すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  創世記(二巡目)  >  2016年3月24日祈祷会(創世記33章、エソウとヤコブの再会と和解)
1.エソウとの再会

・帰郷の旅にあるヤコブは兄エソウとの再会を恐れていた。ヤコブはかつて兄を騙して長子の祝福を受け、そのためエソウが自分を憎んで殺すのではないかと恐れていたからである。
―創世記32:12「どうか、兄エサウの手から救ってください。私は兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、私をはじめ母も子供も殺すかもしれません」。
・恐怖に震えるヤコブを励ますために、神が夢の中でヤコブに現れる。この出会いを通じて、ヤコブは「イスラエル」(神と共にいる者)に変えられていく。
−創世記32:29-31「その人は言った『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ』。『どうか、あなたのお名前を教えてください』とヤコブが尋ねると、『どうして、私の名を尋ねるのか』と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、『私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた」。
・いよいよ兄エソウとの再会の時が来た。ヤコブは家族を三つのグループに分け、ラケルとヨセフを最期に置いた。エソウが攻めて来ても最愛の者たちは助かるように、である。
―創世記33:1-3「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブはそれから先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した」。
・エソウは予想に反してヤコブを歓迎する。20年の歳月は憎しみを減じていた。エソウはヤコブに走りより、抱きしめて泣いた。恐ろしいと思っていた兄が、善意に満ちた兄であったことをヤコブは見出す。
―創世記33:4「エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた」。
・ヤコブはエソウに自分の家族を紹介する。
−創世記33:5-7「やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた『一緒にいるこの人々は誰なのか』。『あなたの僕である私に、神が恵んでくださった子供たちです』ヤコブが答えると、側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、次にレアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後にヨセフとラケルが進み出てひれ伏した」。
・ヤコブは先に死の恐怖と不安の中で神に出会い、思いがけない祝福を与えられた。今回は、恐ろしいと思っていた兄の善意を見て、驚いた。エソウが来たのは復讐や争いのためではなく、弟の帰郷を歓迎するためだった。神の守りに対する驚きがヤコブの心に広がった。
―創世記33:8-11「エサウは尋ねた『今、私が出会ったあの多くの家畜は何のつもりか』。ヤコブが『御主人様の好意を得るためです』と答えると、エサウは言った『弟よ、私のところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい』。ヤコブは言った『いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、私には神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えてくださったのですから。どうか、持参しました贈り物をお納めください。神が私に恵みをお与えになったので、私は何でも持っていますから』。ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った」。

2.エソウを信じきれないヤコブ

・それでもヤコブはエソウを信じきれない。セイルに行って共に住もうというエソウの誘いをヤコブは断る。ヤコブはエソウの許に遅れて行くと言ったが、実際は行かない。まだヤコブはずる賢い人のままだ。
―創世記33:12-14「それからエサウは言った『さあ、一緒に出かけよう。私が先導するから』。『御主人様。ご存じのように、子供たちはか弱く、私も羊や牛の子に乳を飲ませる世話をしなければなりません。群れは、一日でも無理に追い立てるとみな死んでしまいます。どうか御主人様、僕におかまいなく先にお進みください。私は、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み、セイルの御主人様のもとへ参りましょう』」。
・エソウは南のセイル(エドム)に帰ったが、ヤコブは行かず、西のスコテに行き、そこに住んだ。
―創世記33:16-17「エサウは、その日セイルへの道を帰って行った。ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作った。そこで、その場所の名はスコト(小屋)と呼ばれている」。
・ヤコブはスコテからシケムに向かい、そこに祭壇を築き、神の名を呼んだ。
―創世記33:18-20「ヤコブはこうして、パダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエル(イスラエルの神は神である)と呼んだ」。
・ヤコブはやがてシケムを離れ、ベテル(神の家)に向かい、そこで神の祝福を受ける。アブラハムの神、イサクの神が今、ヤコブの神となり、彼は名をイスラエル(神に勝たれる者)と名づけられた。
―創世記35:12-15「『私は、アブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える』。神はヤコブと語られた場所を離れて昇って行かれた。ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。そしてヤコブは、神が自分と語られた場所をベテルと名付けた』」。
・ヤコブはヘブロンの父イサクのもとに帰り、やがて死ぬイサクをヘブロンの墓所に葬った。
-創世記35:27-29「ヤコブは、キルヤト・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところへ行った。そこは、イサクだけでなく、アブラハムも滞在していた所である・・・イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った」。
・ヤコブは後に飢饉のためエジプトに行くが、自分の死後に骨は故郷ヘブロンに持ち帰るようにヨセフに命じて、その地で死んだ。彼は祖父アブラハム、父イサクの眠る墓所に葬られた。
―創世記47:29-30「イスラエルは死ぬ日が近づいた時、息子ヨセフを呼び寄せて言った『もし、お前が私の願いを聞いてくれるなら・・・どうか、私をこのエジプトには葬らないでくれ。私が先祖たちと共に眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい』。ヨセフが『必ず、おっしゃるとおりにいたします」と答えた」。

3.ヤコブはエソウと和解したのだろうか

・ヤコブはエソウと和解したのだろうか。創世記33章にあったのはエソウからの一方的な赦しであったように思える。
―創世記33:4「エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた」。
・しかしその一方的な赦しを可能にしたのは神の計らいであろう。恐れまどうヤコブを励まし、エソウに立ち向かうようにされた神の働きがそこにある。それは放蕩息子に帰郷を促す神の導きであった。
-創世記31:3「主はヤコブに言われた『あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。私はあなたと共にいる』」。
・真正面から敵に向かい合う時、敵意が好意に変わりうる。ヤコブは神に出会うことを通してエソウと和解することができた。私たちも同じである。
-2コリント5:17-19「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通して私たちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務を私たちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです」。
・和解は人と人が向き合うことを通して為される。今、刑事裁判において「修復的司法」の必要性が叫ばれている。現代の司法では、犯罪は「法」という国家秩序の侵害と位置づけられ、罪の確定とそれに相応する合理的な刑罰の確定が中心に置かれる。その結果、被害者のニーズではなく、国家のニーズのなかで、審理は進められる。それに対して米国のメノナイト教会から聖書の和解をモデルにした「修復的司法」が生まれ、被害者・加害者和解プログラムが準備される。現代の司法にあっては被害者が不在であるだけでなく、加害者にも矯正の機会はあっても赦しの機会はない。「裁き」が何の解決であるべきかという、いちばん基本的な問いを修復的司法は示す。
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