すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ネヘミヤ記  >  2014年6月26日祈祷会(ネヘミヤ記5章、内部矛盾の解消のために)
1.吹き出した内部矛盾

・ネヘミヤはエルサレム城壁の再建工事を外敵との戦いの中で進めたが、その間、ユダヤ人共同体の内部で様々な問題が生じていたことをネヘミヤ記5章は示す。具体的には、神の民の内部が貧富格差の拡大により、崩壊の危機に直面していた。
‐ネヘミヤ5:1-4「民とその妻たちから、同胞のユダの人々に対して大きな訴えの叫びがあがった。ある者は言った『私たちには多くの息子や娘がいる。食べて生き延びるために穀物がほしい』。またある者は言った『この飢饉のときに穀物を得るには、畑も、ぶどう園も、家も抵当に入れなければならない』。またある者は言った。『王が税をかけるので、畑もぶどう園も担保にして金を借りなければならない』」。
・城壁再建のためには民の労働力提供が必要だった。その間、貧しい人たちは収入を得るための仕事が出来ず、生活が苦しくなったのであろう(労働力提供は無償奉仕ではないにしても、財政的困難より十分な賃金は支払われなかったのであろう。また城壁再建は大工事であり、ネヘミヤ記にあるように50日では完成せず、数年にも及んだものと思われる)。さらには飢饉等により十分な穀物の収穫もできなかった事情が推察される。何よりも重税や同胞ユダヤ人の裕福な人々の高利貸し的な所業が人々を憤慨させた。
‐ネヘミヤ5:5「同胞も私たちも同じ人間だ。彼らに子供があれば、私たちにも子供がある。だが、私たちは息子や娘を手放して奴隷にしなければならない。ある娘はもう奴隷になっている。どうすることもできない。畑とぶどう園はもう他人のものだ」。
・ネヘミヤはこれを聞いて怒り、貴族や役人を呼び出してそれが真実であることを確認した。
‐ネヘミヤ5:6-8「この嘆きと訴えを聞いて、私は大いに憤りを覚え、居たたまれなくなって貴族と役人をこう非難した『あなたたちは同胞に重荷を負わせているではないか』。私はまた大きな集会を召集して、言った『私たちは異邦人に売られていた同胞のユダの人々を、できるかぎり買い戻した。それなのに、あなたたちはその同胞を売ろうというのか。彼らは私たち自身に売られることになるのに』。彼らは黙りこみ、何も言えなかった」。
・律法では利子をとる貸付は禁じられ(申命記23:19-20)、貸付金も奴隷も一定期間経過後は免じられる規定になっていたが(申命記15:1以下)、守られてはいなかった。イザヤもそのことを批判している。
‐イザヤ5:8「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに、この地を独り占めにしている」。

