すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.従う人イサク

・創世記はアブラハム、イサク、ヤコブの父祖たちの物語を記すが、この内アブラハムには12章〜25章までの13章が当てられ、ヤコブには27章〜50章までの大きな部分が割かれている。一方、イサクについて書かれているのはこの26章のみで、イサクは、アブラハム、ヤコブに比べて、影が薄い。しかし26章の記事を読むと、イサクにはアブラハム、ヤコブにない信仰の実、「柔和と寛容」があるように思える。
・アブラハム死後、イサクは二代目族長として一族郎党を率いる。彼はカナン南部の山岳地帯ネゲブに住んでいたが、その地に飢饉があったため、水と食料を求めてエジプトに避難しようとする。エジプトに行くためには通常は「海の道」を通り、その途上のゲラル(現在のガザ地域)を通過する。ところが、ゲラルに着いた時、イサクは「エジプトに下るな」という主の命令を受ける。
―創世記26:1-3「この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。そのとき、主がイサクに現れて言われた『エジプトへ下って行ってはならない。私が命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、私はあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓った私の誓いを成就する』」。
・イサクはゲラルに住むが、そこで過ちを犯す。イサクは妻リベカが美しいことに危機感を持ち、彼女を妻ではなく妹と偽って身の安全を図ろうとする。
−創世記26:6-7「そこで、イサクはゲラルに住んだ。その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねた時、彼は、自分の妻だと言うのを恐れて、『私の妹です』と答えた。リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに自分を殺すのではないかと思ったからである」。
・アブラハムも妻サラを妹と偽って身の安全を計ったことがある(創世記12章、20章)。親子二代で同じ罪を犯したのだろうか。何らかの出来事はあったのだろう。十分な武装能力を保持しない寄留者が他国に滞在する時の不安と怯えが伝承を生んだ背景にある。幸いなことに、主の保護のもとにイサクとリベカの安全は保たれた。
−創世記26:9-11「アビメレクは早速イサクを呼びつけて言った『あの女は、本当はあなたの妻ではないか。それなのになぜ、私の妹ですなどと言ったのか』。『彼女のゆえに私は死ぬことになるかもしれないと思ったからです』とイサクは答えると、アビメレクは言った『あなたは何ということをしたのだ。民のだれかがあなたの妻と寝たら、あなたは我々を罪に陥れるところであった』。アビメレクはすべての民に命令を下した『この人、またはその妻に危害を加える者は、必ず死刑に処せられる』」。
・約束どおりに主はイサクを祝福され、イサクは豊かになった。導きに従う時、祝福が伴う。旧約において祝福は「目に見える形での富と繁栄」を意味する。
―創世記26:12-14a「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクが主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになった」

2.柔和の人イサク

・しかし、そのことがゲラルの民の妬みを招き、イサクは出ていくように命じられる。
―創世記26:14b-16「ペリシテ人はイサクを妬むようになった。ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。アビメレクはイサクに言った『あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい』」。
・ペリシテ人たちからの退去命令は承服できかねる圧力だった。土地を明け渡すことは、ゲラルに定住して得た多くの富を失うことであり、また神からいただいた祝福が反故にされることだった。イサクは反論出来たが、彼は何も言わずにそこを去り、ゲラルの谷に移動する。
―創世記26:17-18「イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた」。
・イサクは埋められた井戸を掘り直し、その一つから豊かな水が湧き出てきた。するとゲラルの羊飼いたちは「その水は我々のものだ」として、イサクの羊飼いと争う。イサクはその井戸をエセク(争い)と名づけて譲渡し、場所を移動する。イサクはやがてもう一つの井戸も掘り当てるが、それについてもゲラルの人々は所有権を主張してきた。イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名づけ、また場所を移動して新しい井戸を掘る。
−創世記26:19-21「イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、ゲラルの羊飼いは、『この水は我々のものだ』とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。彼らがイサクと争ったからである。イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた」。
・僅かな道具を用いて岩山を掘り崩す井戸掘りは大変な労力を要したが、彼は井戸を掘り続け、今度は争いは起きなかった。ゲラルから離れた場所まで来たからだ。イサクは井戸を「レホドト(広い場所)」と名づける。
−創世記26:22「イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、『今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった』と言った」。
・主はそのようなイサクにさらに祝福をお与えになる。
−創世記26:23-25「イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。その夜、主が現れて言われた『私は、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。私はあなたと共にいる。私はあなたを祝福し、子孫を増やす、わが僕アブラハムのゆえに』。イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った」。
・イサクの井戸掘り物語はペシャワール会・中村哲氏の活動を想起させる。彼は元々医者で、パキスタン・アフガニスタン国境の町ペシャワールのハンセン病患者治療のために派遣された。しかし、いくら治療しても患者は減らず、逆に増えて行く現実の中で、今必要なことは医療よりも、病気の原因である飢餓と不衛生な水の摂取を減らすことだと知った。彼はまず井戸を掘って衛生的な水を供給し、次に水路建設を行って砂漠を農地にする。彼は1000に近い数の井戸を掘り、また10年間をかけてインダス川支流から水路を引き、かつて「死の谷」と呼ばれた砂漠が、今では緑の地に変っている。中村哲氏は、「現代のイサク」と言えるのではないか。

3.平和の人イサク

・やがてイサクを迫害したゲラル王がイサクを訪問する。ゲラル王は「主があなたと共におられることがわかった」ので、お互いに侵略しないという不可侵条約を結ぼうと提案してくる。自分の権利を主張せず相手に譲りながら、それでも所期の目的を忘れず井戸を掘り続け、掘った井戸全てから豊かに水が与えられるのを見て、異邦人の王はそこに「神の業」を感じた。
―創世記26:28-29「彼らは答えた『主があなたと共におられることがよく分かった。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です』」。
・この世の利益を求めない者に神は豊かな祝福を下さる。イサクはベエル・シェバでも豊かな水を与えられた。
―創世記26:31-33「次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去って行った。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、『水が出ました』と報告した。そこで、イサクはその井戸をシブア(誓い)と名付けた。そこで、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバ(誓いの井戸)といわれている」。
・創世記26章のイサクは譲歩を繰り返す。信仰の目から見れば、イサクの行為こそが、「平和な人」の有り方である。イサクは神が「この地をあなたとあなたの子孫に与える」と言われた約束を信じ、周りの人たちと争いなく生活出来る場が与えられるはずだと思った。争いが起こる間はまだそこは神が用意された場所ではない、だから譲歩して新しい井戸を掘った。そして誰からも異議が出なくなった時、そこを自分のものとした。信仰が本物になる時、これは自分が切り開いた畑だ、これは自分が掘った井戸だという思いから解放される。
・現代のイスラエル人はイサクの子孫である。現代のパレスチナ人はアビメレクの子孫である。イスラエル人は「ここは神が与えると約束された土地だ」として、武力でパレスチナ人の土地を奪い取ってきた。それに対して、パレスチナ人たちは、テロ行為で反撃してきた。イサクが寄留したゲラルの地が現代の紛争地帯ガザ地区にあることは象徴的だ。戦後70年以上も解決しないパレスチナ紛争は、創世記26章の中に解決の糸口があるのではないか。「柔和な人々は幸いである」、報復しない、やり返さない、紛争解決にはこれしかないのではないか。
-詩編37:11「柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる」(口語訳)。
-マタイ5:5「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐであろう」。
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