すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  コヘレト(二巡目)  >  2015年4月30日祈祷会(コヘレト2章、快楽を追求しても空しかった)
1.すべては空しい

・コヘレト書を貫く中心の言葉はヘブル語へベル=空であり、全12章の短い文章の中に33回も用いられている。冒頭に彼は書く「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」(1:1)。その空しさを紛らわせるために彼は快楽を求めた。しかし、それも空しかったと彼は嘆息する。
−コヘレト2:1-2「私はこうつぶやいた。『快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう』。見よ、それすらも空しかった。笑いに対しては、狂気だと言い、快楽に対しては、何になろうと言った」。
・彼は空しさを紛らわせようと酒に溺れたが、それも空しかったという。
-コヘレト2:3「私の心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなおこの天の下に生きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた」。
・彼はソロモンの栄華を再現しようとした。大邸宅に住み、畑にぶどうを植え、多くの奴隷を持ち、金銀を蓄え、多くの側女も手に入れた。栄華の限りを尽くしてみた。
-コヘレト2:4-8「大規模にことを起こし、多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。庭園や果樹園を数々造らせ、さまざまの果樹を植えさせた。池を幾つも掘らせ、木の茂る林に水を引かせた。買い入れた男女の奴隷に加えて、私の家で生まれる奴隷もあり、かつてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く牛や羊と共に財産として所有した。金銀を蓄え、国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそろえ、人の子らの喜びとする多くの側女を置いた」。
・その時はそれなりに充実していた。彼は自分の人生を後悔しているのではない。しかし振り返ると「どれも空しかった」と彼は嘆息する。
-コヘレト2:9-11「かつてエルサレムに住んだ者のだれにもまさって、私は大いなるものとなり、栄えたが、なお、知恵は私のもとにとどまっていた。目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ、どのような快楽をも余さず試みた。どのような労苦をも私の心は楽しんだ。それが、労苦から私が得た分であった。しかし、私は顧みた、この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。太陽の下に、益となるものは何もない」。
・地上の人生の成功の意味は何なのだろうか。スティーブ・ジョブズはアップル社を創業し、この世的には栄華を極めたが、56歳ですい臓がんのために亡くなった。彼は生前「墓場で一番の金持ちになるなんて何の意味がある」という言葉を残している。コヘレトと似ている。
―ジョブズの言葉「墓場で一番の金持ちになるなんて何の意味がある。今日は最高だったといって眠りにつく。私にはこっちのほうが重要なのだ」。
・旧約続編シラ書もジョブズと同じ考えを語る。
-シラ書14:12-17「次のことを心に留めよ。死は必ずやって来る。しかし陰府の定めはお前には示されていない・・・お前が苦労して得たものは、他人の手に渡り、汗の結晶もくじで分配されてしまうではないか。与えよ、受けよ、心を楽しませよ。陰府で楽しみをどうして求めえようか」

2. 愚者に起きることは自分にも起きる

・コヘレトは智恵を極めた。この世的にも成功した。しかし彼は言う「愚者に起きることは自分にも起きる。賢者も愚者も等しく死ぬ。死ねば全て終わりなのだ」と。
-コヘレト2:12-17「また、私は顧みて、知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。王の後を継いだ人が既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。私の見たところでは、光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。しかし私は知っている、両者に同じことが起こるのだということを。私はこうつぶやいた『愚者に起こることは、私にも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ』。これまた空しい、と私は思った。賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。私は生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかも私を苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ』。
・死の後に何が待っているのか、だれにもわからない。人間だから天国に行くとは誰も保証してくれない。現代人の多くも神や超越者の存在を信じたいと思い、また死後の浄福や永遠の命を渇望しているが、既成宗教の提示する神や天国や永世は信じられない。コヘレトは現代人の直面する悩みを2千年前に悩んだ。
-音楽評論家・吉田秀和氏の言葉「先日もTVで地下鉄サリン事件の一周忌ということで、殉職した職員を弔う光景をみた。実に痛ましい事件である。あの人たちは生命を賭けて多くの人を救った。(中略)年をとって涙もろくなった私はそのまま見続けるのが難しくなり、スイッチを切った。切った後で、あの人たちの魂は浄福の天の国に行くのだろうか、そうであればいい、と思う一方で、『お前は本当にそう信じるのか』という自分の一つの声を聞く。そういう一切がつくり話だったとしたら、あの死は何をもって償われるのか」(朝日新聞、1996年4月18日夕刊)。
・栄華を極めたソロモンの王国も、後継者レハベアムが愚かだった故に分裂し、やがて衰退・滅亡していった。スティーブ・ジョブズはアップル社を創業し、時価総額世界一まで育てたが、56歳で死んだ。100年後、アップル社はないであろうし、誰も彼のことを覚えていないだろう。
-コヘレト2:18-22「太陽の下でしたこの労苦の結果を、私はすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下で私が知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。太陽の下、労苦してきたことのすべてに、私の心は絶望していった。知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ。まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう」。

3. 人生に折り合いをつける

・コヘレトは箴言作者のように、人生に神の摂理を見出すことが出来ない。箴言作者は語る「主を畏れれば長寿を得る。主に逆らう者の人生は短い」(10:27)。しかしコヘレトには神の摂理が見えない。
-コヘレト9:11-12「太陽の下、再び私は見た。足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない。知恵があるといってパンにありつくのでも、聡明だからといって富を得るのでも、知識があるといって好意をもたれるのでもない。時と機会はだれにも臨むが、人間がその時を知らないだけだ。魚が運悪く網にかかったり、鳥が罠にかかったりするように、人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる」。
・コヘレトは無神論者ではない。彼は神を信頼している。彼は必死に神を求めている。しかし神の姿が見えない。「神は天にいまし、私たちは地上にいる」からだ。
-コヘレト5:1「焦って口を開き、心せいて、神の前に言葉を出そうとするな。神は天にいまし、あなたは地上にいる。言葉数を少なくせよ」。
・この空しい世界、新しいことは何も起こらないと見える世界で希望を持って行くにはどうしたら良いか。コヘレトは「現在を大事に生きる」ことではないかと語る。
-コヘレト2:24-25「人間にとって最も良いのは、飲み食いし、自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、私の見たところでは神の手からいただくもの。自分で食べて、自分で味わえ」。
・私たちには将来のことはわからない。しかしその中で今なすべきことを為していく。宗教改革者ルターは語った「たとえ、明日、世の終わりが来ようとも、私はリンゴの木を植えよう」。預言者エレミヤは都エルサレムがバビロン軍(カルデア人)に包囲され、陥落する直前に「土地を買え」と命じられて土地を買う。「たとえ明日が見えなくとも神を信じて明日のために行え」と聖書は私たちに語る。
-エレミヤ32:24-25「今や、この都を攻め落とそうとして、城攻めの土塁が築かれています。間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉通りになっていることは、御覧のとおりです。それにもかかわらず、主なる神よ、あなたは私に、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこの時に、です。」
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