2.債務放棄を求めるネヘミヤ

・ネヘミヤは城壁の再建という国家非常時に、なお自己利益を追求する人々を批判し、負債の帳消しを求めた。
‐ネヘミヤ5:9-11「私は言った『あなたたちの行いはよくない。敵である異邦人に辱められないために、神を畏れて生きるはずではないのか。私も、私の兄弟も部下も金や穀物を貸している。私たちはその負債を帳消しにする。あなたたちも今日あなたたちに負債のある者に返しなさい。畑も、ぶどう園も、オリーブ園も、家も、利子も、穀物も、ぶどう酒も、油も』」。
・有力者たちもそれに同意した。負債の免除は祭司への誓約の形で為された。
‐ネヘミヤ5:12-13「彼らはそれに答えた『返します。何も要求しません。お言葉通りにします』。私はこの言葉通り行うよう誓わせるために祭司たちを呼んだ。私はまた衣の折り重ねたところを振るいながら言った『この約束を守らない者はだれでも、このように神によってその家と財産から離され、振るい落とされるように。このように振るい落とされて無一物となるように』。会衆は皆で『アーメン』と答え、神を賛美した。民はその言葉通り行った」。
・ネヘミヤはユダ総督の任にあった12年間、一切の俸給を辞退した。また地位を利用した利得行為も行わなかった。ネヘミヤは多くの費用を自弁で賄っている。彼はペルシア帝国の高官であり、王の財政的支援の元に城壁再建を行っていたからであろうか。いずれにせよ、こうして内部の問題は解決されていった。
‐ネヘミヤ5:14-18「アルタクセルクセス王の第二十年に、私はユダの地の長官に任命されたが、その日から第三十二年までの十二年間、私も兄弟たちも長官の給与を一度も受け取らなかった。私の前任者は民に重荷を負わせ、パンとぶどう酒に加えて、銀四十シェケルを徴収した。彼らの配下の者も民を圧迫した。しかし、私は神を畏れ、そのようなことを決して行わなかった。私はこの城壁の工事にも力を注ぎ、土地を買収したりはしなかった。配下の者も皆、工事のためにここに集まっていた・・・だが、このためにも長官の手当を要求しなかった。再建作業がこの民にとって重荷となっていたからである。神よ、私がこの民に尽くしたすべてのことを快く心に留めてください」。
・この物語はマタイ20章「ぶどう園の労働者のたとえ」を思い起こさせる。そこにおいても同胞愛の欠如が厳しく戒められている。聖書は個人倫理に留まること無く、共同体倫理を重視せよと私たちに教える。
-2014.6.8説教から
・ぶどう園の労働者の譬えは、ぶどう園の主人が、収穫にために大勢の労働者を日雇いするところから物語が始まります。主人は夜明けと共に市場に行き、労働者を雇います。主人は9時頃にまた雇い、12時にも3時にも新たに労働者を雇います。最後に雇われた労働者は夕方の5時でした。日が落ちて、ぶどう園の主人は労働者に賃金を支払います。最初に賃金の支払いを受けたのは、最後に雇われた労働者たちでした。主人は1時間しか働いていない彼らに1デナリを払います。この主人の気前の良さが、最初に雇われた人々の期待を膨らませました。しかし彼らに支払われたのも同じ1デナリでしたので、不満が爆発します「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと、この連中とを同じ扱いにするとは」(マタイ20:12)。それに対する主人の答えが「私の気前のよさをねたむのか」です。「ねたむ」、原語では「あなたの悪い目=オルタルモノス・スー・ポネロス」、自分の財産や権利を守るために、私たちが自分の周りに張り巡らしてしまう視線のことです。あなたがたはそのような「悪い目」を持っていると主人は答えます。
・主人は何故1時間しか働かない人に、1デナリを支払ったのでしょうか。それは1デナリがないと労働者とその家族は今日のパンが買えないからです。それは生きるための最低賃金、人間の尊厳を守るための賃金なのです。この主人の慈しみが人間をつまずかせます。朝から働いた労働者はこの世的な公平を求め、その結果、1時間労働者が今日のパンを買うことが出来なくとも、それは彼等の関知するところではない。現代日本では労働者の3分の1は非正規雇用であり、彼らはいくら働いても家族を養うだけの収入を得ることは出来ません。また労働組合も非正規雇用の問題には関与しない。彼らは組合員ではないからです。
・私たちの社会は「悪い目」を内包しています。この悪い目、自分の満足のためであれば他人のことを考慮しない悪い目こそ、聖書の語る「罪」です。この「悪い目」が子供たちの世界では、「いじめを見ても見ないふり」という行為をさせます。いじめられている人に同情すれば今度は自分がいじめの対象になりかねないからです。この「悪い目」が大人の社会では、「食品偽装や談合等の悪に目をつむる」行為に招きます。内部告発して会社が倒産すれば、自分の生活を脅かされるからです。しかし、聖書は、この「悪い目」こそ、罪の本質だと告発します。


*ネヘミヤ記5章参考資料:現代において債務免除が実際に行われた(2000.6.18クリスチャン新聞から)

・2000年に沖縄で開かれる先進国首脳会議(サミット)に向かって国際NGO「ジュビリー2000」は、先進国に「最貧国債務帳消し」の前進を求めている。1999年ケルン・サミットで、途上国が抱える累積債務の帳消しを求めてジュビリー2000は、会場を3500人の「人間の鎖」で囲み、1700万人の署名を独首相に届けた。この運動は1990年、アフリカ・キリスト教協議会が2000年までに最貧国債務帳消しを求めたことから始まった。
・ジュビリーとは、レビ記25章「ヨベル」の年のことで、聖書では50年ごとの贖罪の日に、土地や家屋を元の所有者に返し、奴隷を解放するように神がイスラエルの民に命じたとされる。このヨベルの年にはすべての債務は帳消しにすべしと定められた。国連は2000年をジュビリーの年と定めた。世界のプロテスタントとカトリックは2000年をヨベルの年の理想を生かす年にしようとしている。
・ジュビリー運動の結果ケルン・サミットでは重債務貧困国の債務削減が合意された。重債務貧困国とは一人当たりの国民総生産(GNP)が695ドル以下で、債務が年間輪出額の200%、GNPの80%以上の国とされ、現在はアフリカ諸国を中心に41か国、13億人。ケルン・サミットでは重債務貧困国への政府開発援助(ODA)債権のうち700億ドルの削減を含めた「ケルン債務イニシアティブ」が発表された。その後、米英仏が2か国間の債務を一方的に100%放棄すると宣言した。独とカナダもそれに続いた。
・Drop the Debt Nowという運動が日本政府にとって厄介なのは1兆円(90億ドル)という先進国で最大の援助債権を持つ日本が「一番消極的」とNGOなどに受け止められている点であり、ユダヤ・キリスト教的な価値観になじみの薄い国内世論の理解をどのように喚起するかという点である。ジュビリー2000の運動は、世界の民がキリストによってすべての束縛から解放されるという神の約束のうちにあることを祝うものである。イエス・キリストは貧しい者をあわれんでおられる。21世紀に、地球上のすべての人が人間らしく生きる世界にしたい。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2014年6月19日祈祷会(ネヘミヤ記4章、妨害にたいして武装して工事する)
カテゴリートップ
ネヘミヤ記
次
2014年7月3日祈祷会(ネヘミヤ記6章、エルサレム城壁の完成)