すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  出エジプト記(二巡目)  >  2016年12月29日祈祷会(出エジプト記20:12-17、人に対する戒め)
1.第五戒―「20:12 あなたの父母を敬え。」

・イスラエルでは家族は血族共同体であると共に、宗教共同体であった。両親は子供に対して神の権威を代表し、家庭における宗教教育は両親の責任であった。両親に服従することは神への服従につながる。
―申命記5:16「あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられた通りに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。」
・元来は成人した子に対し、年老いた両親への配慮を主が命じられたもの。明らかに老親の扶養をしない子供たちがいたのであろう。現代のように年老いた父母の世話を老人ホームに託す時、行政もこの義務を負っている。
―箴言23:22「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない。」
・この戒めは同時に父母の子供に対する義務をも含む。現代の幼児虐待はこの戒めへの背反である。
−エフェソ6:2-4「『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」

2.第六戒―「20:13 殺してはならない。」

・「殺す」とは故意に人を殺すことであり、イスラエルにおいては、過失による殺人は処罰の対象ではなかった(逃れの町の規程により命が保証された)。
―出エジプト記21:12-14「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、私はあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼を私の祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。」
・後代になると、復讐は神ご自身がされることが強調され、復讐制度は克服されている。
―申命記32:35「私が報復し、報いをする。彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。」
―ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』悪に負けることなく善をもって悪に勝ちなさい。」
・「目には目を、歯には歯を」という倫理は、同害報復を限度に制裁を認める。第六戒は「殺さない」ことよりも、「生かす」ことにアクセントがある。人間は神の形に造られた故に、これを殺してはいけない。
―創世記9:6「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」
・イエスが第六戒を「怒るな、和解せよ」と根本にまで遡って解釈される時、第六戒は愛の戒めとなる。「殺すな、生かし合え」と言う倫理は、今日では公害や中絶、自然破壊等の問題にぶつかる。
―マタイ5:21-22「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」

3.第七戒―「20:14 姦淫してはならない。」

・聖書は、人は神の形に、男と女に創造されたとする。人間は交わりを本質的な在り方として生きる。聖書において結婚は積極的に肯定される。この結婚の秩序を乱すものとして、姦淫がある。預言者は結婚を神とイスラエルとの契約の比喩とした。姦淫は神との契約に対する背反であり、その契約の乱れが姦淫として具体化した。そのイスラエルを神は憐れみによって許し、自ら契約を更新し給う。
・イエスが言われたのは外面のみを守る道徳の欺瞞であり、悔改めであった。倫理は信仰に根拠を持たない限り、徹底できない。
―マタイ5:27-28「あなたがたも聞いている通り、『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」
・「女の将来を考えぬ恋愛は単なるセックスだ」(武者小路実篤)。人格として異性と結び合う結婚の意義を教会は伝える必要がある。ゆがんだ性の在り方は人間の命さえ奪う。今日ではレイプやポルノも他の人格に対する明白な暴力として、この規定に含めるべきであろう。

4.第八戒―「20:15 盗んではならない。」

・神は人間が労働を通して必要な糧を得るように定められた。盗みは労働の定めを無視し、神が与えたものをないがしろにする行為である。王制以降、強者と弱者、富者と貧者の格差、対立の中で、盗み・貪りが社会的の問題になってきた。エリヤはナボテのぶどう園を横領したアハズ王を激しく責め、預言者は王権を上回る神の主権を主張する。
-列王記上21:17-19a「主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。『直ちに下って行き、サマリアに住むイスラエルの王アハブに会え。彼はナボトのぶどう畑を自分のものにしようと下って来て、そこにいる。彼に告げよ・・・あなたは人を殺したうえに、その人の所有物を自分のものにしようとするのか。』」
・アモス・イザヤ・エレミア等の預言者は盗みを社会階級の搾取と関連づけて糾弾している。社会倫理における盗み、神の所有の私物化としての不正な所有の追及は正義の問題でもある。
―詩編24:1「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。」
・全ては神のものであることを認識する時、植民地支配や経済的侵略の罪が明らかになる。南北問題も北の貪り・南の貧困という盗みである。隣人の所有権のために、己の所有の罪を告発しなければならない。
―ヤコブ5:1-4「富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい・・・御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。」

5.第九戒―「20:16 隣人に関して偽証してはならない。」

・法廷において真実証明は二人以上の証人を必要とした。公の場における隣人としての、公人としての義務と責任を追及している。それは単なる偽証の禁止ではなく、困窮の中にある隣人のために真実を証言することが求められている。
―出エジプト記23:6-9「あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。私は悪人を、正しいとすることはない。あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は・・・正しい人の言い分をゆがめるからである。あなたは寄留者を虐げてはならない・・・あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。」
・神の真実を求めるものにとって、事柄は私のことである。周囲にある欺瞞的なこと、隣人の不当な苦しみに対し、私が証言し、偽証してはならない。
-マタイ5:33-37「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、私は言っておく。一切誓いを立ててはならない・・・あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

6.第十戒―「20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

・貪りとはみだりに欲しがること、それは特定の行為と言うよりも、動機でもある意志を問題にする。それは内面の罪である。生きるに必要なものへの感謝を忘れ、養いたもう神に感謝しない罪である。
―ルカ12:15「そして、一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。』」
・自分の生を神から受け取ろうとせず、自分で確保しようとする不信仰から、「思い煩い」と「貪り」が生まれる。
―マタイ6:30-32「信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」
・「貪るな」の禁止命令が、「愛せよ」に変わる時、積極的な行為になる。
-申命記15:7-8「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。」
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