すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エズラ記  >  2014年5月21日祈祷会(エズラ記10章、異邦の妻との離縁が行われる)
1.異邦人との離縁の命令が下される

・エズラがバビロンから帰国して最初に気付かされたことは、エルサレムの民が異民族の娘たちと交じり合い、民族的純一性が失われつつあることだった。それはイスラエルを「聖なる種族」と理解するエズラには考えられない、恥ずべきことだった。だから彼は神の前に悔い改めてひれ伏す。
−エズラ9:6-7「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、私は顔を上げることができません。私たちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪科の中にあります。その罪悪のために、私たちは王も祭司もこの地の王の支配下に置かれ、剣にかけられ、捕らわれ人となり、略奪され、辱められてきました。今日、御覧のとおりです」。
・罪の大きさに絶望するエズラの姿を見て、民は自分たちの罪に気付き、悔い改め、異民族の妻たちを離縁するから赦しを神にとりなしてほしいと、エズラに申し出る。
−エズラ記10:1-4「エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。エラムの一族のエヒエルの子シェカンヤはエズラに言った『私たちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました。しかしながら、今でもイスラエルには希望があります。今、私の主の勧めと、神の御命令を畏れ敬う方々の勧めに従って私たちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします。律法に従って行われますように・・・あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください』」。
・事態は進行し始める。異邦人の妻子を持つ会衆は三日以内にエルサレムに集結すること、来ない場合はその人の財産を没収し、共同体から追放することが布告された。
−エズラ10:7-8「すべての捕囚の子らがエルサレムに集まるように、ユダとエルサレムに布告が出された。三日以内に出頭しない者があれば、長たちと長老たちの勧めによって、その全財産を没収し、その者を捕囚の民の会衆から追放することになった」。
・集まった民にエズラは「異民族との結婚の禁止」と、「結婚している者は妻子を離別する」ように求めた。
−エズラ10:10-12「祭司エズラは立ち上がり、彼らに言った『あなたたちは神に背いた。異民族の嫁を迎え入れて、イスラエルに新たな罪科を加えた。今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい』。会衆はこぞって大声で答えた『必ずお言葉どおりにいたします』」。
・調査が行われ、異民族の嫁を受け入れた男たちは布告に従い、離縁する。18節以下はその人々のリストである。
−エズラ10:17-19「第一の月の一日に、異民族の嫁を迎え入れた男子の調査をすべて終えた。祭司の一族の中で、異民族の女を嫁に取ったのは、ヨツァダクの子イエシュアの一族とその兄弟の中のマアセヤ、エリエゼル、ヤリブ、ゲダルヤ。彼らは妻を離縁することに同意した。罪を認め、償いのために群れの中から雄羊一匹をささげた」。

2.この出来事を現代の私たちはどのように読むか

・この記事は現代の私たちに、戸惑いと困惑を与える。大勢の人に離婚を強制する苛酷さと、離縁された妻子の行末について思う時、本当に神が命じられたことなのかと思う。しかし、この出来事を現代の倫理観で判断すべきではないだろう。何故ならば異民族の娘との結婚の背景には、帰還民のある者たちが生活の豊かさを求めてのユダヤ人妻を離婚し、異邦人女性と結婚した事実があった。エズラの措置は不法な離婚の取り消しでもある。
−マラキ2:14-16「あなたたちは・・・妻を裏切った。彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約をした妻である・・・あなたたちは、自分の霊に気をつけるがよい。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。私は離婚を憎むとイスラエルの神、主は言われる。離婚する人は、不法でその上着を覆っていると万軍の主は言われる」。
・同時に当時のユダヤ人が置かれた民族絶滅への恐怖を考える必要もあろう。同族婚、割礼の実施、安息日の厳守、食物規定の厳守等を通じて初めて、ユダヤ民族の同一性維持が可能であったことを配慮する必要はある。
−出エジプト記34:15-16「その土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがその神々を求めて姦淫を行い、その神々にいけにえをささげるとき、あなたを招き、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたが彼らの娘を自分の息子にめとると、彼女たちがその神々と姦淫を行い、あなたの息子たちを誘ってその神々と姦淫を行わせるようになる」。
・私たちが結婚や離婚を考える時、言葉そのものを直接的に適用することは慎むべきだ。例えばパウロが「離婚するな」と言う時、彼はどのような背景の中でそう言うのかを理解した上で、実際の適用を考えるべきであろう。
-1コリント7:10-15「既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない・・・既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。また、夫は妻を離縁してはいけない・・・ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない・・・しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです」。

