すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ネヘミヤ記  >  2014年7月17日祈祷会(ネヘミヤ記8章、律法の朗読と仮庵祭りの執行)
1.律法の朗読によって人々は泣いた

・ネヘミヤ記はエルサレムの城壁修復のためのネヘミヤの働きを彼の手記の形で物語る(1‐7章)が、8章以降は城壁再建後にネヘミヤが行った様々の改革を物語の形で描く。最初に語られるのは、ネヘミヤがバビロンから読んだ律法の教師エズラによる律法の朗読である。
‐ネヘミヤ記7:72b-8:1「第七の月になり、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた」。
・ネヘミヤは前445年〜433年までエルサレム総督を務め、一時帰国の後に再任されたと見られる(〜前424年)。そのイスラエルにエズラが来たのはネヘミヤ第二期の前428年頃と思われている(ブライト・イスラエル史)。エズラはイスラエルの宗教生活の安定(それによる治安の安定)のためにペルシア王により派遣されてきた。
‐エズラ記7:6-25「エズラがバビロンから上って来た・・・エズラはイスラエルの神なる主が授けられたモーセの律法に詳しい書記官であり、神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた・・・『エズラよ、ゆだねられた神の知恵によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方のすべての民、あなたの神の律法を知るすべての者を治めさせ、律法を知らない者にはあなたたちは教えを授けよ』」。
・エズラは集まった民に対して、夜明けから正午まで、律法を読み聞かせた。読まれた律法とは創世記から申命記に至るモーセ五書であり、時間的な制約から、この時はその抜粋が読まれたと思われる。
‐ネヘミヤ記8:2-3「祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた」。
・第七の月の初日は聖なる集会の日であった(レビ記23:24-25)。その後、エズラの助手たちはヘブル語本文をアラム語に翻訳して読み聞かせた。当時のユダヤ人はヘブル語が理解できなくなっていたからである。
‐ネヘミヤ記8:4-8「書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立ち、その右にマティトヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが、左にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカルヤ、メシュラムが立った。エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、『アーメン、アーメン』と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。次いで、イエシュア、バニ、シェレブヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、ヨザバド、ハナン、ペラヤというレビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した」。
・律法の朗読を聞いて、民は涙を流した。自分たちの罪、すなわち神から離れた生活を送っていたことが律法により明らかになったからである。
‐ネヘミヤ記8:9「総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った『今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない』。民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた」。
・律法は神の戒めであるが、人はだれも完全に守ることは出来ない。だから律法を聞いて人は泣くことしか出来ない。律法の役割は「罪の自覚である」とパウロも語る。
‐ローマ3:20「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」。

2.仮庵の祭りによって人々は笑った

・エズラは人々に「泣くな」と語る。民の罪によってイスラエルはバビロンの地に捕囚とされたが、神はその罪を許され、今またエルサレムで礼拝することが許されるようになった。今は泣く時ではなく、笑う時だ。
‐ネヘミヤ記8:10-12「彼らは更に言った『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である』。レビ人も民全員を静かにさせた『静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない』。民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである」。
・律法の書が読まれたのは第七の月の初日、その月の15日から仮庵の祭りが始まる。本来は収穫祭であったが、次第に出エジプトで荒野を放浪した祖先の労苦を忍ぶ祭りの意味合いも持つようになった。
‐レビ記23:42-43「あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは、私がイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである。私はあなたたちの神、主である」。
・イスラエルの民は今新たなエジプトからの解放である出バビロンを祝う。その体験を通して、彼らは神が共にいますことを喜んだ。
‐ネヘミヤ記8:13-18「二日目に、すべての民の家長たちは、祭司、レビ人と共に書記官エズラのもとに集まり、律法の言葉を深く悟ろうとし、主がモーセによって授けられたこの律法の中にこう記されているのを見いだした。『イスラエルの人々は第七の月の祭りの期間を仮庵で過ごさなければならず、これを知らせ、エルサレムとすべての町に次のような布告を出さなければならない。山に行き、オリーブの枝、野生オリーブの枝、ミルトスの枝、なつめやしの枝、その他の葉の多い木の枝を取って来て、書き記されているとおりに仮庵を作りなさい』。民は出て行き、枝を持って来て、各自の家の屋上、庭、神殿の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場に仮庵を作った。こうして捕囚の地から帰った人々から成る会衆は、皆で仮庵を作り、そこで過ごした・・・それは、まことに大きな喜びの祝いであった。最初の日から最後の日まで、毎日彼は神の律法の書を朗読し、彼らは七日間にわたって祭りを行い、八日目には定めに従って終わりの集会を行った」。
・律法は人を救うことが出来ない。だから人は罪の重さに泣く。しかし、私たちにも「仮庵の祭り」が与えられている。人間の義ではなく、神の義がイエス・キリストを通して与えられたことを祝う日が来た。パウロは「だから喜べ」と人々に勧める。
‐ローマ3:21-22「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません」。
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