すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  コヘレト(二巡目)  >  2015年6月4日祈祷会(コヘレト7:1-14、自らの限界をわきまえて生きる)

1.死で終わる人生の現実の中で

・コヘレトは語る「名声は香油に優るが、死ぬ日は生まれる日に優る」と。名声は香油に象徴されるこの世の富に優るという諺に、コヘレトは「死ぬ日は生まれる日に優る」と付け加える。生の労苦が始まる誕生の時よりも、労苦の終わる死の時が好ましいとのコヘレト的厭世観なのだろうか。
−コヘレト7:1「名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる」。
・死が命に優る故に、酒宴よりも弔いの席が、笑いよりも悩みの方が、好ましいとコヘレトは語る。一見逆説の様であるが、真実である。結婚式の説教は誰も聞かないが、葬儀説教には皆が耳を傾ける。その日がやがて来ることを知るからだ。
−コヘレト7:2-3「弔いの家に行くのは、酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ。悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ」。
・死は人生の終わりであるが、知恵は「逃れられない死の現実」から人生を考えよと示す。当時の人々の平均寿命は30歳に達せず、いつも死を覚えて今を生きてきた。その短い人生は間延びした現代の長い人生よりも充実していたのではないかと思える。死を受容しない限り、真実な人生は生まれない。まさに「Memento mori(死を覚えよ)」である。
−コヘレト7:4「賢者の心は弔いの家に、愚者の心は快楽の家に向かう」。
・井上良雄は「復活後の時の中で」という説教(1973.04.29,信濃町教会主日礼拝説教)の中で、死を隠して生きる現代人の幸福の限界について語った。死を語ることを恐れる人生は真実ではない。
-井上良雄・復活後の時の中で「私たちは1週間前の礼拝で、『主は甦られた』ということを聞いた。しかしこの1週間の生活は前と何も変わらなかった。小さな悲しみと小さな喜びの中で、一喜一憂しながら、生活を続けた。復活の使信を聞いたのに、何故何も変わらなかったのだろうか。復活直後の弟子たちは、『イエスが復活された』との知らせを聞いたのに、戸を閉めて隠れていた。彼らを支配していたのは喜びではなく、恐怖だった。それは復活の知らせを聞いても引きこもっている私たちと同じではないか。パスカルは語った『人間は死と悲惨を癒やすことが出来ないので、自分を幸福にするためにそれらを考えないようにした』。岡本太郎もある時に語っている『私たちは死の前に衝立を置いて、そのこちら側で営まれている生活を幸福な生活とよんでいる。本当の幸福はそのような貧弱な幸福ではないではないか』」。

2. 神の支配の中で中庸を求める

・7:5-7は賢者と愚者の間にある大きな隔たりを語る。賢者の叱責は知恵の始めであるが、愚者の果てしないおしゃべりは何の価値もない。
−コヘレト7:5-6「賢者の叱責を聞くのは、愚者の賛美を聞くのにまさる。愚者の笑いは鍋の下にはぜる柴の音。これまた空しい」。
・しかしその賢者も迫害の中では変節し、賄賂を貰えば人生を狂わせる。戦前の日本やドイツにおいて反戦を唱えていた新聞や雑誌も戦争賛美に変わり、現代の大学教授も簡単に金や権力になびく。研究費の不正流用や論文の捏造はありふれている。知恵と知識は異なるのだろうか。
−コヘレト7:7「賢者さえも、虐げられれば狂い、賄賂をもらえば理性を失う」。
・知恵と知識は異なる。知恵のある者は自分が逆境の時には変節しかねないことを認識する。知恵は知識を超える。人生を意味あるものにするのは知識ではなく知恵だ。
-箴言30:8-9「むなしいもの、偽りの言葉を、私から遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、私のために定められたパンで、私を養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、私の神の御名を汚しかねません」。

3.自らの限界を知る生き方

・コヘレトは死を意識し、終わりという視点から、人生の意味を見出そうとする。彼にとって今をどう生きるかが、終わりをどう迎えるかより重要な生き方になる。彼が勧めるのは忍耐と平静である。
−コヘレト7:8-9「事の終りは始めにまさる。気位が高いよりも気が長いのがよい。気短に怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの」。
・愚か者は現在よりも過去を懐かしむ。現在がつまらないからだ。しかし、過去への愛着は現在の価値を減じる。それよりも「現在を如何に生きるかを考えよ」とコヘレトは語る。過去は過去であり、変えられない。
−コヘレト7:10「昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない」。
・知恵は与えられた遺産よりも価値がある。何故ならば、知恵は所有者に死を見つめる心を与え、それによって人はどのような逆境の中でも生きる力を与えられる。
−コヘレト7:11-12「知恵は遺産に劣らず良いもの。日の光を見る者の役に立つ。知恵の陰に宿れば銀の陰に宿る、というが、知っておくがよい、知恵はその持ち主に命を与える、と」。
・人間は神の業を見極めることが出来ない。何故喜びの後に悲しみがあるのか、何故人生にはこんなにも苦難があるのか、人にはわからない。その人間にできることは、神が曲げたもの=現実を受け入れる平静さではないかとコヘレトは語る。
−コヘレト7:13-14「神の御業を見よ。神が曲げたものを、誰が直しえようか。順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ、人が未来について無知であるようにと、神はこの両者を併せ造られた、と」。
・神が幸福を与えてくれるのであれば、不幸をも受け入れるべきだと知恵は言う(ヨブ記2:20)。それはそうだ、だが人はそれが出来ない。その時、響いてくる歌がある。ポール・マッカートニーの作詞した「あるがままに、Let it be」だ。平静さを教える歌だ。
-2014年3月5日説教から「ポール・マッカートニーの作った「Let it be」は名曲として知られていますが、最初の歌詞は次のようになっています。「When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom ,Let it be. And in my hour of darkness, She is standing right it front of me Speaking words of wisdom, Let it be.」母マリアとはもちろんイエスの母マリアです。同時にポールの母親の名前はマリア(メアリー)であり、彼女は熱心なカトリック教徒で、ポール自身もカトリックの洗礼を受けています。母メアリー・マッカトニーはポールが14歳の時に亡くなっています。ポールがこの曲を書いた時、ビートルズは解散の危機にありました。書かれたのは1970年、ポールとジョン・レノンの考え方の違いから、もう一緒にはやっていけないのではないかと双方が思い始めていた時です。その時、夢枕に母メアリーが現れた。そして「全てを神様に委ねなさい」と彼に言った。その母からの言葉が、「Let it be」です。「Let it be」を「なるがままに」と訳すれば希望を失った人の言葉です。「御心のままに」と訳した時、この歌の本当の姿が見えてきます。私たちの人生には不条理があります。理解できない苦しみや災いがあります。希望の道が閉ざされて考えもしなかった道に導かれることもあります。しかしその導きを神の御心と受け止めていった時に、苦しみや悲しみが祝福に変わる経験を私たちはします。「御心のままに」とは、幸福も不幸も神の摂理(計画)の中にあることを信じて、その現実を受入れることです。救いはそこから始まります。「御心のままに」、「Let it be」、ここに聖書の信仰があります。ビートルズの「Let it be」は現代の賛美歌なのです」。
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