」。
・バラムの体験は説教者に何をなすべきかを教える。説教者が神に聞いたことのみを語る時、言葉は力を持つ。しかし、どうやって、「どれが神の言葉で、どれが説教者の言葉か」を判別するのか。第二スイス信条は語る「神の言葉の説教は神の言葉である」。前者の「神の言葉」は聖書を意味し、後者の「神の言葉」は今ここで聴く神の言葉を意味する。聖書の言葉がそのまま神の言葉ではなく、聖書を説く説教があって初めて聖書が神の言葉となると理解する。しかし同じ聖書個所から説教が為され、その内容が説教者によってまるで異なる場合はどのように判別するのか。正直、わからない。
・パウロは説教者が語り、民がそれを受け入れた時、説教が神の言葉になると理解した。
−第一テサロニケ2:13「私たちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。
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