すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  箴言(二巡目)  >  2015年1月15日祈祷会(箴言18章、愚か者の無分別な言葉が争いを引き起こす)
1.愚か者の無分別な言葉が争いを引き起こす

・箴言18章の中心テーマは、人の口から出る言葉に対する戒めだ。最初に、「愚か者の唇は争いを引き起こし、口は殴打を招く」と著者は警告する。
-箴言18:6-7「愚か者の唇は争いをもたらし、口は殴打を招く。愚か者の口は破滅を、唇は罠を自分の魂にもたらす」。
・言葉は人を救うこともできるし、人を傷つける事もできる。言葉は命をもたらす時もあれば、死をもたらすこともある。イスラム原理主義者たちのテロ攻撃を受けた仏週刊新聞「シャルリー・エブド」は、2015.01.14に特別号「生存者の号」を出した。表紙は、「すべては許される」という見出しの下に、目に涙をため、悲しそうな表情の預言者ムハンマドが白い衣装をまとい、胸の前で連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」と書かれたプラカードを掲げている。しかし、イスラム教ではムハンマドら預言者を画像にすること自体が厳禁されている。「全ては許される」のだろうか。
-第一コリント10:23-24「すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが私たちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」。
・陰口は口に甘く、容易に人の心の中に入るが、その結果は人間関係を壊す。キリストの体である教会も、陰口や愚かな言葉により崩れる危険性を持つ。教会形成には長い時間が必要だが、崩れるのは一瞬だ。
-箴言18:8(口語訳)「 人のよしあしをいう者の言葉は、おいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ」。
・近年ヘイトスピーチ等の暴力的言葉が横行している。在日韓国・朝鮮人に対して、「死ね」、「皆殺し」、「国に帰れ」等の憎悪発言が飛び交っている。彼らは自分たちと見解が異なるNHKや朝日新聞を、「国賊」、「売国奴」等と罵倒する。何が彼らの心の中にあるのか。人を憎む憎しみは良いものをもたらさない。
-レビ19:17「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない」。
・他方、箴言は言葉の持つ良い面にも注目する。言葉には両義性がある。
-箴言18:4「(知恵ある人の)口の言葉は深い水。知恵の源から大河のように流れ出る」。
-箴言18:20-21「人は口の結ぶ実によって腹を満たし、唇のもたらすものによって飽き足りる。死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう」。

2.理解されることより理解することを求めよ

・人はみな自己の利益を優先する。その結果、自分の言いたいことだけを言い、人の意見を聞こうとしない。他者と良い関係を持とうとしない者、自己中心的で隣人関係を大切にしない人々もいる。箴言はそのような人々を、「愚か者」と呼ぶ。
-箴言18:1-2(新改訳)「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす」。
・イエスは相手の気持ちを聞いた上で相手の求めるものを与えられた。それは迎合ではなく、奉仕だ。盲人バルティマイの癒しはその典型だ。
-マルコ10:50-52「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は、『先生、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた。『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』。盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」。
・神を愛するとは他者を愛することだ。私たちは「愛されることよりも愛することを」、「理解されることよりも理解する」ことを優先すべきだ。その時、神の業が現れる。聖フランシスの祈りとして伝えられる祈りはそれを示す。
-聖フランシスの祈り(後半部分)「主よ、慰められるよりも慰めを、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。なぜならば、与えることで人は受け取り、己を忘れることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです」。

3. 人の心は人の力では変えられない

・生きる気力をなくしている人に、「頑張りなさい」と語っても無意味だ。彼は頑張れないから、生きる意欲をなくしている。人の心は人の力では変えられない。
-箴言18:14-15「人の霊は病にも耐える力があるが、沈みこんだ霊を誰が支えることができよう。聡明な心は知識を獲得する。知恵ある耳は知識を追求する」。
・人の心は人の力では変えられない。人は自分で自分を変えるしかない。しかし他者はその手助けが出来る。心理学の知識は、人が「自分を必要とする人がいることに気づいた時、立ち直れる」ことを示唆する。フランクルはアウシュビッツの収容所の中でそれに気づいた。
−ビクトール・フランクル「夜と霧」から「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、誰かが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった。一番心の中に蓄えてほしい言葉は、人間は人生から問いかけられているということだ。どんなに人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することは決してない。何かや、誰かのために出来ることがきっとある」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2015年1月8日祈祷会(箴言17章、愛を求める人は罪を覆う)
カテゴリートップ
箴言(二巡目)
次
2015年1月22日祈祷会(箴言19章、家族の脆さに対する警告)