すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ナジル人の誓願

・特別の誓願を立てて主に献身した者は、ナジル人と呼ばれた。「ナジル」はヘブル語「ナーザル(分離する、聖別する)」から派生した言葉で、「主の者として分離され、聖別された」と言う意味を持つ。彼らはぶどう酒を断ち、髪を切ること、死者の汚れに近づくことが禁じられた。旧約ではサムソンやサムエルがナジル人として捧げられた。不妊に悩むサムエルの母ハンナは「子が生まれたらその子を主に捧げる」と誓願した。
−サムエル記上1:11「そして、誓いを立てて言った。『万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授け下さいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。』」
・新約では、バプテスマのヨハネがナジル人の終身誓願をしていたと言われている。ヨハネの父ザカリヤに対して、御使いは、「生まれる子はナジル人として立つ」と預言している。
―ルカ1:15-17「彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいる時から聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
・誓願をした人はぶどう酒や強い酒を断つことを求められた。
―民数記6:2-4「イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。男であれ、女であれ、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となるならば、ぶどう酒も濃い酒も断ち、ぶどう酒の酢も濃い酒の酢も飲まず、ぶどう液は一切飲んではならない・・・ナジル人である期間中は、ぶどうの木からできるものはすべて、熟さない房も皮も食べてはならない。」
・ぶどうはカナンの地の豊穣のしるしであった。誓願をする人は、カナンの地の豊穣から、イスラエルの原点である荒野の質素な生活に戻る事が求められた。豊かさは人を迷わせるからだ。
―申命記6:10-12「あなたの神、主が・・・あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足する時、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。」
・同時に髪を切ること、死者の汚れに近づくことが禁じられた。
―民数記6:5-8「ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。主に献身している期間中、死体に近づいてはならない。父母、兄弟姉妹が死んだ時も、彼らに触れて汚れを受けてはならない。神に献身したしるしがその髪にあるからである。ナジル人である期間中、その人は主にささげられた聖なる者である。」
・士師記13−16章にあるサムソンもナジル人として知られる。イスラエルがペリシテ人に支配されていたころ、ダン族の男の妻に子供が生まれることが告げられ、その子が神に捧げられた者(ナジル人)であるため、ぶどう酒を飲まないこと、汚れたものを食べないこと、生まれる子の頭にかみそりをあてないことの三つが求められた。サムソンは長じて士師(裁き司)としてイスラエルを裁いたが、ペリシテの女デリラを愛するようになり、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密が髪の毛にあることを知り、サムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ人の手に落ちた。彼は目をえぐり出されてガザの牢で粉をひかされるようになったが、サムソンは神に祈って力を取り戻し、つながれていた二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死んだという。
・誓願は病気の治癒や子供の誕生等に対する感謝として自発的に為された。誓願の期間は終身の者もいたが、多くは30日、60日、100日であった。誓願の期日が終わると、通常の生活に戻った。
−民数記6:13-20「ナジル人である期間が満ちた日に、彼を臨在の幕屋の入り口に連れて来る。その人は献げ物として次のものを主にささげる・・・ナジル人は臨在の幕屋の入り口で献身のしるしである髪をそり、それを取って和解の献げ物を焼く火に燃やす・・・その後、ナジル人はぶどう酒を飲むことができる。」

2.キリスト者とナジル人

・教会の伝承では、エルサレム教会の指導者となったイエスの兄弟ヤコブや使徒パウロもナジル人の誓願を立てている。
−使徒言行録18:18「パウロは・・・やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。」
・ナジル人は自分が禁欲する故に、他者に対しても厳しく身を律することを求める。
―ルカ3:7-9「ヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。『蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか・・・斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる』」
・イエスの生き方はナジル人の生き方とは異なっていた。イエスは自分だけの清浄を求められなかった。
―ルカ5:30-32「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか』。イエスはお答えになった『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』」。
・ある人たちは、キリスト者もナジル人のように、身を清めることが大事だと禁欲を説く。しかし、個人の禁欲が往々にして、他者への律法の強制となる。全ては許されているが、全てが益になるわけではないというパウロの生き方こそ、イエスに従う生き方だと思える。
―汽灰10:23-24「全てのことが許されている。しかし、全てのことが益になるわけではない。全てのことが許されている。しかし、全てのことが私たちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」
・これは放縦を薦めるものではない。本当の禁欲は他者に対する愛から生まれるものであり、自己の汚れを防ぐためではないことをパウロは述べている。
―汽灰8:7-13「ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際にそれが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです・・・食物のことが私の兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後決して肉を口にしません。」
・カトリック教会で修道士を志す者は、修道院に入会して、志願期、修練期が終わると、初誓願を宣立する。初誓願を立てると、修道会の中で、有期誓願者になり、共同体生活をしながら、奉仕や勉学に励む。有期誓願の期間が満了すると、終生誓願を立て、この誓願に結ばれることによって、生涯、修道会の会員として生きることになる。誓願はキリストに倣う生き方として、貞潔、清貧、従順の約束を自発的に神に誓う。神と人々を愛するために独身を選び、結婚生活を放棄する貞潔の誓願、財産をすべて仲間と共有し、ものから自由になり神だけに頼る生き方としての清貧の誓願、修道会の上長の中にキリストを見いだして従う従順の誓願を宣立する。ここに現代に生きるナジル人の伝統がある。

3.祭司による祝福

・ナジル人の存在は全イスラエルが祝福される基礎であった。そのため、ナジル人に関する規定の後に祭司の祝福の言葉が記されている。
−民数記6:22-27「主はモーセに仰せになった。アロンとその子らに言いなさい。あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。 彼らが私の名をイスラエルの人々の上に置く時、私は彼らを祝福するであろう。」
・神はアロンとその子ら(=祭司たち)に、イスラエルの人々に祝福を告げることをお命じになった。この民数記6:24−26の祝福の言葉は「アロンの祝福」と呼ばれ、宗教改革者ルター以来、プロテスタント教会の礼拝において、礼拝を締めくくる祝福として用いられてきた。詩篇67篇はこの祝祷が賛美歌になったものである。
−詩篇67:2-8「神が私たちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きを私たちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。神よ、すべての民があなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞってあなたに感謝をささげますように。諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように。あなたがすべての民を公平に裁き、この地において諸国の民を導かれることを。神よ、すべての民があなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞってあなたに感謝をささげますように。大地は作物を実らせました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。神が私たちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで、すべてのものが神を畏れ敬いますように。」
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