すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.使命に伴うしるしが与えられる

・エジプトに行って民を救えと命じられたモーセはそれでもためらう。イスラエルの民が彼を指導者として受け入れるかどうかに確信が持てない。エジプトから逃れた時も、同胞の民が「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか」(2:14)と批判したからだった。
―出エジプト記4:1「モーセは逆らって、『それでも彼らは、“主がお前などに現れるはずがない”と言って、信用せず、私の言うことを聞かないでしょう」と言う」。
・神はモーセの言い分を聞かれ、彼に「しるしを行う力」を与えた。モーセが確かに神から派遣されていることを人々が確信できるように、である。
―出エジプト記4:2-9「主は彼に、『あなたが手に持っているものは何か』と言われた。彼が、『杖です』と答えると、主は、『それを地面に投げよ』と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になったのでモーセは飛びのいた・・・主は更に、『あなたの手をふところに入れなさい』と言われた。モーセは手をふところに入れ、それから出してみると、驚いたことには、手は重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた・・・『たとえ、彼らがあなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。しかし、この二つのしるしのどちらも信ぜず、またあなたの言うことも聞かないならば、ナイル川の水を汲んできて乾いた地面にまくがよい。川から汲んできた水は地面で血に変わるであろう。』」
・しるしは人を感嘆させるが、信仰には導かない。イスラエルの民は、一旦はモーセを信じるが、モーセの行為により自分たちが不利益を被ると、もうモーセの言葉を聞こうとはしなくなる。
-出エジプト記6:9「モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。」
・イエスは「金持ちとラザロ」の譬えの中で、地獄に落ちて生前の生き方を後悔する金持ちが、自分の兄弟たちに警告を発するためにラザロの派遣を願う金持ちに言われた「モーセと預言者を信じない者は、死者がよみがえっても信じないだろう」と。
-ルカ16:27-31「金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。私の父親の家にラザロを遣わしてください。
私には兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

2.モーセを無理やりに遣わされる主

・神は民が「聞いても聞かない、見ても信じない」ことを知っておられ、そのためにしるしを与えられた。それでもモーセは「自分は口が重い」として断る。神は「話すべき言葉をあなたに与える」と言われる。
-出エジプト記4:10「それでもなお、モーセは主に言った。『ああ、主よ。私はもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全く私は口が重く、舌の重い者なのです。』
・神は「話すべき言葉をあなたに与える」と言われる。神は「モーセがたとえ口が重くとも、語るべき言葉を与えるゆえに語れ」と言われる。
-出エジプト記4:11-12「主は彼に言われた。『一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なる私ではないか。さあ、行くがよい。この私があなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。』」
・指導者は雄弁である必要はない。ただ神の言葉を語るという畏れさえあれば十分なのである。それでもモーセは尻込みする。神は怒られたが、モーセの口の代わりにアロンを立てられた。神は人の抗弁や反抗さえ受け入れられ、人を用いてその業をなされる。そして「あるがままで」、人を任務に召し出される。
―出エジプト記4:13-17「モーセは、なおも言った。『ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。』主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。『あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。私は彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている・・・私はあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。』」

3.モーセ、エジプトに下る

・こうしてモーセはエジプトに下るために家族を連れて旅立った。
-出エジプト記4:19-20「主はミディアンでモーセに言われた。『さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。』モーセは、妻子を驢馬に乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。」
・その時、「主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた」とある。何が起きたのであろうか。
―出エジプト記4:24-26「途中、ある所に泊まった時、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、『私にとってあなたは血の花婿です』と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、その時、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。」
・多くの注解者は「モーセが重い病気にかかり、それは彼が割礼を受けていない故だと理解した妻チッポラが息子の割礼の血をモーセに塗り付け、モーセの割礼としたので救われた」と理解する。イスラエルにとって割礼は救いのしるしであり、エジプトからイスラエルの民を救い出すために、無割礼のエジプト人の長子たちが殺されていく。救済されるのは神に従うことを誓約した者(門柱に過ぎ越しの血が塗られた者)のみであることを事前に表象する出来事であろうか。
―出エジプト記4:22-23「あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルは私の子、私の長子である。私の子を去らせて私に仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、私はお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」
・血は命であり、誰かを救済するためには誰かが代わりに罪を負って死ななければならない。エジプトの長子がイスラエルを救うために贖いの犠牲としてささげられる。
―レビ記17:11「生き物の命は血の中にあるからである。私が血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。」
・なぜ、イスラエル救済のために、神はエジプト人の長子の血を必要とされたのか。現代の私たちには理解が難しい。エジプト王がイスラエルの男児をみな殺そうと企てたので(1:22)、その報復として神がエジプトの長子を打たれたという理解もありうるが、納得できない。しかし日本軍の真珠湾攻撃の報復として、アメリカは日本に無差別爆撃を行い、多くの子供たちの命が奪われたこともまた事実である。
-出エジプト記12:29-30「真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。」
・モーセは、兄アロンと共に主が語られた言葉を語り、しるしを行い、民は信じて、ひれ伏して礼拝した。民は、神が彼らの苦しみを見て彼らのために行為されると聞いて、感謝してひれ伏した。
―出エジプト記4:29-31「モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。」
・礼拝を促すのはしるしではなく、神の言葉だ。すなわち、神が彼らのために行為されたことを知った時、彼らは礼拝する。出エジプト記で民が礼拝するのはいつもそうであり、私たちの礼拝もそうだ。
―出エジプト記12:27「『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれた時、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。民はひれ伏して礼拝した。」
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