すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.エルサレムの城壁再建が許可される

・捕囚からの最初の帰還(前539年)から100年近く経った前445年、エルサレムの城壁はまだ再建されず、町は廃墟のままに放置されていた。城壁再建の動きは何度もあったが、現地を支配するサマリヤ人たちの妨害により、再建は進んでいなかった。エズラ記には、城壁再建を禁止する申請書の写しが記録されている。
-エズラ記4:11-16「アルタクセルクセス王に、ユーフラテス西方の臣下一同より御報告します。王のもとからこちらに上って来たユダの者らがエルサレムに着き、反逆と悪意の都を再建していることをご存じでしょうか。彼らは既に城壁の工事を始め、基礎を修復しました・・・もしその都が再建され、城壁が完成しますと、彼らは年貢、関税、交通税を納めず、王に次々と損害を与えることになるに相違ありません・・・この都が再建され、城壁が完成すれば、ユーフラテスの西方には、王の領土がなくなるということを、あらかじめお知らせします」。
・その報告を見て、時のペルシア王アルタクセルクセス王(在位前465-425年)は城壁再建を禁止する勅令を出した(エズラ記4:21)。当時、ペルシア領内のあちらこちらで叛乱が起きており、王もそれを懸念したのである。前460年前後と思われる。そのアルタクセルクセス王に仕える給仕人ネヘミヤの元に、故郷エルサレムから城壁再建を求める使いが来たのは前445年であった。ネヘミヤは慎重に時を選んで、王に城壁再建を願いでる。
-ネヘミヤ2:1-5「アルタクセルクセス王の第二十年・・・私がぶどう酒を取って、王に差し上げていた・・・王は私に尋ねた『暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない』。私は・・・王に答えた『私がどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです』。すると王は『何を望んでいるのか』と言った。私は天にいます神に祈って、王に答えた『もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、私をユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます』」。
・城壁再建が禁止された時から15年が経ち、領内の治安も回復していた。王はネヘミヤに城壁再建の許可と必要な資材の提供を許した。ネヘミヤに取っては神の摂理としか思えない王の好意であった。
-ネヘミヤ 2:7-8「私は王に言った『・・・私がユダに行き着くまで、私を通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためと私が入る家のために木材を私に与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます』。神の御手が私を守ってくださったので、王は私の願いをかなえてくれた」。

2.ネヘミヤの帰国と城壁再建の準備

・ネヘミヤは帰国の途につくが、現地のサマリヤ総督やアンモン総督は城壁再建の妨害を行う。捕囚以降、ユダヤの土地はサマリヤ人たちに占領され、帰還したユダヤ人たちは土地の返還を受けることが出来なかった。城壁再建を認めないのは、ユダヤ人のエルサレム居住を阻止するためであった。
-ネヘミヤ 2:10「ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた」。
・ネヘミヤ記ではすぐの帰国が想定されているが、実際は数年間の準備期間が必要であったと思われる(資材の調達や労働力の確保等)。ヨセフスはネヘミヤの帰国を5年後の前440年と記述する(ユダヤ古代史)。帰国したネヘミヤは慎重に現地調査を行い、城壁の破損状況を調べる。
-ネヘミヤ2:11-15「私はエルサレムに着き、三日間過ごしてから、夜、わずか数名の者と共に起きて出かけた。だが、エルサレムで何をすべきかについて、神が私の心に示されたことは、だれにも知らせなかった・・・夜中に谷の門を出て、竜の泉の前から糞の門へと巡って、エルサレムの城壁を調べた。城壁は破壊され、城門は焼け落ちていた。更に泉の門から王の池へと行ったが、私の乗っている動物が通る所もないほどであった。夜のうちに谷に沿って上りながら城壁を調べ、再び谷の門を通って帰った」。
・ネヘミヤはその後、ユダヤ人共同体の代表を集め、城壁再建の相談をする。代表たちは王の禁止勅令を知っている故に慎重であったが、ネヘミヤは王の書簡等を示して、彼らの協力を取り付ける。
-ネヘミヤ2:16-18「役人たちは、私がどこに行き、何をしたか知らなかった。それまで私は、ユダの人々にも、祭司にも、貴族にも、役人にも、工事に携わる他の人々にも、何も知らせてはいなかった。やがて私は彼らに言った『御覧のとおり、私たちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない』。神の御手が恵み深く私を守り、王が私に言ってくれた言葉を彼らに告げると、彼らは『早速、建築に取りかかろう』と応じ、この良い企てに奮い立った」。
・反対派のサマリヤ人たちは妨害準備を始め、ネヘミヤたちは周辺異民族の攻撃の中で城壁再建を行っていく。
-ネヘミヤ2:19-20「ホロニ人サンバラト、アンモン人の僕トビヤ、アラブ人ゲシェムは、それを聞いて私たちを嘲笑い、さげすみ、こう言った『お前たちは何をしようとしているのか。王に反逆しようとしているのか』。そこで私は反論した『天にいます神御自ら、私たちにこの工事を成功させてくださる。その僕である私たちは立ち上がって町を再建する。あなたたちには、エルサレムの中に領分もなければ、それに対する権利も記録もない』」。
・ネヘミヤのような経験を私たちもする。会堂建築の時だ。会堂建築においては収支計算を超える神の働きを私たちは見る。以下は2011.11.20篠崎キリスト教会献堂式説教の要約である。
-今日、私たちは篠崎キリスト教会の新会堂の献堂礼拝を捧げるために、ここに集められました。篠崎の地で伝道が開始されたのは1969年、42年前です。そこに会堂が建てられたのが1973年、38年前でした。概ね40年の歴史を私たちは有しています。旧会堂は1992年に増築されましたが、耐震補強等の問題が解決されなかったため、今回の会堂建て直しに至りました。
-2008年に建築委員会が発足し、会堂建築の模索が始まりました。当初は5千万円位あれば建つのではないかとの大まかな計画でしたが、次に多摩川教会の白石建築士をお呼びして教会建築の勉強会を進めた段階では、やはり6千万円は必要として討議を進めました。その過程で娘の紹介で、大学(芝浦工大)の建築学教授であられた畑惣一先生がオブザーバーとして参加され、話し合いを重ねる内に、計画が詳細化して行きました。2010年3月教会総会で新会堂建築の決議が為され、最終的な建築資金を7千5百万円として設計がつめられていき、2011年2月から工事が始まりました。最終的には必要資金が9千万円にまで膨らんでいきました。
-私たちの教会は現在会員38名、礼拝出席30名の小さな教会です。年間の経常献金は7百万円にすぎません。最初から9千万円の総工費が提示されたら、「とても無理だ」と計画は頓挫したと思います。しかし建築費用が5千万円、6千万円、7千5百万円と次第に大きくなっても、必要な資金が備えられ、最後の段階で総工費が9千万円に跳ね上がった時も、資金の調達が出来ました。不思議な神の働きを私たちは見ました。
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