すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  コヘレト(二巡目)  >  2015年5月21日祈祷会(コヘレト5章、神は天にいまし、人は地にある)
1.神は天にいまし、人は地にある

・コヘレトは無神論者ではない。しかし、伝統的な神信仰、「神は求める者に応えてくださる」を信じることは出来ない。だから神に犠牲を捧げれば幸福になれるという安価な恵みを彼は否定する。
−コヘレト4:17「神殿に通う足を慎むがよい。悪いことをしても自覚しないような愚か者は供え物をするよりも、聞き従う方がよい」。
・人々は供え物を捧げれば神が恵んで下さると信じている。だから神殿を建て、神に捧げ物をする。しかし神が動物の犠牲を必要とされるだろうか。初穂を捧げて、それを食されるだろうか。そんな馬鹿なことはないと彼は笑う。
−コヘレト5:1「焦って口を開き、心せいて、神の前に言葉を出そうとするな。神は天にいまし、あなたは地にいる。言葉数を少なくせよ。夢を見るのは悩みごとが多いから。愚者の声と知れるのは口数が多いから」。
・神が求められるのは神の言葉を聴くことだ。しかし人間は聞こうとはせず、自分の願望を果たすための見返りとして神に誓約する。しかし「果たすことの出来ない誓約など何の役にたとうか」とコヘレトは語る。
−コヘレト5:3 -6「神に願をかけたら、誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。願をかけておきながら誓いを果たさないなら、願をかけないほうがよい。口が身を滅ぼすことにならないように。使者に『あれは間違いでした』などと言うな。神はその声を聞いて怒り、あなたの手の業を滅ぼされるであろう。夢や空想が多いと饒舌になる。神を畏れ敬え」。
・コヘレトは言う「神は天にいまし、あなたは地にいる」。有限な人間は神になろうとして天にも届くバベルの塔を立てたが、それは崩壊した(創世記11:1-10)。原子力発電所もまた壮大なバベルの塔と思える。発電のための核燃料は冷却電源が喪失するだけで、何十万人の人間がその土地を追われる。フクシマの体験は私たちはしたのに、数年後には原発再稼働が進行している。バベルは崩壊したのに、また新しいバベルの塔を作ろうとしている人間の愚かさをコヘレトは冷笑するだろう。
−上野千鶴子・毎日新聞2015.5.19記事より「政府が2030年のベースロード電源のうち原発比率を20〜22%にすると発表した。それだけの量を維持するためには、原発を新設するか、今ある原発を40年の期限を超えて運転し続けなければならない。経済産業省がまたまた『原発最安』のコスト試算を出したが、こんな試算結果を国民は誰も信じない。安全基準が厳しくなって、事故の確率が半分に減ったという計算だが、老朽化した原発では事故の確率はかえって高まる。今では原発コストに事故の補償コストを組み入れるのは常識であり、立地自治体に提供した膨大な補助金は国民の税金から出ている。原発コスト計算はもはや政府にまかせておけない」。

2. 不平等や不正な出来事にどう対応するのか

・コヘレトは前に、「貧しい者が虐げられても救済する者は誰もいない」と嘆いた。
−コヘレト4:1-3「私は改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はない。既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから」。
・5章でコヘレトは改めて経済的不平等の問題に言及する。この世に正義はなく、あるのは「強い者が更に強くなる」という現実だ。何時の時代、どの社会にも構造的問題があり、人は学閥や閨閥、贈収賄や不当な判決等の構造悪を克服できないと嘆く。
−コヘレト5:7「貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら身分の高い者が、身分の高い者をかばい、更に身分の高い者が両者をかばうのだから」。
・古代世界の王は正義と公正を守ることを期待され、そうでない王たちは預言者の厳しい糾弾を受けてきた。
−エレミヤ22:3「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない」。
・しかしコヘレトはその結果、悪が是正され、正義が貫徹されるとは信じていない。コヘレトが語るのは、「王が農地を耕させる状態があれば良い」というだけである。「平和であれば良い、食べられるだけ幸せ」との意味だろうか。5:8の真意は多くの解釈者にも不明である。
−コヘレト5:8「何にもまして、国の利益は農地を耕させる王である」。

3. 富は人間を幸福にはしない

・お金は人生に必要である。しかしお金は魔性を持つ。金を愛する者はさらなる金を求め、富を愛する者はさらなる収益を求め、満足することはない。富は人間を幸せにはしないとコヘレトは語る。
−コヘレト5:9-10「銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない。これまた空しいことだ。財産が増せば、それを食らう者も増す。持ち主は眺めているばかりで、何の得もない」。
・テモテ書は「諸悪の根源は金銭への愛だ」という。金銭が人を惑わせるのは確かだ。
-1テモテ6:10「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます」。
・結局の所、富があれば幸福な人生が送れるわけではない。贅沢な食生活は糖尿病や心臓疾患を増大させ、健やかな眠りを奪う。労働後の休息を得るのは、働いて疲れた者たちだ。働かない者には安眠はない。
−コヘレト5:11「働く者の眠りは快い、満腹していても、飢えていても。金持ちは食べ飽きていて眠れない」。
・富はその管理を誤ると一夜にして無くなってしまう。投機に失敗して富を失う者たちも多い。
−コヘレト5:12-13「太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。富の管理が悪くて持ち主が損をしている。下手に使ってその富を失い、息子が生まれても、彼の手には何もない」。
・仮に破綻しなくとも、人は財産を墓までは持っていけない。人は裸で生まれ、裸で帰っていくのだ。
−コヘレト5:14-15「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえない。風を追って労苦して、何になろうか」。
・愚か者は怠惰によって自分の身を持ち崩す(4:5)。金持ちは富に支配されることを通して人生を浪費する。共に満たされない人生だ。
−コヘレト5:16「その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない」。

4.労苦の中に幸せを見出せ

・コヘレトの結論は、「現在をあるがままに楽しめ」、「労苦の中に幸せを見出せ」というものだ。日常生活と労働の素朴な楽しみこそ人生を充実させる。「人生は短い。今を楽しめ」と。
−コヘレト5:17「見よ、私の見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ」。
・人生の喜びは「労働」、「休息」、「日常生活の充実」である。土地を耕す農夫は収穫の報いを受けるが、同時にその収穫は神が太陽と雨を恵んでくださったからこそ可能であることを知る。この感謝の人生こそ、コヘレトが見出した人生の意味である。
−コヘレト5:18-19「神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから」。
・アメリカの大衆伝道者ムーディーは「信仰を持って誠実にこの世を生きている人を神が祝福しないわけはない」と「幸福の神義論」を提唱した。そうでない現実を踏まえつつも、この単純な神信仰に徹する。この素朴な信仰こそイエスが語られた神信頼に近いと思える。
−マタイ6:33-34「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。
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