すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.族長たちのささげ物(7:1‐9)

・民数記7章は旧約聖書の中でも最も長い章の一つである(89節まである)。そこには十二の族長たちがどのような捧げものをしたのかのリストが延々と記載されている。現代の読者にとっては無縁と思われるが、これを書いた祭司たちには非常に重要な記述であった。旧約聖書の中で最も冗長とされる「レビ記」、「民数記」の記事はバビロン捕囚後の第二神殿時代に書かれた祭司資料による。私たちはこの二つもまた、聖書を構成する故に学んでいく。
・モーセは神より賜った律法規定を石板に刻み,契約の箱に入れた。それを保管するための幕屋は,出エジプト第2年第1月1日に完成した。人々は祭壇と幕屋の聖別式を行い、奉献の日、それぞれの部族を代表する族長たちは,幕屋の維持,運営,及び移動のために役立つささげ物を自発的にささげた。
−民数記7:1-3「モーセは幕屋を建て終わった日に、幕屋とその全ての祭具、祭壇とその全ての祭具に油を注いで聖別した。彼がそれらに油を注いで聖別した時、イスラエルの指導者、家系の長は進み出た。彼らは部族の指導者であり、登録に当たった者たちである。彼らは、指導者二人につき一台のほろ付き牛車と、指導者一人につき雄牛一頭の割りで、六台の牛車と十二頭の雄牛を献げ物として主の御前に、幕屋の前に引いて来た。」
・捧げられた牛と牛車は幕屋の外装品を運搬するゲルション族に2台、幕屋の重い構造材を運ぶメラリ族に4台配分され、聖具を肩に担って運搬するケハト族には配分されなかった。それぞれが必要な分を受取った。
−民数記7:6-9「モーセは牛車と雄牛を受け取って、レビ人にそれを与えた。すなわち、二台の牛車と四頭の雄牛を、作業分担に応じてゲルションの子らに、また、四台の牛車と八頭の雄牛を、作業分担に応じてメラリの子らに与え、これらを祭司アロンの子イタマルの監督の下に置いたが、ケハトの子らには何も与えなかった。彼らの作業は聖なるものを肩に担いで運ぶことであったからである。」
・それぞれに必要な物は与えられる。その与えられた物を最大限に用いることが導きへの応答だ。
−マタイ25:14-15「ある人が旅行に出かけ、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた」。

2.祭壇奉納の供え物(7:10-89)

・指導者たちが祭壇奉納の供え物を持ってきた時、主は「一人ずつ捧げさせなさい」と言われた。
−民数記7:10-11「祭壇に油が注がれる日に、指導者は祭壇奉献のための献げ物を携えて来た。彼らがそれを祭壇の前にささげると、主はモーセに言われた。指導者は祭壇奉献のための献げ物を、一日に一人ずつささげなさい」。
・捧げられた物は、部族の人数や財政力にかかわらず、同じものであった。
−民数記7:84-88「総計、銀の皿十二枚、銀の鉢十二個、金の柄杓十二。・・・焼き尽くす献げ物の動物の総数は、雄牛十二頭、雄羊十二匹、一歳の雄の小羊十二匹、そのほかに穀物の献げ物」
・民数記はユダ族から始まる奉納をもれなく記載する。一人一人がそこにおいて覚えられる。神は私たちの日常の全ての行動を見通し、覚えられる。礼拝とは、日常の中で行われる行為だ。
−マタイ25:37-45「『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか』・・・王は答える『私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』」。
・幕屋と祭壇の奉納を終えた時、神は幕屋でモーセに語られた。シナイ山におられた神が今は民の間に宿られた。人が全力を尽くした時、神はそこに臨在される。
−民数記7:89「モーセは神と語るために臨在の幕屋に入った。掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から、神が語りかけられる声を聞いた。神はモーセに語りかけられた。」
・神は今日でも私たちが求めれば、聖書(掟の箱)を通して、十字架の行為(購いの座)を通して、聖霊(ケルビム)を通して、私たちに応答される。神は常に臨在されているのだ。
−ヨハネ黙示録21:3-4「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

3.この物語を私たちはどう読むか

・指導者たちは、礼拝の場所を用意するために、自発的に献げ物をした。今日で考えれば、教会堂の献堂式である。現代の私たちも様々な困難の中で、礼拝する場所の確保のために捧げものをする。近隣の市川八幡教会は様々の困難の中で会堂立て直しを行った歴史を持つ。
−市川八幡教会は1970−1979年の間、教会分裂により閉鎖され、1979年、教会再建のため、新小岩教会から9家族・23名の転籍と500万円(建物の補修等)の資金が提供された。
−1992年4月会堂建て直しが決議され、94年3月会堂建設着手、1994年6月牧師辞任があったが、会堂は10月に完成した。教会員から建築献金2515万円、教会債1315万円、計3800万円が捧げられ、残り4000万円は借入金で為された。
・古代イスラエルの民は、神が幕屋の中に閉じこもっている方ではないことは承知していた。しかし同時に神がその民と出会う場所は幕屋であることも知っていた。現代の私たちも、教会堂が神の宮とは思わないが、会堂で礼拝を行う時に、神がそこに臨在されることを知っている。だから私たちも資金を出し合って会堂を立て、維持する。
−1コリント3:16-17「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」
・献金とは何かを考えさせる逸話が残されている。同志社の設立者、新島襄は、米国で学び、帰国する直前の1874年10月9日、アメリカン・ボード大会で、海外伝道に向かう宣教師の一人として紹介され、スピーチをした。その時、新島は思い切って日本にキリスト教主義の学校を設立するという夢を語って、涙を流しながら、必死で献金を訴えた。「一片の精神と感激の涙を以て訴えた」と新島は後で書いているが、新島のスピーチが終ると、会衆の中から、「自分は千ドル捧げよう」「私も千ドル」「五百ドル献金しよう」「三百ドル」「二百ドル」と次々に声が上り、総額五千ドルの大金が直ちに集まった。新島が感謝と別れの言葉を述べ、壇を降りようとした時、一人の年老いた農夫が新島襄のもとに近づいて来て、そっと二ドルを手渡し、こう言った。「これは自分の帰りの汽車賃だ。持ち金はこれだけだ。なに、わしの足はまだ衰えておらん。歩いて帰る。この二ドルをあんたが建てようとしている大学のために役立ててくれ」。新島は「この二ドルこそが同志社の核となった」と書き残している。
-第二コリント9:7−8「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる良い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」
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