すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  箴言(二巡目)  >  2015年1月29日祈祷会(箴言20章、主は社会的不公正を許されない)
1.社会を維持する神の摂理と審判

・神は人間に、「聞く耳」と、「見る目」を与えられた。耳で聞き、目で見ることによって、人は何が正しく、何が悪いのかを判別する智恵を与えられる。
-箴言20:12「聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた」。
・この世の智恵は、「見ざる、聞かざる、言わざる」と教える。「長いものには巻かれよ」と、権力に抵抗するなと教える。しかし、主は御心の代行者として王を立てられた。王によって主は正義の裁きを為されると箴言著者は語る。
-箴言20:26-28「賢い王は神に逆らう者を選び出し、彼らの上に車輪を引き回す。主の灯は人間の吸い込む息。腹の隅々まで探る。慈しみとまことは王を守る。王座は慈しみによって保たれる」。
・新約も同じ考え方をする。支配者は神によって立てられた。故に支配者に従いなさいと。
-ローマ13:1-4「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう・・・権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」。
・キリスト者は良き市民であることを目指す。しかし、支配者が神への委託に背く時、支配者ではなく神に従うことが、私たちの基本的考え方である。
-使徒5:27-29「彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した『あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている』。ペトロとほかの使徒たちは答えた『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません』」。
・神は全てを見ておられ、全てをご存知である。だから神の裁きにすべて委ねる。
-箴言20:24「人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか」。

2.公平な社会は公平な経済を必要とする。

・社会の基礎は経済である。経済的営みに不正が入り込めば社会は乱れる。「不正をするな」と箴言は繰り返す。
-箴言20:10「おもり石の使い分け、升の使い分け、いずれも主の憎まれること」。
-箴言20:23「 おもり石を使い分けることは主にいとわれる。天秤をもって欺くのは正しくない」。
・不正によって得た富は人を幸せにはしない。不正は必ず暴かれる。
-箴言20:17「欺き取ったパンはうまいが、後になって口は砂利で満たされる」。
・預言者たちが繰り返し警告したのは、社会的不公正を主は裁かれるということである。
-アモス2:6-8「主はこう言われる。イスラエルの三つの罪、四つの罪のゆえに、私は決して赦さない。彼らが正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている。父も子も同じ女のもとに通い、私の聖なる名を汚している。祭壇のあるところではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ、科料として取り立てたぶどう酒を、神殿の中で飲んでいる」。
・今日、貧富の格差が拡大し、一部の人に富が集中し、多くの人は貧窮の中であえぐ。神学者の栗林輝夫氏はその中で「あなたたちはどうするのか」と問いかける
-栗林輝夫「今日我々が目撃しているのは、経済のグローバル化によって、『持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる』(マタイ13:2)という格差社会であり、大勢の若者がワーキング・プアに転落していく光景である。資本のグローバル化は生産拠点を労働力の安い地域(海外)に移動させ、それまで人々を結びつけてきた地域の文化を根こぎにし、地方の中小都市の街を軒並みシャッター・ストリートにした。かつて日本は一億総中流の経済格差のない社会であったが、今では先進国の中でアメリカに次ぐ格差社会になってしました。その中で日本の教会は何を発信できるのか」。

3. 人の心は根本的に損なわれている

・箴言は人間に対して楽観的ではない。著者は語る「神は私たちの全てを知っておられる」(20:27)。その神の前で、自分は正しいと主張できる人はいない。
-箴言20:9「私の心を潔白にした、と誰が言えようか。罪から清めた、と誰が言えようか」。
・唯一、自分の正しさを主張できる人は偽善者である。イエスはパリサイ人の偽善を鋭く批判された。
-ルカ18:10-14「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』。ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った『神様、罪人の私を憐れんでください』。言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。
・エレミヤも考えを同じくする。人の心は悪に満ち、善を為すことが出来ない(エレミヤ13:23「エチオピヤびとはその皮膚を変えることができようか。豹はその斑点を変えることができようか。もしそれができるならば、悪に慣れたあなたがたも、善を行うことができる」)。だから古い契約を破棄して、新しい契約を神と結ぶしかないと主張した。
-エレミヤ31:31-33「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る・・・この契約は、かつて私が彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った・・・しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」。
・その新しい契約がイエスの血によって調印されたというのが新約聖書の理解である。
-ルカ22:19-20「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた『これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』。食事を終えてから、杯も同じようにして言われた『この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である』」。

4.復讐するな

・箴言は「復讐するな、裁きは主に任せよ」と語る。
-箴言20:22「悪に報いたい、と言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる」。
・しかし怒りにかられた者は自分の手で報復する。2001年9月11日無差別テロによりアメリカ人3000人が殺され、報復でアフガン・イラクを攻めた。その結果、米軍死者は6000人を超え、現地では10万人を超える人が戦争で亡くなった。その後、アメリカは数万人単位の後遺症に悩む自国民を抱えると同時に、アメリカへの怒りからイスラム国が生まれた(彼らの中枢はアメリカ軍に殺されたフセイン政権の元軍人と言われる)。人は愚かである。「裁きを主に委ねよ」とパウロも語ったが、復讐は人がしてはいけないと本当に思う。復讐は復讐する人を滅ぼすのだ。
-ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります。あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる」。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
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