すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.約束の遅延にいら立つ人間の業

・アブラハムは「子を与える」との約束を神から受け、それを信じた(15:4)。しかし妻サラは不妊で子供が生まれる気配もない。アブラハムとサラは約束の成就を待ち切れず、自分たちの力で神の約束を満たそうとした。
―創世記16:1-3「アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った『主は私に子供を授けてくださいません。どうぞ、私の女奴隷のところに入ってください。私は彼女によって、子供を与えられるかもしれません』。アブラムは、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった」。
・妻に子が産まれない時、側女に子を産ませて世継ぎを得ることは許されていた。しかし相続の際には紛争が生じ、申命記はその処理規定を設けている。律法もやむを得ないものとして多妻制を認めている。
-申命記21:15-17「ある人に二人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられた。愛された妻も疎んじられた妻も彼の子を産み、疎んじられた妻の子が長子であるならば、その人が息子たちに財産を継がせるとき、その長子である疎んじられた妻の子を差し置いて、愛している妻の子を長子として扱うことはできない。疎んじられた妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から二倍の分け前を与えねばならない。この子が父の力の初穂であり、長子権はこの子のものだからである」。
・側女に子が生まれ正妻に子がなければ、側女は正妻を見下すようになる。アブラハムの家でも妊娠したハガルが正妻サラを下に見るようになり、嫉妬に狂ったサラはハガルを追放するようアブラハムに迫る。
創世記16:4-5「アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。サライはアブラムに言った『私が不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのは私なのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、私を軽んじるようになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように』」。
・サラとアブラハムが為したことは、約束の成就を待たずに、自力で解決しようとしたことだった。二人は「子を授かる」のではなく、「子を造る」ことを選択した。現在でも子のない夫婦は不妊治療を行ってでも子を持とうとする。子供なしには家族とは言えないのだろうか。難しい問題だ。
-不妊治療を行った男性からの告白「40歳を過ぎた頃から、学生時代の友人と飲みに行くと、必ず『不妊治療』の話になった。妻の必死な姿を日々目の当たりにしているから、安易に『止めよう』とは言えない。僕も授かれるものなら授かりたいという気持ちもある。ただ、僕は途中から『無理だろう』ということはわかっていた。人工授精も、体外受精もやったが、何度も妻は流産した。それでも、彼女が諦めの境地に達するまでは、僕からは『終わりにしよう』とは言えなかった。彼女が自分を責め、あらゆる努力をしていたのを間近で見ていたからだ。その頃は、家に帰るのが辛かった。私たちが不妊治療を終焉させることが出来たのは、妻が45歳を過ぎてからだ。一般的な年齢よりかなり早く、更年期障害になった。それで妻は、ようやく、残りの人生を二人で過ごしていく踏ん切りをつけることができた」(朝日新聞2015年10月23日)。
・アブラハムはハガルの追放を黙認し、サラはハガルを家から追い出す。これが「信仰の父」(ヘブル11:17)と言われ、「信仰の母」(1ペテロ3:6)と言われた二人が行ったことだ。創世記は二人の醜さを隠さない。二人も私たちと同じように、過ちを犯し続けながらも主の名を呼び続けた
-創世記16:6「アブラムはサライに答えた。『あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい』。サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた」。

2.小さきものに目を留められる神

・ハガルは逃げて砂漠をさまよう。そのハガルに主の使いが現れ、元いた場所に帰るように促す。
―創世記16:7-9「主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った『サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか』。『女主人サライのもとから逃げているところです』と答えると、主の御使いは言った。『女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい』」。
・彼女は女奴隷であり、故郷のエジプトに戻っても保護してくれる家はなかったであろう。彼女はアブラハムの天幕に帰る以外に子供を安全に生む道はなかった。主は使いを通して、「私があなたと生まれてくる子を守る」と語られる。
-創世記16:10-12「主の御使いは更に言った。『私は、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす』。主の御使いはまた言った。『今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。 彼は野生の驢馬のような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので、人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす』」。
・イシュマエル、「神聞きたもう」の意味である。当時の世界では奴隷は人の数にも入らなかった。しかしそのような女奴隷さえも気にかけてくださった神に、ハガルは感謝し、神を「エル・ロイ」と呼んだ。
-創世記16:13-14「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、『あなたこそエル・ロイ(私を顧みられる神)です』と言った。それは、彼女が、『神が私を顧みられた後もなお、私はここで見続けていたではないか』と言ったからである。そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある」。
・ハガルはアブラハムの天幕に戻り、アブラハムとサラも事の次第を聞いて悔い改め、ハガルを迎え入れ、彼女は子を産む。その子はイシュマエルと名付けられた。
-創世記16:15-16「ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった」。
・このイシュマエルがアラブ人の祖となる。神はアラブ人さえも祝福されている。今日のイスラエルではアラブ人(パレスチナ人)は迫害されているが、これは聖書的には間違った行為である。アラブ人もユダヤ人も共にアブラハムの子なのだ。
-創世記25:7-9a「アブラハムの生涯は百七十五年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った」。
・人がこの神(エル・ロイ=私を顧みられる神)を見出した時、どのような境遇の中にも帰っていくことができる。それはヨブが苦しみの中で見出した神であった。
―ヨブ記36:15「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」。
・この神こそが、放蕩息子が立ち返ることを待ち望まれる神である。
ルカ15:20-21「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。」
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