すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  出エジプト記(二巡目)  >  2016年10月27日祈祷会(出エジプト記13章、遠回りの道へ導かれる)


1.初子の奉献

・出エジプト記では、神の救済の物語が祭儀として語られ、初子の奉献が繰り返し語られる。神はイスラエルの初子を血によって贖い、救い出して下さった。それ故イスラエルは初子を神に捧げよと命じられる。
―出エジプト記13:1-2「すべての初子を聖別して私にささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、私のものである。」
・神はイスラエルを救われたゆえに、イスラエルはその神に応答する。その応答が礼拝である。
-出エジプト記13:11-12「主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられる時、初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。」
・イスラエルの民にとって出エジプトは、根源的な出来事であった。その出来事はエジプト人の初子の犠牲を通してなされた。救いは決して安価なものではない。それを思い起こすために繰り返し、イスラエルの初子の犠牲の奉献が要求される。
―出エジプト記13:14-15「主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。ファラオがかたくなで、我々を去らせなかったため、主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえ私は、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。」
・初子を捧げるというのは、一番大事なものを捧げるということだ。「我々は自分の力で生きているのではなく、神に生かされている」ことを覚える。それを子供たちに繰り返し教え、忘れないようにその言葉を身に着けよと命じられる。
―出エジプト記13:16「あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」

2.酵母を入れぬパンを食せよ

・酵母を入れないパンを食するのも、慌しく出立した出エジプトの出来事を忘れないためである。
-出エジプト記13:3-4「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。あなたたちはアビブの月のこの日に出発する。」
・それがやがて除酵祭として儀式化される。
―出エジプト記13:5-7「主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられる時、あなたはこの月にこの儀式を行わねばならない。七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」
・イスラエルの民は過越祭と除酵祭を大切に守っていった。その中で除酵祭は次第にパン種を取り除くことに注力されるようになる。祭の最初の日に家から酵母を取り除き、7日間家に酵母があってはならないとされ、やがて、酵母、パン種を悪いものとして除き去る、という感覚が生まれた。それはやがて「罪のパン種を取り除け」という倫理になって行く。
-第一コリント5:6-8「あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」

3.火の柱、雲の柱に導かれて

・エジプトで奴隷だったイスラエルの民は、モーセに率いられてエジプトを脱出した。男子だけでも数千人、女や子供も加えれば、1万人近い群れがエジプトを出たと思われる。また牛や羊等の家畜も伴っていた。その民を、神は海沿いの道ではなく、遠回りの荒野の道に導かれた。
―出エジプト記13:17-18「さて、ファラオが民を去らせた時、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」
・海沿いの道、ペリシテ街道は地中海に沿ってある道であり、エジプトとメソポタミアを結ぶ古代オリエントの幹線道路であった。距離は300キロ、歩いて12日の道のりである。商業的また軍事的に重要な街道であるから、要所にはペリシテの警備隊が配置されていた。そこを、1万人を超える群集が通れば、ペリシテの警備隊や地元住民との戦いになる。女子供を含めた雑多な共同体が、訓練をつんだ兵士たちと戦いながら歩むことは難しい。神は海沿いの道ではなく、葦の海に通じる「荒野の道」に民を導かれた。
・この道は、紅海沿いにシナイ山に進み、その後カナンに至る。道のりは遠く、岩や石の砂漠が広がり、人もほとんど住まず、野の獣が走り回っていた。人間の敵はいないが、水も食べ物も乏しい厳しい道であった。神は民を励ますために、「見えるしるし」でその臨在を示された。このしるしに導かれて民は荒野に乗り出した。雲の柱、火の柱は、火山から出る火煙ではないかと人は想像する。
-出エジプト記13:20-22「一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」。

4.何故神は遠回りの道に民を導かれたのか

・この民は危機になればすぐに神を忘れてしまう民だ。彼らは試練を通して訓練を受ける必要があった。荒野での民の経験が14章以下に記されている。民が逃亡した後、エジプト王は軍勢を整え、追跡して来た。今、民の目の前には葦の海が立ちふさがり、後方にはエジプトの軍隊が迫る。民は恐怖と混乱に襲われ、神を呪いはじめた。
-出エジプト記14:10-12「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましですと言ったではありませんか」。
・民はエジプトで奴隷としてうめき苦しみ、神の助けを求めた。神はモーセを送り、民をエジプトから救い出した。民は感謝し、意気揚々としてエジプトを出た。その彼らが、今、目の前に敵が迫ると、「エジプトにいた方が良かった」と叫ぶ。民が約束の地であるカナンに導き入れられたのは、40年後であった。12日で到達できる道のりを、彼らは40年間もかけて歩かされた。それは彼らに対する訓練であったと申命記は記す。
-申命記8:2-5「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた・・・この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」
・神は困難を私たちへの訓練として与えられる。
-ヘブル12:5-7「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
・神はその人が耐えうる範囲の試練を与えられる。
-汽灰螢鵐10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。・・・あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。
・信仰の目で見る時、遠回りの道こそ、祝福の道なのだ。だから、今、非常な困難の中にある人は喜べばよい「神はこの困難を私に下さったほどに、私を強くして下さった」と。
-ヤコブ1:12「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。」
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2016年10月20日祈祷会(出エジプト記12章、主の過越)
カテゴリートップ
出エジプト記(二巡目)
次
2016年11月3日祈祷会(出エジプト記14章、葦の海の奇跡)