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2016年5月5日祈祷会(創世記39章、ヨセフとポティファルの妻)

1.エジプトに売られたヨセフ

・ヨセフはエジプトで王の侍従長ポティファルに奴隷として売られた。「主が共におられたので、ヨセフはポティファルの信頼を得た」と創世記は語る。
-創世記39:1-4「ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた」。
・ヨセフはその能力と忠実さによって主人の信頼を得て、家令として任じられた。彼は顔も美しく体つきも優れていた。主人の妻が彼に言い寄ったがヨセフは拒絶する。
-創世記39:5-9「主人は全財産をヨセフの手に委ねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。『私の床に入りなさい』。しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。『ご存じのように、御主人は私を側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべて私の手に委ねてくださいました。この家では、私の上に立つ者はいませんから、私の意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。私は、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう』」。
・主人の妻はそれでも毎日ヨセフに言い寄り、あるとき強引にヨセフに関係を迫った。ヨセフは彼女の手に着物を残して逃げる。主人の妻にとっては戯れでも、ヨセフにとっては命にかかわる出来事だった。
-創世記39:10-12「彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中にいなかったので、彼女はヨセフの着物をつかんで言った。『私の床に入りなさい』。ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た」。
・拒絶された妻は腹いせにヨセフを告発した。
-創世記39:13-18「着物を彼女の手に残したまま、ヨセフが外へ逃げたのを見ると、彼女は家の者たちを呼び寄せて言った『見てごらん。ヘブライ人などを私たちの所に連れて来たから、私たちはいたずらをされる。彼が私の所に来て、私と寝ようとしたから、大声で叫びました。私が大声をあげて叫んだのを聞いて、私の傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました』。彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。そして、主人に同じことを語った『あなたが私たちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷は私の所に来て、いたずらをしようとしたのです。私が大声をあげて叫んだものですから、着物を私の傍らに残したまま、外へ逃げて行きました』」。
・この事件を通してヨセフは古来の知恵の言葉を思い起こしたであろう。「人妻は貴い命を要求する」、姦淫は人の関係を破壊する。
-箴言6:23-26「戒めは灯、教えは光。懲らしめや諭しは命の道。それはあなたを悪い女から、異邦の女の滑らかな舌から守ってくれる。彼女の美しさを心に慕うな。そのまなざしのとりこになるな。遊女への支払いは一塊のパン程度だが、人妻は貴い命を要求する」。

2.神が共におられた

・怒った主人はヨセフを投獄した。その投獄された先は王の囚人をつなぐ獄舎であり、ヨセフが王の側近と知り合い、やがてエジプト王に仕える契機となる。しかしその時のヨセフにはその先は見えない。
-創世記39:19-20「『あなたの奴隷が私にこんなことをしたのです』と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた」。
・監獄の中でも主はヨセフと共におられたため、看守長もヨセフを信頼して全てを任せるようになる。
-創世記39:21-23「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手に委ね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。監守長は、ヨセフの手に委ねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである」。
・創世記39章には「主が共におられた」という言葉が5回も出て来る(2,3,5,21,23節)。全ての出来事を「主の導き」と信じる時に、出来事の意味が見えてくる。
-詩篇105:16-24「主はこの地に飢饉を呼び、パンの備えをことごとく絶やされたが、あらかじめ一人の人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ、首に鉄の枷をはめることを許された。主の仰せが彼を火で練り清め、御言葉が実現する時まで。王は人を遣わして彼を解き放った。諸国を支配する王が彼を自由の身にし、彼を王宮の頭に取り立て、財産をすべて管理させた。彼は大臣たちを思いのままに戒め、長老たちに知恵を授けた。イスラエルはエジプトに下り、ヤコブはハムの地に宿った。主は御自分の民を大いに増やし、敵よりも強くされた」。

3.神の経綸に従う

・ヨセフは主人の妻から言いがかりをつけられた時も、無実を訴えずに主人の妻の罪を自ら負う。神の摂理を信じる者は未来を神に委ねて生きることが出来る。
-箴言16:9「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」。
・ヨセフの獄中生活は2年間にも及んだ(41:1)。無実の罪での2年間は長い。彼の気持ちの中では希望と失望が交互していたであろう。私たちは「何かを期待する」信仰であり、願いが聞かれなければ信仰を捨てる。注解者V.リュティは「願いが聞かれない時こそ主が共におられる証拠だ」と語る。V.リュティは語る「艱難、災難、失望、欠乏は神が我々と共におられることへの反証ではない。むしろ、神が我々と共におられることの証拠だ」。
-創世記45:4-8「ヨセフは兄弟たちに言った『・・・私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです・・・神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です』」。
・与えられた出来事を災いと思う時、その出来事は人の心を苦しめる。しかし出来事を神の摂理と理解した時、新しい道が開ける。イスラエルの民は、エルサレムが占領され、信仰の中心だった神殿も破壊され、自分たちも遠いバビロンに連れ去られた時、神の導きが分からなかった。捕囚は七十年にも及んだため、「主よ、何故、私たちをこのように苦しめるのですか」と嘆いて、死んで行った人も多かった。しかし、この70年の試練を経て、イスラエル人は神の民として自立していく。旧約聖書が編集され、ユダヤ教が宗教として成立したのも、この捕囚の時代である。イスラエル人を捕囚したバビロン人は滅び、バビロンを滅ぼしたペルシャ人も滅び、そのペルシャを制圧したローマ人も滅んだ。しかし、ユダヤの民は今日でも民族として残り、その時代に編集された旧約聖書は、今日なお読み続けられて、人々に生きる力を与える。
-詩編119:71-72「卑しめられたのは私のために良いことでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました。あなたの口から出る律法は私にとって、幾千の金銀にまさる恵みです」。
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