すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  民数記(二巡目)  >  2017年6月22日祈祷会(民数記18章、祭司とレビ人の役割と報酬)
1.祭司の役割

・古代イスラエルは神政政治体制だった。そこにおいて、神の言葉を民に取り次ぎ、民の罪を神に執り成す祭司の役割は大きかった。民数記18章はその祭司としてアロンの家系が選ばれたことを記す。
−民数記18:1「主はアロンに言われた『あなたとあなたの子ら、ならびにあなたの父祖の家の者らは、共に聖所に関する罪責を負わねばならない。あなたとあなたの子らは、共に祭司職に関する罪責を負わねばならない』」。
・コラとその同調者は「何故、あなただけが祭司なのか。共同体全員が聖なる者ではないか」と主張して、アロンの祭司職を否定し、滅ぼされた。神は特定の者を選んで祭司とされる。それは神の選びである。
−民数記18:7「あなたと、あなたと共にいるあなたの子らが祭司の務めを果たし、作業をせねばならない。私は祭司職を賜物としてあなたたちに与える。一般の人が近づけば、死刑に処せられる。」
・祭司は報酬として神殿の献納物の一部を与えられる。献納物を食べて祭司は生きる。これは永遠の「塩の契約」、変えられることの無い契約であるといわれる。塩は古代社会においては貴重なものであり、燔祭の供え物に用いられ、また防腐効果があるので「腐らないもの」の象徴となった。
−民数記18:19「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたと、あなたと共にいる息子たち、娘たちに与える。これは不変の定めである。これは、主の御前にあって、あなたと、あなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である」。
・何故、祭司は祭壇に捧げられた物を受取ることが出来るのか。彼らが嗣業の土地を持たないからである。祭司は資産的基盤を持たず、神の賜物と祝福に頼って生きる。本来的にはすべてのイスラエル人も神の賜物と祝福に頼って生きるが、その中で祭司は文字通り神に頼って生きることを通し、共同体の模範となる。
−民数記18:20「あなたはイスラエルの人々の土地のうちに嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。私が、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である」。

2.祭司制度も歴史の中で様々な破綻を示した

・神殿で働く下級祭司であるレビ人も民が捧げるものの十分の一を働きの報酬として受取る。彼らもまた土地を与えられず、奉納物に頼って生きる。
−民数記18:21「見よ、私は、イスラエルでささげられるすべての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である」。
・しかし、このような祭司職も濫用される時、神の懲罰を受ける。祭司も人間として貪る存在になりうる。
−汽汽爛┘2:12-17「エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった。この祭司たちは、人々に対して次のように行った・・・人々が供え物の脂肪を燃やして煙にする前に、祭司の下働きがやって来て、いけにえをささげる人に言った『祭司様のために焼く肉をよこしなさい。祭司は煮た肉は受け取らない。生でなければならない』」。
・エレミヤはユダの支配者と祭司に対して警告を与えるために召された。祭司は支配者の側に立つからだ。
−エレミヤ書1:18「私は今日、あなたをこの国全土に向けて、堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として、ユダの王やその高官たち、その祭司や国の民に立ち向かわせる。」
・エレミヤの神殿批判はエルサレム神殿の祭司と礼拝生活への痛烈な批判であった。
−エレミヤ書7:10-11「わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来て私の前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。その通り。私にもそう見える、と主は言われる。」

3.新約に置ける新しい祭司制度

・イエスの神殿批判もエレミヤの批判と同じ流れの中にある。
−マルコ11:15-17「一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた『こう書いてあるではないか。「私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。』」
・祭司制度は破れた。神は罪ある大祭司に代わって、罪のないキリストを大祭司とされたと新約は記す。
−ヘブル7:26-28「聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、私たちにとって必要な方なのです。この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです」。
・現代における祭司である牧師もまた、会衆から捧げられた十分の一の献げ物で生活する。神からの食物に養われることを会衆の前に示すためだ。
−汽灰9:13-14「あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」。
・教会は会衆からの献金だけで支えられることが本来のあり方だ。だから、教会が収益事業(駐車場、不動産賃貸等)を行うのは好ましくなく、また牧師が他に職を持つのも本来的ではないと言えよう。
−マタイ6:33-34「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」
・ピーターセン「牧会者の神学」は「アメリカの多くの牧師は企業経営者に堕落した」と告発する。
−ピーターセン・牧会者の神学「アメリカの牧師たちは企業経営者の一群に変容してしまった。彼らが経営するのは、教会と言う名の店である。牧師は・・・どうしたら顧客を喜ばすことができるか、どうしたら顧客を道路沿いにある競争相手の店から自分の店に引き寄せることができるか、どうしたら顧客がより多くの金を落としてくれるような商品を提供できるかを考え・・・祈り、聖書を読み、霊的導きを行うことを忘れてしまった」。
・日本の教会は社会的に少数派であり、牧師は概ね貧乏に置かれているため、精神生活は健全である。他方、韓国大教会の牧師たちは金銭的、性的スキャンダルは絶えない。
−韓国・汝矣島(ヨイド)純福音教会の創立者である趙百陝淵船隋次Ε茱鵐)牧師に対し、ソウル中央地裁は2014年2月20日、懲役3年、執行猶予5年、罰金50億ウォン(約4億7500万円)の判決を下した。また、長男の趙希竣(チョ・ヒジュン)氏に懲役3年の実刑判決を下した。韓国の聯合ニュースが伝えた。同ニュースによると、趙百雹瓩2002年、趙希竣氏が所有していた株式25万株を適正価格の2倍以上で購入するよう汝矣島純福音教会に指示し、131億ウォン(約12億4200万円)の損害を与えたとされている。また、この過程で約35億ウォン(約3億3000万円)を脱税した罪にも問われた。
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