すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.民の反逆と罰としての疫病

・16章は、レビ人の中で聖なる器具を運ぶことに任じられたゲルション族のコラが、不満分子であるルベン族のダタンとアビラム、さらにオンと共謀して、会衆から選ばれた指導者たち250人とともに、モーセに「立ち向かった」記事だ。神は彼らを滅ぼされた。
−民数記16:27-33「 彼らはコラ、ダタン、アビラムの住まいから離れた。ダタンとアビラムは、妻子、幼児と一緒に出て来て、天幕の入り口に立った・・・彼らの足もとの大地が裂けた。地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。彼らと彼らに属するものはすべて、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。彼らはこうして、会衆の間から滅び去った」。
・祭司職は神が任命され、その任命にあずからない者は祭司になれない。そのことを示すために、コラたちの香炉は壊されて祭壇の覆いとされた。
-民数記17:1-5「主はモーセに仰せになった。『祭司アロンの子エルアザルに告げ、焼け跡から香炉を取り出し、炭火は遠くにまき散らすように言いなさい。香炉は既に聖なるものとなっている。命を落とした罪人たちの香炉を打ち延ばして板金にし、祭壇の覆いを作りなさい。それらは、主の御前にささげられ、聖なるものとされているからである。これは、イスラエルの人々に対する警告のしるしとなるであろう。』・・・これは、アロンの子孫以外の者が主の御前に近づき、香をささげてはならないことをイスラエルの人々に思い起こさせるためであり、コラとその仲間のようにならないためであった。それは、モーセを通してエルアザルに語られた主の言葉どおり作られた。」
・しかし反抗は終わらない。コラと仲間の反乱は終わったが、残された会衆は、「あなたは主の民を滅ぼした」とモーセとアロンを批判した。モーセとアロンが反対者のために執り成した行為(16:22)は忘れられ、250人の死がモーセとアロンのせいにされている。ここにおいて処罰された250人だけでなく、民の全体が約束の地に入れなかったことを、モーセの故だと考えて、不満に思っていたことが明らかになる。
−民数記17:6-7「その翌日、イスラエルの人々の共同体全体は、モーセとアロンに逆らって『あなたたちは主の民を殺してしまったではないか』と不平を言った。彼らはモーセとアロンに逆らって集結した」
・これに対して神は、またもや「この民を滅ぼす」と言われた。指導者だけでなく、会衆全体が神に反逆していた。モーセはもはや執り成すことは出来ない。
−民数記17:8-10「モーセとアロンが臨在の幕屋の前に進み出ると、主はモーセに仰せになった。『この共同体から離れなさい。私は直ちに彼らを滅ぼす』。二人はひれ伏した。」
・モーセは罪の購いのための儀式を速やかに行うようにアロンに命じる。アロンが香をたき、民のために罪を贖う儀式を行い、死んだ者と生きている者との間に立つと、災害は治まった
−民数記17:11-13「モーセはアロンに言った『香炉を取り、それに祭壇の火を入れ、香を載せ、急いで共同体のもとに行って、彼らのために罪を贖う儀式を行いなさい。主の御前から怒りが出て、もう疫病が始まっている』。 アロンは、モーセの命令通りに行い、集結している人々の中へ走って行った・・・アロンが香をたき、民のために罪を贖う儀式を行い、死んだ者と生きている者との間に立つと、災害は治まった」。
・約束の地に入ることを拒否し、荒野に追い戻された者たちの反逆が裁かれた。罪を犯した者はその罪を贖う。疫病が共同体を襲い、彼らはそれを主の与える処罰として受け取ったのかもしれない。疫病のために死んだ者は一万人を超えた。
−民数記17:14-15「この災害による死者の数は一万四千七百人であった・・・アロンは臨在の幕屋の入り口にいるモーセのもとに帰った。災害はこうして治まった」。

