すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ヤコブが神の導きを求める

・ヨセフがエジプトの宰相になり、一族ともどもヤコブにエジプトに来ることを求めていると聞いて、父ヤコブはエジプト下りを決意する。
-創世記45:27-28「彼らはヨセフが話した通りのことを、残らず父に語り、ヨセフが父を乗せるために遣わした馬車を見せた。父ヤコブは元気を取り戻した。イスラエルは言った。『良かった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。私は行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。』」
・ヤコブはエジプトに下るためにヘブロンを出発し、約束の地を離れる許可を神からいただくために、一族の聖地ベエル・シェバに行き、神の名を呼んだ。
―創世記46:1−2「イスラエルは、一家を挙げて旅立った。そして、ベエル・シェバに着くと、父イサクの神にいけにえをささげた。その夜、幻の中で神がイスラエルに、『ヤコブ、ヤコブ』と呼びかけた。彼が、『はい』と答え(た)」
・ベエル・シェバはかつてアブラハムやイサクが祭壇を築いた場所である。その場所でヤコブはエジプト行きについての神の許しを求める。エジプトは祭儀的に汚れた地であり、アブラハムやイサクには「エジプトに下るな」と何度も命令されている。
―創世記26:1-2「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。その時、主がイサクに現れて言われた。『エジプトへ下って行ってはならない。私が命じる土地に滞在しなさい。』」
・しかしこのたびは、神はヤコブのエジプト下りを許可され、「自分も共にエジプトに下る」と言われた。聖書の神は、特定の神殿に鎮座します方ではなく、その民がエジプトにいてもバビロンにいても共におられる神(インマヌエル=共にいると言われる神)である。
―創世記46:3-4a「神は言われた。『私は神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。私はあなたをそこで大いなる国民にする。私があなたと共にエジプトへ下り、私があなたを必ず連れ戻す』」。
・神はヤコブに「私があなたを(エジプトから)連れ戻す」と語られる。この46章において族長物語(アブラハム−イサク-ヤコブ伝承)とヨセフ物語、出エジプト物語の三つの物語が交差している。「あなたを連れ戻す」との約束は、400年後の出エジプトで具現化する。聖書は、歴史は自分の代だけで終了するものではなく、仮に自分の生きている内に祝福が実現しなくとも、約束は果たされることを告げる。
―ヘブル11:13「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」
・また「ヤコブの目をヨセフが閉じる」ことも約束された。死者にとって最大の慰めは、近親者に見守られながら死ぬことであろう。ヤコブはその祝福を与えられた。
―創世記46:4b「ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」

2.ヤコブのエジプト下り

・ヤコブ一族はエジプトに下った。8節以下にその系図がある。
-創世記46:5-7「ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ファラオが遣わした馬車に父ヤコブと子供や妻たちを乗せた。ヤコブとその子孫は皆、カナン地方で得た家畜や財産を携えてエジプトへ向かった。こうしてヤコブは、息子や孫、娘や孫娘など、子孫を皆連れてエジプトへ行った」。
・ヤコブと共にエジプトに向かった人数は70人であった。70は完全数である。
―創世記46:27「46:27 エジプトで生まれたヨセフの息子は二人である。従って、エジプトへ行ったヤコブの家族は総数七十名であった。」
・歴史的には、セム族の一部が食糧を求めてエジプトに下った。今日的には難民の群れである。しかし、神は、その言葉に従い信仰の冒険をする民を通じて、歴史を導かれる。
―ヘブル11:8「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」。
・一行はゴセンの地に到着し、ヤコブは失われた息子ヨセフと22年ぶりに対面する。
―創世記46:28-29「ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした。そして一行はゴシェンの地に到着した。ヨセフは車を用意させると、父イスラエルに会いにゴシェンへやって来た。ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた」。
・ヨセフは一族がゴシェンの地に住めるように、彼らを遊牧民ではなく、定住者としてエジプト王に紹介する。遊牧民はしばしばエジプトに侵略し、エジプト人の警戒感が強かったからである。
-創世記46:31-34「ヨセフは、兄弟や父の家族の者たちに言った。『私はファラオのところへ報告のため参上し、カナン地方にいた私の兄弟と父の家族の者たちが私のところに参りました。この人たちは羊飼いで、家畜の群れを飼っていたのですが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えてやって来ましたと申します。ですから、ファラオがあなたたちをお召しになって、仕事は何かと言われたら、あなたの僕である私どもは、先祖代々、幼い時から今日まで家畜の群れを飼う者でございますと答えてください。そうすれば、あなたたちはゴシェンの地域に住むことができるでしょう。』羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである」。
・こうしてイスラエルの民はエジプトに住み、ヤコブへ約束されたように数を増し加えられていった。
―出エジプト記1:1-7「ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた」。

*歴史学から見るイスラエルの起源(マルティン・ノート「イスラエル史」より)
・イスラエルの民がかつてエジプトで奴隷であったこと、そしてモーセによって導かれて助け出されたことは、旧約聖書の多くの箇所で証言されており、歴史的事実に基づいていたことは確かであろう。ただし五書の記述の通りのことが起こったかどうかは疑問である。まず、この出来事を体験したのは、後のイスラエルを構成した全部族ではなく、その一部(多分ヨセフ族)であろう。創世記のヨセフ物語(37-48章)において、ヤコブの一家がエジプトに移住したという記事があるが、牧草を追って生活していた半遊牧民にはこのようなことがよくあったようである。カナン(パレスチナ)の自然条件はそれほど良くなく、雨期に雨が降らなければ、たちまち旱魃になり、動物の生命が危機にさらされた。一方、エジプトはナイル川が枯渇することはなく、食糧には恵まれていたからである。
・ヨセフ物語にあるエジプト移住は、エジプトがヒクソスの支配下にあった紀元前18-16世紀の頃と思われる。このヒクソス(「外国の地の支配者」の意)は、エジプト人でないセム系の一群の民族であったようであり、ヨセフの一家が厚遇を受けたということが事実であったとすれば、民族的な親近感からかも知れない。しかし、16世紀には、エジプト人のアモシスがヒクソスを追い出して、第18王朝を創始した。それに伴って、ヨセフ族への扱いも厳しいものになっていった、と思われる。出エジプト記1章8節「ヨセフのことを知らない新しい王」とあるが、これはラメセス二世(1290―1224年)と思われる。この王の時代に、ヨセフの子孫は、奴隷として虐げられた。この王は、国境線の防備のために、ピトムとラメセスの町を建造し(出エジプト記1・11)、そのために多くの外国人を強制労働につかせた。
・出エジプト記1章においてイスラエルの先祖が「ヘブル人」と言われている。これは民族を指すものではなくて、当時のオリエントの他の資料からも「アピル」とか「ハビル」と呼ばれていたものと同じもので、一種の社会層を表すものであった。自分の土地や市民権を持たず、外国に寄留し、そこの権力者によって強制労働などにつかされていた階層である。イスラエルの先祖は、エジプトにおいて、このような階層に属していた。彼らは、王の苛酷な扱いに耐えかねてエジプトから逃亡したのではあろう。その逃亡の最中にエジプト軍が追いかけて来たが、何かの自然現象によって、ヘブル人は助かった。この「海の奇跡」を、彼らは神の大いなる救いのみ手と信じ、この出来事を語り伝えて行くうちに色々な要素が付け加えられて行ったのであろう。このエジプト脱出の人々が、その後シナイに行って、神ヤハウェと契約を結ぶという記事になるが、本来は、この出エジプトとシナイ契約は別々の出来事であり、恐らくそれを担った人々も異なっていたであろう。
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