すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.民のつぶやき

・民は約束の地を待ち望み、神の配慮と庇護に確信を持って出立した。しかし、導かれた先はまたもや荒野であり、水も食料もない。人々は水や食糧が不足するとつぶやき始める。シナイを出立して、3日歩いただけで、民はもうつぶやき始め、神は火を送って、その怒りを示された。
−民数記11:1-3「民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした・・・モーセが主に祈ると、火は鎮まった。主の火が彼らに対して燃え上がったというので、人々はその場所をタブエラ(燃える)と呼んだ」。
・人はすべてがうまくいっている時には、喜んで主に仕える。しかし恵みが見えなくなると、絶望し、堕落し始める。少数の人々の中から、肉を食べることが出来ないことに不満が出始め、この不満はたちまち民全体に広がった。彼らは言った「自分たちにはマナしかない」と。
−民数記11:4-6「民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。『誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、私たちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない』」。
・マナは人々が生き残ることが出来るように天から与えられたパンだ。それは生きるのに必要なだけはあった。しかし人々の不満は「食欲をそそるものが何もない」ことであった。栄養はあるが飽き飽きする食べ物を食べ続けなければならないことに人々はつぶやく。
−民数記11:7-9「マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。夜、宿営に露が降りると、マナも降った。」
・民はエジプトを「鉄の炉」として、救済を求めた。今はそれが「肉の鍋」として、慕わしいものになる。生きるために十分な食糧が与えられているのに、それ以上を求める人間存在を聖書は「罪」と呼ぶ。
−ヤコブ1:14-15「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」。
・民は出エジプトの偉大なしるしを体験し、今また約束の地に向かう途上にある。それなのに、現在の不足を耐えることが出来ない。人はそのようなものだから、毎主日の礼拝で神の言葉に迫られる必要がある。そのような人を神は受け入れてくださることを知って改める。教会も無いものを歎くよりも、あるものを喜ぶ時、教会になる。
−創世記8:21-22「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。私は、この度したように、生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない』」。

2.モーセのつぶやき

・民は肉が無いことを、全てを無くしたかのように歎いた。天幕の入り口で泣くとは葬儀の時の風習だ。神はこのような人を怒られた。怒られる神とつぶやく人の間に立って、モーセもつぶやき始める。
−民数記11:10-11「モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。モーセは主に言った『あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜ私はあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか』」。
・モーセは全てを自分で解決しようとして苦しむ。彼は神の助けを求めず、自分で肉を見つけようとする。その時、彼は自分の限界を見出し、弱音を吐く。モーセさえも神につぶやいたことを聖書記者は隠さない。
−民数記11:12-15「私がこの民すべてをはらみ、私が彼らを生んだのでしょうか。あなたは私に、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。この民全てに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らは私に泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。私一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。私には重すぎます。どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうか私を苦しみに遭わせないでください。」
・偉大な僕モーセでさえ不従順だった。だから彼は約束の地に入ることはできず、モアブの地で死ぬ。私たちも完成した人生を歩むのではなく、途上の人生を歩むのだ。
−へブル11:13「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」
・神はモーセに、共に重荷を担う同労者を与えると約束される。
−民数記11:16-17「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。私はそこに降って、あなたと語ろう。そして、あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける。そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなたひとりで負うことはなくなる。」』
・神はモーセに共に責任を担う70人の長老を与えられた。教会においても、執事の存在は重要だ。共に重荷を担う執事なしには、牧師は重荷の中でつぶれてしまう(牧師の燃え尽き症候群があちこちの教会で生じている)。
−民数記11:24-25「モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から七十人を集め、幕屋の周りに立たせた。主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。」

3.肉が与えられる

・神はモーセに「民に肉を与える」と約束される。
―民数記11:18-20「民に告げなさい。明日のために自分自身を聖別しなさい。あなたたちは肉を食べることができる。主の耳に達するほど、泣き言を言い、誰か肉を食べさせてくれないものか、エジプトでは幸せだったと訴えたから、主はあなたたちに肉をお与えになり、あなたたちは食べることができる。あなたたちがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではない。一か月に及び、ついにあなたたちの鼻から出るようになり、吐き気を催すほどになる。あなたたちは、あなたたちのうちにいます主を拒み、主の面前で、どうして我々はエジプトを出て来てしまったのか、と泣き言を言ったからだ。」
・神が「民に肉を与えよう」と言われても、モーセは信じない。モーセでさえも信仰が揺らいでいる。
−民数記11:21-22「モーセは言った『私の率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、肉を彼らに与え、一か月の間食べさせようと言われます。しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか』」。
・肉はうずらを通して与えられた。うずらは春になるとおびただしい群れで東地中海をわたって北上し、秋には南へ帰る。長旅に疲れたうずらを今日でも網で簡単に捕まえることが出来るという。
−民数記11:31-32「さて、主のもとから風が出て、海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。うずらは、宿営の周囲、縦横それぞれ一日の道のりの範囲にわたって、地上二アンマほどの高さに積もった。民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも十ホメルは集めた。そして、宿営の周りに広げておいた。」
・しかし、民はそれを当たり前として、感謝せずに食べた。主の怒りは疫病として、民の上に臨んだ。何があったのか、注解者たちは暴食の結果病気になったと想像する。
−民数記11:33-34「肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた。そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれている。貪欲な人々をそこに葬ったからである」。
・荒野の民も、教会も、「主が導き、主が与えたもう」事を信じることなしには歩めない。必要以上のものを求める時、「貪欲の墓」が私たちを苦しめる。
−民数記11:23「主の手が短いというのか。私の言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」
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