*イエスは離縁についてどう語られたのか(2009年10月4日説教、マルコ10:1-12から)
・マルコ10章は結婚と離婚についてのイエスの教えを記しています。ここでイエスが言われた言葉「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」は、過去2000年間、家族制度についての規範となってきました。カトリック教会はイエスの言葉を絶対的な神の戒めとして、一切の離婚を禁じてきました。他方、16世紀に生まれたプロテスタント教会においては、イエスの言葉を霊的に受け止め、「夫婦が内面的に深く結ばれてこそ結婚であり、夫婦の愛情が崩壊している時はその限りではない」として、離婚を認めてきました。
・イエスがユダヤ地方に入られた時、イエスに敵対するパリサイ派の人々は、イエスを罠にかけようとして離縁について尋ねてきました「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」(10:2)。律法の立場からは離縁が許されていました。それを知っているパリサイ人がこのような質問をしたのは、イエスが姦淫に対して厳しい態度を取っておられることを聞き知って、イエスから「離縁は許されない」という言葉を引き出し、イエスが律法の教えに従っていないことを明らかにするためでした。
・イエスは逆に質問されます「モーセはあなたたちに何と命じたか」(10:3)。パリサイ人は答えます「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」(10:4)。パリサイ人の答えの根拠となった規定は申命記24:1です「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」。この「妻に恥ずべきことを見いだし」という離婚理由について、ラビたちの間で論争があり、「姦通等の不品行だけに限るべきだ」と厳格に解釈するシャンマイ学派と、「食物を焦がす」ことまで含めて広く解釈するヒレル学派が対立していました。支持が集まっていたヒレル派の考え方では、夫が妻を嫌になればいつでも離縁することが出来たのです。
・それに対してイエスは厳しい言葉を返されます。それが10:5以下の言葉です「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である」。神は人を男と女に造られ、男女の交わりを通して命が継承されていくようにされた。その神の御心をあなた方はないがしろにして、「妻が年老いたので若い妻を娶りたい」とか、「他の女性の方が好ましくなったので離縁したい」とかいう人間の掟を作り上げている。それが神の御心ではない。神が望んでおられることは、「二人が一体となって生きる」こと、「神の前に対等で平等な存在として生きる」ことだ。だから「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(10:9)。
・留意すべきは、イエスがここで「離婚の絶対禁止」を言われているのではなく、「男の身勝手な行為によって経済的、社会的困窮に妻を追いやるような離婚は許されない」ということです。当時の女性は経済的には夫に頼って生きていましたから、実際に夫に追い出され、路頭に迷う多くの妻たちをイエスは目にされ、「そのような勝手を神は許されない」とされたのです。イエスの時代は圧倒的な男性優位社会であり、妻は夫と離れては生活していくことが出来なかった。だから離縁にしても妻の側からの申し出や協議離縁等はありえず、離縁といえば「夫が妻を追い出す」ことでした。その文脈の中で語られた「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」を、状況の異なる現代に適用して離婚を禁止するのは、このパリサイ人と同じ過ち、すなわち「神の御心をないがしろにする」行為になりかねないです。
・カトリック教会はイエスの教えを倫理として受取り、離婚を禁止しますが、このことによって多くの弊害が生じています。ヨーロッパのカトリック国、フランスやイタリアでは結婚しない人たちが増えているのです。若者たちは言います「一度結婚したら離婚できないのであれば、結婚しないほうが良い」。その結果増えているのが同棲です。同棲と結婚と何が異なるのか、結婚届という一枚の紙を行政当局に出すか出さないかの違いです。しかし、この「紙一枚」が人の生き方を大きく変えます。人間が単に、肉体的、生物学的な存在であれば、結婚も同棲も同じです。しかし人間は霊的な存在でもあります。「健やかな時も病める時も愛し続け、決して裏切りません」と紙一枚であれ誓うのは、人間が人間であるからです。離婚の自由がないところでは、本当の結婚の意味も失われていくのです。
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