すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.揺れ動く預言者バラム

・民数記22-24章は預言者バラムの記事である。バラムは金のために預言を曲げた「偽預言者」として、評判が悪い。民数記31章ではバラムが異邦人をそそのかしてイスラエルに罪を犯させたとしてモーセに殺されたと記述し(31:8、16)、黙示録では民に罪を犯させる誘惑者としてバラムが批判されている。バラムは何をしたのか、三回にわたって民数記を読んでいく。
-ヨハネ黙示録2:14 「あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。」
・イスラエルはアモリ人を破り、ヨルダン川東岸に陣を置いた。このことは隣国のモアブ王に大いなる脅威となった。モアブ王バラクは呪いによってイスラエルを滅ぼそうとし、高名な預言者バラムを招いた。
−民数記22:1-6「イスラエルの人々は更に進んで、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野に宿営した・・・モアブは、このおびただしい数の民に恐れを抱いていた。モアブはイスラエルの人々の前に気力もうせ、ミディアン人の長老たちに、『今やこの群衆は、牛が野の草をなめ尽くすように、我々の周りをすべてなめ尽くそうとしている』と言った。当時、ツィポルの子バラクがモアブ王であった。彼は、ユーフラテス川流域にあるアマウ人の町ペトルに住むベオルの子バラムを招こうとして、使者を送り、こう伝えた。『今ここに、エジプトから上って来た一つの民がいる。今や彼らは、地の面を覆い、私の前に住んでいる。この民は私よりも強大だ。今すぐに来て、私のためにこの民を呪ってもらいたい。そうすれば、私はこれを撃ち破って、この国から追い出すことができるだろう』」。
・使いを受けたバラムは、主に伺いを立てた。しかし主が「行ってはならない」と言われたため、これを断った。
−民数記22:12-13「神はバラムに言われた『あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ』。バラムは朝起きると、バラクの長たちに言った『自分の国に帰りなさい。主は、私があなたたちと一緒に行くことをお許しになりません』」。
・モアブ王は更に位の高い使者を遣わし、多くの金銀を約束した。バラムの心は動いた。彼は、神の御心を知りながら、再度『行っても良いですか』と聞く。神はこれを許される。
−民数記22:18-21「バラムはバラクの家臣に答えた。『たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、私の神、主の言葉に逆らうことは、事の大小を問わず何もできません。あなたがたも、今夜はここにとどまって、主が私に、この上何とお告げになるか、確かめさせてください』。その夜、神はバラムのもとに来て、こう言われた『これらの者があなたを呼びに来たのなら、立って彼らと共に行くがよい。しかし、私があなたに告げることだけを行わねばならない』。バラムは朝起きると驢馬に鞍をつけ、モアブの長と共に出かけた」。

2.神の御心と人間の欲心

・神はバラムに行っても良いと言われたが、それはバラムを裁かれるためだった。そのため、主は使いを送り、バラムの行く手を妨げられ、御心を知らされた。
−民数記22:22-23「彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。主の御使いは彼を妨げる者となって、道に立ちふさがった・・・主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見た驢馬は、道をそれて畑に踏み込んだ。バラムは驢馬を打って、道に戻そうとした」。
・欲に目がくらんだバラムには主が見えない。驢馬が口を開く出来事を通して、初めてバラムも気づく。驢馬が「口を開く」という出来事は、現代人には不思議に思える。しかし創世記3章では「蛇」がエバに語り掛けている。驢馬の行為を通してバラムが主の御心を知ったという出来事の古代人的叙述であろう。
−民数記 22:28-31「主がそのとき、驢馬の口を開かれたので、驢馬はバラムに言った『私があなたに何をしたというのですか。三度も私を打つとは』・・・主はこのとき、バラムの目を開かれた。彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。彼は身をかがめてひれ伏した」。
・バラムはこの出来事を通して、自分の役割を知る。そして、『主が語られたこと以外は語らない』と誓う。
−民数記22:38「バラムはバラクに答えた『御覧のとおり、あなたのところにやって来ました。しかし私に、何かを自由に告げる力があるでしょうか。私は、神が私の口に授けられる言葉だけを告げねばなりません』」。
・主はいろいろな手段を用いて、私たちの迷妄を開かれる。
-1コリント1:27-29「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」

3.現代におけるバラムの迷いを考える

・バラムの悔い改めは表面だけだ。やがてバラムは再度罪を犯し、モーセに殺される(31:8-16)。
−競撻2:13-16「不義を行う者は、不義にふさわしい報いを受けます・・・彼らは、正しい道から離れてさまよい歩き、ボソルの子バラムが歩んだ道をたどったのです。バラムは不義のもうけを好み、それで、その過ちに対するとがめを受けました。ものを言えない驢馬が人間の声で話して、この預言者の常軌を逸した行いをやめさせたのです」。
・バラムの迷い、これはキリスト者が気をつけなければいけない迷いだ。私たちは、それが神の御心ではないと知りながら、自分の願望を願う。牧師も講壇から神の思いではなく、自分の思いを語る時がある。自分の思いを語ってもそこからはよいものは生まれない。
−ユダ 1:11「不幸な者たちです。彼らは『カインの道』をたどり、金もうけのために『バラムの迷い』に陥り、『コラの反逆』によって滅んでしまうのです」。
・偽預言は重大な欺瞞であるが、その代わりに優遇される快適な生活が報いとして与えられる。ヒゼキヤの時代、宮廷には王に仕える預言者たちがいたが、彼らは王に逆らう預言はしない。ビリー・グラハムは大衆伝道者として著名であるが、子のフランクリン・グラハムは同時多発テロ直後に「大統領の祈祷者チーム」を立ち上げ、イスラム教を「邪悪な宗教」と呼んで報復戦争に加担して行った。
-エゼキエル13:8-9「それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちはむなしいことを語り、欺きの幻を見ているので、私はお前たちに立ち向かう、と主なる神は言われる。私の手は、むなしい幻を見る預言者たちと、欺きを占う占い師たちに向けられる。彼らは私の民の集いに加えられず、イスラエルの家の記録にも記されず、イスラエルの土地に入ることもできない。そのとき、お前たちは私が主なる神であることを知るようになる」。
・偽預言には必ず耳を傾ける聴衆がいる。何故なら人は自分の希望が満たされ、不幸が取り除かれることを求め、それを語る者を好むからである。しかし偽預言は結局役に立たない。真実ではないからだ。その時、宗教は麻薬になる。カール・バルトは「人々を満足させる牧師」という説教を通して偽りの預言者を批判した。
-カール・バルト説教選集6巻より「偽りの預言者とは、人々に満足を与える牧師のことである。彼は福音の説教者、牧会者、奉仕者と呼ばれるが、しかし彼は人間たちの被用者にすぎない。彼は自分が神の名において語っていると夢想しているが、彼は世論の名において、立派な人々の名において語っているに過ぎない。キリスト教はあなた方にとって好ましく重要なものである。あなた方は生活の美しい飾りとしてそれを好む。しかし、神の霊とこの世の霊との間には平和はない。神の意志と人間の意志との間の平和を説教し、現在の生と新しい生を穏やかに賢く結び付け、民が築く隙間の多い壁に宗教と言う漆喰を上塗りし、人々を満足させようとする、そのようなことには何の意味もない」
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