2.私たちの物語として民数記17章を読む

・民数記17:12-13は、「アロンが香をたき、民のために罪を贖う儀式を行い、死んだ者と生きている者との間に立つと、災害は治まった」と記す。死んだ者と生きている者の間に立つのが祭司の役割である。アロンは疫病で倒れた死者との接触を危険覚悟で行い、そのことによって、大祭司としての権威を確立した。初代のキリスト教会が民衆の支持を得たのも、疫病に苦しむ人々のために、危険を冒して尽くしたからだと言われる。彼らもまた「死んだ者と生きている者との間」に立った。
−ロドニー・スターク「キリスト教とローマ帝国」から「キリスト者たちは飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、病人を見舞えというイエスの言葉に忠実に従って行った。人々が疫病の感染を恐れて避難している中、キリスト者たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬した(エウセビオス「教会史7.22.7-8」)。この食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく信徒の行為が、疫病の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせた」。

3.アロンの選別

・問題の根底は、モーセの指導性についての、またアロンの祭司性についての不満であった。それは神の選びに対する不満であった。神はその選びを示すために、特別のしるしを与えられた。アロンの杖である。
−民数記17:17-20「彼らのうちから、父祖の家ごとに杖を一本ずつ取りなさい。すなわち、彼らの父祖の家の指導者すべてから十二本の杖を取り、その杖におのおのの名前を書き記し、レビの杖にはアロンの名を記しなさい・・・それを、私があなたたちと出会う臨在の幕屋の中の掟の箱の前に置きなさい。私の選ぶ者の杖は芽を吹くであろう。私はこうして、あなたたちに対して続いたイスラエルの人々の不平を取り除こう」。
・幕屋の前に置かれたアロンの杖からは、芽が吹き、つぼみが出て、花が咲き、あめんどうの実がなった。
−民数記17:21-23「モーセがイスラエルの人々に告げると、指導者は皆、部族ごとに、父祖の家ごとに、指導者一人に一本ずつ、合計十二本の杖を彼に渡した。アロンの杖もその中にあった。モーセはそれを掟の幕屋の主の御前に置いた。明くる日、モーセが掟の幕屋に入って行き、見ると、レビの家のアロンの杖が芽を吹き、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた」。
・神に逆らって疫病で死んだ者たちの死体は散乱している。今、アロンの枯れた杖からは芽が出た。民は神の選びの明らかなしるしを見て恐れた。
−民数記17:27-28「イスラエルの人々はモーセに言った『ああ、私たちは絶えてしまいます。破滅です。私たちは皆、破滅です。主の幕屋に近づく者が皆死ぬのであれば、私たちは絶え果てるではありませんか』」。
・アロンの杖と、焼き殺された人々の青銅の香炉で作った祭壇の覆いが奉納された。生も死も神の手中にあることを民が忘れないためである。選ぶのは神であり、私たちではないことを覚えることは大切だ。
−ヘブル5:4-5「この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、『あなたは私の子、私は今日、あなたを産んだ』と言われた方が、それをお与えになったのです」。

4.万人祭司を考える

・民数記は「祭司とは何か」を私たちに迫る。「万人祭司」が正しいのか、それとも「神の特別な召命」を受けた者が祭司なのか。「共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか」という叫びは万人祭司の立ち位置と同じ響きを持つ。
−民数記16:3-4「彼らは徒党を組み、モーセとアロンに逆らって言った『あなたたちは分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか』」。
・しかし民数記はそれを否定する。
−民数記17:4-5「祭司エルアザルは、焼き殺された人々がささげた青銅の香炉を集め、打ち延ばして板金にし、祭壇の覆いを作った。これは、アロンの子孫以外の者が主の御前に近づき、香をささげてはならないことをイスラエルの人々に思い起こさせるためであり、コラとその仲間のようにならないためであった」。
・カトリック教会は万人祭司を否定する。カトリックは、「あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。」(マタイ16:18)という言葉から、「この岩の上に」の岩をペトロ個人と考え、ペトロの後継者たるローマ教皇と教皇によって叙任された聖職者が神とつながり、一般の信徒は聖職者を通してのみ神につながると考える。
・それに対し、宗教改革者マルティン・ルターは「すべてのキリスト者が祭司である」と唱えた。このためプロテスタント諸派には「聖職者」との呼称・役割が存在せず、教役者・教職者としての牧師が教会の指導に当たる。ルターが根拠とした聖句としては、使徒ペテロの「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(第一ペテロ2:9)というもの、また使徒ヨハネの「私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5:10)による。私たちの教会はプロテスタント教会として、万人祭司の立場をとる。
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