すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.民は集まって誓約した

・ネヘミヤ記はバビロン捕囚から帰国したイスラエルが、どのようにして共同体を再建していったかの記録である。前538年イスラエルは祖国への帰還を許された。帰国した民は神殿再建を図るが挫折し、再建がなったのは前515年(帰国から20年後)であった。彼らは同時にエルサレムの城壁修復を試みるが、宗主国ペルシアから謀反を疑われ、計画は頓挫し、城壁が修復し、エルサレムが居住可能な都市になったのは、実に捕囚帰国から90年後の前445年であった。指導者ネヘミヤはバビロンから律法の教師エズラを呼んで律法を布告させ(ネヘミヤ8章)、民は罪責告白を行い(同9章)、そして今律法に基づく新しい生活に誓約する。古代ユダヤ教がここに成立した。
−ネヘミヤ10:1-30「これらすべてを顧みて、私たちはここに誓約して、書き留め、私たちの高官、レビ人、祭司の捺印を添える。捺印した者は、ハカルヤの子で総督のネヘミヤ、それにツィドキヤ・・・以上は祭司である。レビ人では、アザンヤの子イエシュア、ヘナダドの一族のビヌイ、カドミエル・・・民の頭では、パルオシュ、パハト・モアブ、エラム、ザト、バニ・・・そのほかの民、祭司、レビ人、門衛、詠唱者、神殿の使用人、この地の民と関係を断って神の律法のもとに集まったすべての者も、妻、息子、娘、また理解できる年齢に達したすべての者と共に、そのまことに貴い兄弟たちに協力するものであり、神の僕モーセによって授けられた神の律法に従って歩み、私たちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである」。
・誓約の具体的内容が31節から記される。最初に誓約したことは異教徒との婚姻の禁止である。
−ネヘミヤ10:31「私たちは、娘をこの地の民に嫁がせず、彼らの娘を私たちの息子の嫁にしない」。
・過去の歴史の中で、異教徒との婚姻による宗教の堕落を民は経験した。宗教の純粋性を保ち、民族の同一性を維持する方法は、異教徒との婚姻の禁止であると彼らは信じた。
-出エジプト34:15-16「その土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがその神々を求めて姦淫を行い、その神々にいけにえをささげるとき、あなたを招き、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたが彼らの娘を自分の息子にめとると、彼女たちがその神々と姦淫を行い、あなたの息子たちを誘ってその神々と姦淫を行わせるようになる」。
・二番目に掲げられるのは安息日の順守である。異教社会であったバビロンでの捕囚時代、イスラエルがその民族同一性を維持できたのは割礼の実施と安息日の順守であった。
−ネヘミヤ10:32「私たちは、この地の民が安息日に商品をはじめ、いかなる種類の穀物を持って来て売ろうとしても、安息日と他の聖なる日には買わない。私たちは、七年ごとに耕作を休み、あらゆる負債を免除する」。
・ここで禁止されているのは安息日の商売の禁止であるが、イエス時代にはこの禁止規定は生活の隅々まで行き渡り、安息日を守らない者は無条件に不信仰者と批判された。
-ヨハネ9:13-16「人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った『あの方が、私の目にこねた土を塗りました。そして、私が洗うと、見えるようになったのです』。ファリサイ派の人々の中には『その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない』と言う者もいた」。
・私たちは安息日をどのように守るのか。イエスは「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:27)と言われた。カール・バルトは「教会教義学」の中で、キリスト者の倫理を「神の御前での自由」という表題の下に記し、さらに安息日を巡る問題を「祝いと自由と喜びの日」として書く。
-日曜日を「礼拝を守らなければいけない日」と考えた時、それは私たちを縛る日になる。日曜日を「礼拝に参加することが出来る日」と受け止めれば、私たちの人生は豊かになる。

