すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.神は人を他者と向き合うものとして造られた

・創世記は2章4節から1章の創造物語とは別の視点での人間の創造を描く。3章は2章と一体となった物語だ。神は人を土の塵で造られたと創世記2章は語る。人は神の前では塵のような存在であり、自分の命を左右することも出来ないし、死ねば土に返っていく存在に過ぎない。その無価値な存在に、神は生命の息を吹き込まれた。
-創世記22:7「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」。
・神の息が吹き込まれて、人は生きる者になった。その人に、神は園を耕し、管理する業を委ねられた。神は人のために植物や動物を創造されたが、何かが足らない。そのために人と向き合う存在として女を造られた。
-創世記2:18-22「人が独りでいるのは良くない。彼に合う、助ける者を造ろう・・・人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」。
・共に生きる者として女が創造され、男と女は本能的に相手を求め合い、その結果として二人は一つになり、それが子という命を生み出していく。人は女を与えられた時、「これこそ私の骨の骨、肉の肉」と呼ぶ。女が創造される事によって、人は一人ではなく、助け手と共に生きる存在となった。
-創世記2:23-24「人は言った『ついに、これこそ私の骨の骨、私の肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから』。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」。

2.他者と共に生きることが出来ない罪

・しかし、この関係が罪を犯すことによって変化していく。2章9節には「園の中央には命の木と善悪を知る知識の木が植えられた」ことが記され、17節「善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死ぬ」と命じられる。しかし、人は、禁じられたその実を食べてしまう。そのことの責任追及が3章の主題だ。
-創世記3:1-6「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った『園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか』。女は蛇に答えた『私たちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました』。蛇は女に言った『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ』。女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
・こうして罪が人の中に入ったと創世記3章は語る。罪を犯した者は神の目から逃げようとする。
-創世記3:7-10「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた『どこにいるのか』。彼は答えた『あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。私は裸ですから』」。
・人は妻が与えられた時、「私の骨の骨、肉の肉」と呼び、これを愛した。しかし、人が禁断の木の実を食べ、「食べるなと命じた木から食べたのか」と責任を問われるようになると、彼は「あなたが私と共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と答える。彼は責任を妻に転嫁する。
-創世記3:11-12「神は言われた『お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか』。アダムは答えた『あなたが私と共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました』」。
・彼の言葉の中には、神に対する非難がある「あなたが妻を与えなければこのような罪を犯さなかった。悪いのはあなたではないか」。ここにおいて、人は他者との関係が破れただけではなく、神との関係も破れた。女も言う「蛇がだましたので、食べました」。「私が悪いのではない。あなたが蛇さえ創らなければ罪を犯さなかった」。「私が悪いのではない。神様、あなたが悪いのだ」、被造物である人間が創造主である神を非難している。
-創世記3:13「主なる神は女に向かって言われた『何ということをしたのか』。女は答えた『蛇がだましたので、食べてしまいました』」。

3.楽園追放

・ここにおいて、人間の罪とは何かが明らかにされる。人間の罪は、神が「食べてはいけない」と禁止されたものを食べたことにあるのではない。過ちを犯してもそれを自己の責任として受け止めることができず、その責任を他者に、最後には神のせいにしてまで逃れようとする。そこに罪の原点がある。罪とは過ちを犯すことではなく、その過ちを認め、謝罪できないところにある。だから、神は人を楽園から追放することを決められる。楽園に住むには人はあまりに幼く、外に出て成長する必要があったからだ。しかし、楽園追放は罪に対する呪いではない。「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた」。神は着物を人間のために用意し、彼らを保護した上で追放された。つまり死ぬべき人を生かそうと決意された。
-創世記3:20-24「アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。主なる神は言われた『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある』。主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた」。
・人は楽園を追放され、額に汗して地を耕す者になる。地を耕して初めて、太陽と雨がなければ収穫はなく、それは人の力では支配出来ないもの、ただ神の恵みにより与えられる事を知る。楽園の外に出ることを通して、初めて人は神の恵みを知り、神を求める者に変えられていった。
-創世記3:17-19「神はアダムに向かって言われた『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る』」。
・女も同じだ。女は苦しんで子を産むことを通して、死ぬべき存在であるのに、生命の継承を許して下さる神の恵みを知る。労働は苦しみであり、出産もまた苦しみだが、その苦しみを通して、本当の喜びを知る道を、神は与えて下さった。人は楽園追放を通して、初めて神の愛を知る。失楽園は決して呪いではなく、祝福なのである。人は過ちを通して成長していく、ここから人間の歴史が始まったと創世記は語る。
-創世記3:16 「神は女に向かって言われた『お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』」。
・私たちは創世記の物語をバビロニアの創造神話や日本の古事記のような神話として聴く時、それは私たちの生き方とは関わりがない物語に終わる。そうではなく、私たちが創世記を、古代イスラエル人の信仰告白として聴く時、すなわち人は何故、他者を愛することが出来ないのか。人は何故、他者と向き合って生きることができないのかを聴く時、自分の本当の姿=罪を知り、その罪からの解放を求めるようになる。
・イエスは二人の犯罪人と共に十字架につけられた。罪人の一人は自分の罪を悔い、「このような私でも天国に行くことは出来ますか」とイエスに懇願する。それに対してイエスが言われた言葉が「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言う言葉だ。この楽園=ギリシャ語パラデイソスはヘブル語のパルデス(園)から来る。エデンの園である。イエスは天の御国を楽園として語られている。旧約聖書はイスラエル民族の歴史を描いた書であり、人の歴史は争いの歴史だ。創世記3章は男女の争いを語り、創世記4章は兄弟の争いを語り、出エジプト記は民族の争いを語る。人は他者を愛することが出来ない。だから争いが起き、苦しみが始まる。そこに私たちの原罪がある。その原罪を十字架につけない限り、平安はない。だから私たちはキリストを仰ぐ。キリストの十字架死によって、私たちは贖われ、楽園=神の国の平安に入る。
-ルカ23:42-43「そして『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出して下さい』と言った。するとイエスは『はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる』と言われた」。
・イエスは最後の晩餐の席上でも楽園について語られる。最初の人アダムは人を愛することが出来なかった故に楽園を追われた。私たちもアダムの末として人を愛することが出来ない故に、天の楽園に戻ることは出来ない。その私たちのためにイエスが十字架で死なれ、十字架を通して、天に戻る道を与えられた。
-ヨハネ14:2「私の父の家には住む所がたくさんある。あなたがたのために場所を用意するために私は天に帰る」。
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