すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.民数記とはどのような書か(2011年10月9日説教より)

・民数記は出エジプト記に続く物語だ。エジプトを出た民はシナイ山へ着き、そこで主の民となる契約を結び、契約のしるしとして十戒(律法)を与えられる。出エジプト記はそこで終わり、シナイを出発して約束の地を目指して荒野を進む物語が民数記である。民数記(人口調査)という名称はギリシャ語聖書から来るが、へブル語聖書は「荒野から」という名前になっている。
・民数記は荒野流浪の物語で、内容は一言で言えば「民の不信の歴史、反逆の旅の物語」である。一行はエジプトを出て13ヶ月目にシナイを出発する(10:11-13)。人々は契約の箱を先頭にして進むが、水や食糧が不足するとつぶやき始める
−民数記11:4-6「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では私たちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで何もない」。
・民はエジプトを「鉄の炉」として、そこからの救済を神に求めた。今はそれが「肉の鍋」として、慕わしいものになる。「エジプトは良かった」、「昔は良かった」、困難に直面した時、私たちが口にするつぶやきだ。イスラエルの民はエジプトを出る折に偉大なしるしを体験し、今また約束の地に向かう途上にある。しかし、現在の不足を耐えることが出来ない。主は憤られ、不信仰の罰として疫病が与えられる。
−民数記11:33「肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた」。
・荒野の旅は苦労の連続だった。しかし2年後に、やっと約束の地カナンの入り口にあたるカデシまで進む。モーセは12人を偵察隊として派遣し、40日後、彼らは帰って来て報告する。その地は「乳と蜜の流れる豊かな地だ」(13:25-27)と。しかし同時に「強そうな民族が城塞を堅固にして住んでいる」とも報告される。報告を基にした情勢判断は二つに分かれる。カレブは言う「主が与えると言われるのだから、攻め上って行こう」。他の報告者たちは言う「彼らは我々より強い。攻めるのは無理だ」(13:31-33)。
・同じ事実認識をしても、人々の判断は分かれる。神を信頼しない時、現実は恐怖になり、人々は怖気づく。ヨシュアとカレブは人々を説得しようとする。
−民数記14: 8「我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう」。
・しかし、民衆の多くは、偵察隊の報告を聞いて恐怖に襲われ、エジプトに帰ろうと言い始める。
−民数記14:3-4「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう」。
・イスラエルの民はここで決定的な過ちを犯す。主がエジプトから引き出して下さり、シナイ山で契約を結ばれ、約束の地にまさに導き入れようとされたその時に怖気づいて、エジプトに帰ろうとした。彼らはまだ約束の地に入る資格はない、主は彼らを再び荒野に追い返される。こうして2年で終わるはずだった荒野の旅が40年もの長期にわたるようになった。40年、古い世代が死に絶え、新しい世代と交代する年月である。主はかたくなな旧い世代を断念され、新しい世代に期待を持たれた。こうして民は再び荒野に送りだされる。

2.人口調査

・1章では約束の地に入るための人口調査、具体的には兵役登録が語られる。
−民数記1:2-3「イスラエルの人々の共同体全体の人口調査をしなさい。氏族ごとに、家系に従って、男子全員を一人一人点呼し、戸籍登録をしなさい。あなたとアロンは、イスラエルの中から兵役に就くことのできる二十歳以上の者を部隊に組んで登録しなさい。」
・登録に当たっては、12部族の長がモーセに協力した。イスラエルは12部族の部族連合体であった(ヤコブの12人の息子たちがエジプトで養われて12部族になる)。
−民数記1:4「部族ごとに一人ずつ出してあなたたちの助けをさせなさい。家系の長でなければならない。」
・数えられた人数に従い、部族ごとに兵役の登録が為された。
−民数記1:16-19「以上が、共同体の召集者であり、父祖以来の部族の指導者で、イスラエルの部隊の長である。モーセとアロンはこれらの任命された人々を従え、第二の月の一日、共同体全体を召集し、二十歳以上の男子を氏族ごとに、家系に従って一人一人点呼し、戸籍登録をした。モーセはこのように、主が命じられたとおり、シナイの荒れ野で彼らを登録した。」
・登録された成年男子の数は60万人であった。
−民数記1:45-46「イスラエルの人々のうち、家系に従って登録された者はすべて、イスラエルの中から兵役に就くことのできる二十歳以上の者であって、登録された者の総計は六十万三千五百五十人であった。」
・この人数に女性・子供を加えると200万人を超える。シナイの荒野を流浪できる集団の数は5千人〜6千人が限度であろう。千(エレフ)を家族に読み替えると、ユダ族の場合は74家族、600人になり、この方法で集計すれば、総数5,700人となる。全てのイスラエル人が数えられる信仰的表象としての60万人であろう。

3.レビ族の役割

・レビ族は兵役に登録されず、数えられなかった。彼らの役割は戦闘ではなく、幕屋での奉仕であった。
−民数記1:47-50「レビ人は、父祖以来の部族に従って彼らと共に登録されることはなかった。主がモーセにこう仰せになったからである。『レビ族のみは、イスラエルの人々と共に登録したり、その人口調査をしたりしてはならない。むしろ、レビ人には掟の幕屋、その祭具および他の付属品にかかわる任務を与え、幕屋とすべての祭具の運搬と管理をさせ、幕屋の周囲に宿営させなさい』」。
・イスラエルは神の主権確立のために戦う教会である。彼らは神秘的な一致のために、この世から隠遁する修道院的共同体ではない。それは地上に神の国を建てるための戦闘的集団である。共同体の理念は旧約だけではなく、新約をも貫く思想である。
−出エジプト記19:5-6「今、もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、私の宝となる・・・あなたたちは、私にとって、祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」
・レビ人が忠実に幕屋を守る時、他の人々は死に至らなかった。同じように、キリスト者が神から与えられた福音の真理の番人として忠実であれば、世の人々も生きる。それが地の塩、世の光としてのキリスト者の役割だ。
−マタイ5:13-16「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。・・・そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

4.民数記が私たちに示すもの

・1985年5月8日、ドイツ敗戦から40年目の記念式典で、当時のドイツ連邦大統領だったヴァイツゼッカーは「荒れ野の40年」と題する演説を行った。「荒れ野の40年」、民数記に描かれたイスラエルの民の40年間の旅路を振り返りながら、彼はドイツ民族の40年を語る。
-ヴァイツゼッカーの演説から「5月8日は心に刻むための日であります・・・われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです・・・人間は何をしかねないのか、これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません」。
・「われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはならない」、「古い世代が死に絶えて新しい世代が生まれても、私たちは同じ過ちを繰り返しかねない。だから歴史を心に刻むのだ」とヴァイツゼッカーは語る。「ナチスは特殊な犯罪人集団ではなく、私たちもまた状況次第では同じ過ちを犯しかねない存在なのだ。民数記を見よ」と彼は示唆しているように思える。
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