2.他律的規定の必要性

・三番目に記されるのは、神殿を維持するための神殿税、十分の一税等を喜んで納めるとの規定である。
−ネヘミヤ10:33-34「私たちは、神殿での奉仕のために年に三分の一シェケルの納入を義務として負う。それは供え物のパンのため、日ごとの穀物の献げ物のため、日ごとの焼き尽くす献げ物のため、安息日、新月祭、祝祭日のため、奉納物のため、イスラエルの罪を贖う贖罪の献げ物のため、すなわち神殿におけるすべての務めのためである」。
・神殿税はイエスの時代にもあり、イエスも「人々をつまずかせないために」、その支払を為されたとマタイは記す。マタイ17:24以下の神殿税の話は紀元70年のエルサレム神殿崩壊後の歴史が背景にあると言われている。神殿崩壊後、ユダヤ人たちは、ロ−マ皇帝の命令で、ロ−マの国家神「ユピテル・カピトリヌス」神殿への納税を義務付けられた。異教神殿への神殿税(ユダヤ金庫と呼ばれた)を支払うべきか否かは、当時のマタイ教会に取っては大きな試金石であった。そのためマタイはイエスの口を借りてその正当性を教会に訴えたとされている。ユダヤ人キリスト者は新しい神殿税をローマに払ったが、異邦人キリスト者はこれを拒否し、やがてキリスト教がユダヤ教と分離していく契機になった。神殿税を払うべきか否かの議論は基本的にはこの世の権力とどう向き合うのかという問題になる。
-マタイ17:24-27「一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った・・・イエスは言われた『では、子供たちは納めなくてよいわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい』」。
・現在でもドイツでは教会税が国税として制度化されているが、世俗化が進み、納入に否定的な人も増えている。
-ウィキペディアより「ドイツにおいては、18・19世紀に教会財産が世俗権力に没収されたり、領主の教会に対する関係が消滅したりしたことで、教会財産ないし領主に頼って維持されてきた教会は、存続のための新たな方策を模索した。カトリック教会はコンコルダートにより、ドイツ福音主義教会(EKD) は国の強制力と共同し、教会員たる住民全てに税を課すこととなった。ドイツでは、カトリック教会、福音主義 、復古カトリック教会信徒、ユダヤ教徒であると登録したドイツ市民は、所得税の8%から9%にあたる教会税を課されている。2008年12月に、ドイツキリスト教民主同盟と自由民主党の議員らが、「クリスマスイブのミサは教会税を納めている人のみに参列を認めるべき」と発言して論議を呼んだ。背景には教会税を避けるために、教会を離脱したと税務事務所に申告する者が相次いでいる問題がある。2012年9月20日にローマ教皇庁の承認の下、ドイツ・カトリック司教協議会は、教会税を納入しない信徒は秘跡を受けられず、教会の諸活動に参加出来ない、という指令・司牧書簡を発表した。ドイツのカトリック教会において、教会税収入は50億ユーロ(約52億円)にのぼる」。
・神殿税に続いて十分の一献金のことが記されている。神殿に奉仕する祭司とレビ人を支えるための献金である。
−ネヘミヤ10:36-40「私たちは、地の産物の初物とすべての果実の初物を、毎年主の神殿にささげ、私たちの息子の長男も、私たちの家畜の初子も、律法に書き記されているところに従ってささげる。私たちの牛と羊の初子は神殿に携え、神殿の中で仕える祭司のためにささげる・・・地の産物の十分の一はレビ人のために納める。このレビ人は、私たちが働くすべての町でその十分の一を受け取る・・・私たちは決して私たちの神殿をおろそかにしません」。
・十分の一税はその後の教会史の中では当然に納めるべきものとされたが、宗教改革以降、その権威は揺らぎ、現在の主流は自由献金である。
−ウィキペディア「旧約聖書のレビ記・申命記では、全ての農作物の10%が神のものであると説かれている。これを根拠に教皇庁は十分の一税を徴収した。しかし、ローマ法にはこの規定がなく、あくまでも自由意志に基づく納付であるとする見解も存在し、同じキリスト教国であってもビザンツ帝国では課税されていなかった。一方、旧西ローマ帝国および西ヨーロッパ世界では、8世紀前半までに十分の一税を教皇に収める慣習が根付いていた。ツヴィングリは宗教改革で、十分の一税を否定し、自発的に捧げられる自由献金を主張した。フランスのユグノーはナント勅令で自分たちの教会を持つことは許されたが、ローマ・カトリック教会にも十分の一税を納めなければならなかった。国教会から分離したプロテスタントの自由教会が形成されて、自発的な献金によって教会が運営されるようになった」。
・教会を支えるために、私たちは何をすればよいのか。日本バプテスト連盟には325の教会・伝道所があるが、礼拝出席10名以下の教会が38,20名以下の教会が70ある(2012年現在)。また経常献金300万円以下の教会は77教会である。これらの教会では牧師を立てるために必要な人員、献金が不足し、その結果42の教会・伝道所は無牧である(2014年1月現在)。多くの教会で牧師人件費が支出の7割以上を占める。教会には牧師が必要なのか、仮に必要であればどう支えるか、教会員の間での議論が必要であろう。
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