すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  コヘレト(二巡目)  >  2015年5月28日祈祷会(コヘレト6章、人生の幸・不幸とは何か)
1.富と財と名誉は人を幸福にするのか

・コヘレトは世間で言われている神の摂理を信じない。世の人々は「富と財と名誉」こそ、人生の目標だと言うが、コヘレトは反論する「人はそれらのものを墓場まで持っていけないではないか」と。
−コヘレト6:1 -2「太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのを私は見た。ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なことだ」。
・ある人が労苦して富を形成しても、その富を楽しむのは、何の労苦もしなかった相続人である。「これは空しいことではないか」とコヘレトは前にもつぶやいた。
−コヘレト2:18「太陽の下でしたこの労苦の結果を、私はすべて厭う。後を継ぐ者に残すだけ、なのだから。その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下で私が知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ・・・知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ」。
・相続とは何なのか、相続人は先人の富や財を受け継ぐが、それは当然の権利なのだろうか。政界や財界では二世や三世が大手を振って歩く。仏教寺院は世襲が当然であるし、教会の牧師も二世、三世が増えてきた。
−ピケティ・21世紀の資本論から「理論の核心を表す数式はr>gである。資本主義下では、r(資本収益率)はg(経済成長率)を常に上回る、つまり、投資で得られる利益の伸び率は、労働賃金の上昇率を上回る。その結果ますます富んだ富裕層が、資産を子孫に残すので、所得の格差を決めるのは個人の能力ではなく、世襲で相続した資本となる。この「世襲型資本主義」が復活し、世襲による階級が復活しつつある、とピケティは言う。「r>g」の社会では、資本収益率、株や不動産、債券などへの投資によって得られる利益の伸び率が賃金伸び率(経済成長率)を上回るため、貧富の格差が一段と広がる(ピケティは、21世紀後半に向け、資本収益率は4%台前半となる一方、経済成長率が1・5%に低迷すると予想する)。
・旧約の世界では長寿こそ人の幸せと言われてきた。コヘレトはそれに疑問を投げかける。「長寿を全うしても、大勢の子に恵まれても、やがて死ぬのだからそれが何になろう。長寿が人を幸せにするのか」と。
-コヘレト6:3-5「人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず、死んで葬儀もしてもらえなかったなら、流産の子の方が好運だと私は言おう。その子は空しく生まれ、闇の中に去り、その名は闇に隠され、太陽の光を見ることも知ることもない。しかし、その子の方が安らかだ」。
・日本人の平均寿命は戦前には50歳だったが、戦後は80歳まで伸びた。しかしそれは、延命治療により「ただ生かされている生」、あるいは認知症で「生きているだけの生」を伴って伸びてきた。寿命の伸びが人々を幸せにしてきただろうか。コヘレトの問いかけは現在の私たちにも説得力を持つ。
−コヘレト6:6「たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、何になろう。すべてのものは同じ一つの所に行くのだから」。

2. 飽くなき欲望は人を不幸にする

・コヘレトは飽くなき欲望が人間を苦しめていると語る。口は満たされることがない。美味しい物も食べ飽きると喜びではなくなる。
−コヘレト6:7「人の労苦はすべて口のためだが、それでも食欲は満たされない」。
・学んで知恵を得てもそれで幸せになるのではない。勤勉が富を生み、その富が人を幸せにしないとしたら、勤勉という賢者の知恵も空しい。与えられたものに満足すればそれは恵みだが、多くの場合人は満足できず、もっとほしいと思う。貪欲が人を不幸にしている。
−コヘレト6:8-9「賢者は愚者にまさる益を得ようか。人生の歩き方を知っていることが貧しい人に何かの益となろうか。欲望が行きすぎるよりも、目の前に見えているものが良い。これまた空しく、風を追うようなことだ」。
・無限欲望は地獄の世界だ。現代人は「衣食足りて礼節を失う」。何故あるもので満足できないのだろうか。テモテ書の言葉「食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです」は現代人の心に響く。
−1テモテ6:6-8「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです」。

3.わからない時には、神に問いかけよ

・コヘレトは悲観論者だ。彼は言う「天地創造以来多くの人が生まれ、死んできた。すべては神の摂理の下に生かされてきた。しかし人はその神の摂理を知ることは出来ない」と。
−コヘレト6:10「これまでに存在したものはすべて、名前を与えられている。人間とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはできない」。
・最初の人間アダムは土地(アダマー)から造られた故に名付けられた。人は塵から造られた故に塵に帰り、裸で生まれたゆえに裸で帰る。人間の本質は塵であり、有限の存在だとコヘレトは繰り返す。
−コヘレト3:20「すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る」。
−コヘレト5:14「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何一つ持って行くわけではない」。
・「(人は)自分より強いもの(神)を訴えることはできない」、人間は有限であり、無限の神に逆らっても勝てない。コヘレトの思想はヨブに近い。コヘレトはヨブ書を知っているのだろう。
-ヨブ記9:14-24「私のようなものがどうして神に答え、神に対して言うべき言葉を選び出せよう。私の方が正しくても、答えることはできず、私を裁く方に憐れみを乞うだけだ。しかし、私が呼びかけても返事はなさるまい。私の声に耳を傾けてくださるとは思えない。神は髪の毛一筋ほどのことで私を傷つけ、理由もなく私に傷を加えられる。息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても、証人となってくれるものはいない。私が正しいと主張しているのに、口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる・・・だから私は言う、同じことなのだ、と。神は無垢な者も逆らう者も、同じように滅ぼし尽くされる、と。罪もないのに、突然、鞭打たれ、殺される人の絶望を神は嘲笑う・・・ちがうというなら、誰がそうしたのか」。
・ヨブの言葉は辛辣だ。彼は苦難を経験したゆえに、神の真摯な応答を求めている。その結果、神からの答えを受けた。しかしコヘレトは真剣に神の答えを見出そうとはしていない。彼は醒めている故に、神に出会えない。彼にとって「神は天にあり、人は地にある」故に、対話の相手ではない。
−コヘレト6:11「言葉が多ければ空しさも増すものだ。人間にとって、それが何になろう」。
・コヘレトは言う「人が死んだらどうなるのか、誰にもわからない」、確かにそうだ。わからない。
−コヘレト6:12「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない」。
・しかしわからないから求めるのではないか。「永遠の命について」、私たちにはわからない。しかしわからなくとも希望する事はできる。少なくともイエスはそう教えられた。
-マルコ8:34-38「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、私と私の言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
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