すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.反逆の後で

・イスラエルの民は、偵察隊の報告を聞いた後で恐れ、エジプトに帰ろうとまで言い始めた。民は「約束の地を与える」との神の約束を喜ぶのではなく、恐れた。人が自分の思いに囚われた時、約束の地も恐怖の地になり、「奴隷の地」であったエジプトが「救いの地」に見えてくる。
−民数記14:3「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」
・神は不信の民に怒り、彼らを再び荒野に推し戻された。
−民数記14:26-34「この悪い共同体は、いつまで、私に対して不平を言うのか・・・お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう・・・お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。」
・民は荒野に押し戻され、呆然として目の前の荒野を見詰めた。そこに神の赦しがささやかれた「お前達は約束の地に入ることは出来ないが、子供たちは入る。その時にはこのようにして礼拝を行え」と。
−民数記15:2-5「私が与える土地にあなたたちが行って住む時、特別の誓願を果たすため、あるいは随意の献げ物をささげるとき、または祝日に、牛もしくは羊の群れから取って焼き尽くす献げ物あるいは和解の献げ物とし、燃やして主にささげる宥めの香りとする時には、奉納者は十分の一エファの上等の小麦粉に四分の一ヒンのオリーブ油を混ぜた穀物の献げ物を主に対する献げ物としてささげる。また、焼き尽くす献げ物あるいは和解の献げ物に加え、小羊一匹につき四分の一ヒンのぶどう酒をぶどう酒の献げ物としてささげる」。
・小麦粉、オリーブ油、ぶどう酒は荒野にない。荒野にないものを捧げるとは、民の反逆にも関らず、約束は生きており、その約束は次の世代に果たされるだろうとの確認だった。
−民数記15:17-21「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。私が導き入れる土地にあなたたちが入り、そこから得た糧を食べるようになるときには、その一部を献納物として主にささげなさい。初物の麦粉で作った輪形のパンを献納物とし、麦打ち場からの献納物と同じように、それをささげる。あなたたちは、初物の麦粉で作ったものの一部を代々にわたって献納物として主にささげねばならない。」
・パウロはローマ11章で、民数記15:20−21を引用しながら、キリストを殺した反逆のイスラエルもまだ神の救いの下にあると述べる。神は民に怒られても、見捨てられない。反逆のイスラエルも救いの計画の中にある。
−ローマ11:16-18「麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」

2.誤って犯した罪と故意に犯した罪

・主は民に教えられる「誤って犯した罪は購いを捧げることによって赦される」。
−民数記15:22-24「あなたたちが過ちを犯し・・・これらすべての命令を守らなかった場合・・・共同体全体は若い雄牛一頭を焼き尽くす献げ物として主にささげる宥めの香りとし、これに加えて、定められたとおりに穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげ、更に、雄山羊一匹を贖罪の献げ物としてささげる。祭司がイスラエルの人々の共同体全体のために贖いの儀式をすると、彼らの罪は赦される。それは過失だからである。」
・献げ物を献げる、それは神と和解をすることだ。神は献げ物を必要とされない。ただ、捧げる人の悔い改めの心を喜ばれる。しかし、故意に犯した罪は赦されない。それは神を侮る行為だからである。
−民数記15:30-31「故意に罪を犯した者は、主を冒涜する者であり、その人は民の中から断たれる。彼は主の言葉を侮り、その命令を破ったのであるから、必ず断たれ、その罪責を負う」。
・安息日に薪を拾い集めた者は殺された。安息日を守れとの主の掟を無視したからである。現代から見れば過酷な刑罰であるが、荒野において共同体の秩序を守るためにはやむをえなかったのだろう。
−民数記15:32-36「イスラエルの人々が荒れ野にいた時のこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた・・・共同体全体は・・・彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺した」。
・新約に置いても全ての罪は赦されるが、聖霊を冒涜する者は赦されないと記す。
−マルコ3:28-29「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」。

3.民は何故変質するのか

・エジプトを出た民は40年の荒野の放浪の後、約束の地に入る。荒野の40年は「民の不信の歴史、反逆の旅」の歴史だった。40年たって次の世代は約束の地に入るが、なおも父祖と同じ過ちを続ける。
−申命記31:16-21「あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、私を捨てて、私が民と結んだ契約を破るであろう。その日、この民に対して私の怒りは燃え・・・民は焼き尽くされ・・・多くの災いと苦難に襲われる。その日民は、『これらの災いに襲われるのは、私のうちに神がおられないからではないか』と言う・・・私がその先祖に誓った乳と蜜の流れる土地に彼を導き入れる時、彼は食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に向かい、これに仕え、私を侮って私の契約を破るであろう・・・私は、私が誓った土地へ彼らを導き入れる前から、既に彼らが今日、思い図っていることを知っていたのである。」
・プラトンは国家の変遷を世代交代の中に見る。豊永郁子氏は「世代交代とイデオロギー教育」2017.05.27朝日新聞の中で紹介する。現代の日本は民主制が崩れ、独裁制に向かっていると彼女は見る。
「プラトンは「国家」第8巻の冒頭、想像上の理想国家を描き出す。哲学を修めた王が統治し、統治を補佐する戦士集団は、私有財産を持たず共同生活を送る・・・知者が支配し適材適所が行われる「最善の国制」である。この後プラトンは、理想国家が幾つかの国制を経て、「最悪の国制」、すなわち僭主(暴虐な独裁者)が支配する僭主独裁制に至る道筋を考察する。まず、優秀者支配制は、世代交代が早晩もたらす統治者たちの質の低下に始まり、勝利を善とし、戦士階級が支配する名誉支配制に帰結する。だが無教養な支配者たちは富の誘惑に弱く、国制は富を善とし、財産の多寡が支配者を決める寡頭制に変化する。寡頭制のもとでは、貧富の格差が国民を分断し、貧民や無頼の徒も現れる。やがて革命が起こり、何でもありの民主制が生まれる。民主制では自由が善だ。全ての価値観が平等であり、どんな生き方も称揚される。無頼たちはいまや政治家となって民衆の喝采を競う。彼らの中の一人を民衆が押し立て、他もその一人に従うとき、独裁制が誕生する。」
・民の度々の背きにも関わらず、神は民を捨てられない。イスラエルはそう信じた。
−創世記8:20-22「ノアは主のために祭壇を築いた・・・焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。私は、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも寒さも暑さも、夏も冬も昼も夜も、やむことはない』」。
・同時に民数記は私たちに教える「この地上には永遠の都はない」。だから私たちは寄留者として生きる。
−へブル13:12-14「イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。だから、私たちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。私たちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです」。
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