すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.貧しさと豊かさに関する教え

・「この世では富を持つことが友を得る道であり、貧しさは孤立をもたらす」と箴言は語る。世の現実はそうだ。豊かであることは幸福度の重要な指標だ。
-箴言19:4-7「財産は友の数を増す。弱者は友から引き離される・・・高貴な人の好意を求める者は多い。贈り物をする人にはだれでも友になる。実の兄弟も皆、貧しい人を憎む。友達ならなお、彼を遠ざかる」。
・しかし豊かさだけが幸福の指標ではない。富は往々にして不正な手段によって獲得される。箴言の著者はそれをわきまえている。
-箴言19:1(新改訳)「貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる」。
-箴言19:22(口語訳)「人に望ましいのはいつくしみ深いことである、貧しい人は偽りを言う人にまさる」。
・宗教社会学者ロバート・ベラーは著書「良い社会」の中で語る「グローバル市場経済の指標は利害損得である。しかし、教会は私たちが究極的な問題と取り組むのを助けてくれる。すなわち、費用便益計算(利害損得)以上のもの、欲望以上のものに基づいて生きるための道を探ることである」。
-箴言19:21「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」。
・私たちはイエスが語られた「愚かな金持ちの喩え」に注目したい。命は金では買えないのである。
-ルカ12:16-20「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめと』。しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。

2.家族の脆さに対する警告

・両親がいて、子供たちがいても、それだけでは幸福な家庭を形成する事はできない。愚かな息子一人がいれば家庭は崩壊するではないかと箴言は語る。
-箴言19:13「愚かな息子は父の破滅。いさかい好きな妻は滴り続けるしずく」。
-箴言19:26「父に暴力を振るい、母を追い出す者は、辱めと嘲りをもたらす子」。
・家庭内暴力に悩む親が息子や娘を殺す事件が続出している。2014年12月4日朝日新聞はある裁判結果の報道をした「今年6月、東京都内に住む男性(65)が自宅で就寝中の三男(当時28)を刃物で刺し、殺害した。11月に東京地裁立川支部であった裁判公判で、男性ら家族が、精神の障害がある三男の暴力に悩み、追い詰められていたことが明らかになった。検察側や男性の証言などによると、三男は約10年前から精神科に通っていたが、症状は悪化。次第に家族に暴力を振るうようになった。男性は主治医や保健所、警察などに相談し、三男の入院を懇願していたが、断られていた。地裁支部は11月21日、「相当やむを得ない事情があった」と男性に懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。双方とも控訴せず、今月6日に判決が確定した」。この記事に多くの反響が寄せられた「どうにかならなかったのか」、「ひとごととは思えない」。問題の根は深い。箴言は「望みのあるうちに息子を諭せ」というが、それは可能なのであろうか。
-箴言19:18「望みのあるうちに息子を諭せ。死なせることを目指してはならない」。
・毎日新聞で連載された桐野夏生「だから荒野へ」がNHKでドラマ化され、話題になっている。日常生活に疲れた46歳の主婦が、夫と二人の子(大学生、高校生)を捨てて家出する。家族から家事ロボット以上の役割を期待されていない現実への絶望が、エクソダス(脱出)をもたらした。たとえ家族がいても、たとえ不自由のない経済生活があっても、そこに愛情と絆がなくなれば、家庭もまた「荒野」になってしまう。
-箴言19:14「家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの」。

3. 智恵と愚かさと

・箴言は智恵文学に属する。智恵の言葉こそが人を生かす。だから智恵を求めよと箴言は語る。
-箴言19:20「勧めに聞き従い、諭しを受け入れよ。将来、知恵を得ることのできるように」。
・そのためには、時には手荒な行動も、鋭い叱責も必要になる。
-箴言19:25(口語訳)「あざける者を打て、そうすれば思慮のない者も慎む。さとき者を戒めよ、そうすれば彼は知識を得る」。
・愚者は打ち叩かれる。杖は嘲る者を打つために用意されている。
-箴言19:29「不遜な者に対しては罰が準備され、愚か者の背には鞭打ちが待っている」。
・パウロはコリント教会に「涙の手紙」と呼ばれる叱責の手紙を書いた。その手紙は現存していないが、パウロに対して侮辱を加えた人物を教会から除名するように求める激しさを持っていた。牧会者が教会を批判する手紙を書くことは痛みを伴う、涙なしには書けない。パウロは厳しい叱責の手紙を送り、彼らを責めたことを後悔したが、彼らが悲しむだけでなく、悔い改めたと分かり、喜ぶ。時には叱責が必要なのだ。
-第二コリント7:10「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。
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