すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.神殿の完成

・捕囚民は前520年神殿工事を再開したが、ペルシア帝国のシリア総督からの横槍が入る。彼は本国に神殿工事の中止を訴えるための文書を提出する。
-エズラ5:8-17「私どもがユダの州に赴き、大いなる神の神殿に来てみますと、それは切り石で建てられ、壁には板が張られ、工事は熱心に進められ、彼らの手によって完成は間近に迫っておりました・・・彼らは『バビロンの王キュロスはその治世の第一年に、この神殿の再建をお命じになった』・・・エルサレムにあるこの神殿を建てよとの命令が、キュロス王によって出されたことがあるのかどうか、バビロンにある王宮の記録保管所をお調べいただきたいのです」。
・照会の目的は工事を中断させることであった。しかし本国で調べた所、確かに前王キュロスの勅令による工事認可が確認された。
-エズラ6:1-5「ダレイオス王により命令が出され、バビロンにある記録保管所が調べられ、メディア州の都エクバタナで一つの巻物が見つかった。それには、このように記されていた『覚書。キュロス王の第一年、キュロス王、勅令を発布。エルサレムの神殿、いけにえをささげる場所として、以前の基礎を保ったまま、神殿は再建されなければならない・・・費用は国庫負担とする。ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から取り出して、バビロンに持って来た神殿の金銀の祭具類は返還され、エルサレムの神殿にある元の場所に戻されなければならない。それをその神殿に納めるようにせよ』」。
・その為、ペルシア王ダレイオスは地方総督に工事の継続と財政的協力を命令する。
-エズラ6:6-8「ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちは干渉をやめ、その神殿の工事をさせることにせよ。ユダの長官と長老たちは、かつて神殿があった場所にその神殿を再建しなければならない。この神殿を建てるために、あなたたちがそのユダの長老たちを援助することを、私は命ずる。その経費はユーフラテス西方からの税収による国費によって賄われ、滞りなく正確にそれを彼らに与えよ」。
・この記事だけを見るとペルシア王ダレイオス(在位前521-486年)は公正な、滋味あふれる賢王のように見える。しかしギリシャの歴史家ヘロドトスによれば彼はバビロニアで起きた叛乱(前522-521年)鎮圧のために3千人を磔で処刑したという。その冷酷さの一端がエズラ書の記事から伺える。
-エズラ6:11-12「この定めに違反するものはだれであれ、自分の家から抜き取られた角材にはりつけにし、その家も廃虚とすることを、私は命ずる。この命令をあえて犯し、エルサレムにあるこの神殿を破壊しようとする王や国があれば・・・一人残らず滅ぼされるように。私ダレイオスが、この命令を下す。命令どおり実行せよ」。
・一旦反逆を疑われると容赦無く処罰される状況が古代にはあった。前71年にイタリアで起きたスパルタクスの叛乱(第三次奴隷戦争)では、捕らえられた6千人がアッピア街道沿いに列を並べて処刑された。イエスもローマ帝国への反逆罪で処刑されたが、ローマ支配の50年間にユダでは5千人の人が十字架刑で殺されたという。イエスの十字架も多くの処刑の一つであったことを銘記する必要がある。

2.神殿建築に伴う危険性

・前515年神殿が完成し、奉献礼拝が執り行われた。ユダ各地から人々が集まり、犠牲の捧げ物が捧げられた。
−エズラ6:14-17「ユダの長老たちは・・・イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二匹をささげた」。
・その後捕囚民たちは捕囚からの帰還と神殿の回復を祝って過ぎ越しの祭りを行う。この度の捕囚からの帰還(出バビロン)は先の出エジプトに劣らぬ神の救済の業であると人々は理解した。
−エズラ6:19-22「捕囚の子らは、第一の月の十四日に過越祭を行った。祭司とレビ人は共に身を清めていたので皆清く、捕囚の子ら皆のため、仲間の祭司のため、また彼ら自身のために、過越の生け贄を屠った。捕囚の地から帰って来たイスラエルの人々も、イスラエルの神なる主を尋ね求めて、その地の諸民族の汚れを離れて来た人々も皆、過越の生け贄にあずかった。そして七日間にわたって、喜び祝いつつ除酵祭を行った。主がアッシリアの王の心を彼らに向け、イスラエルの神の神殿を再建する工事を支援させて、彼らに喜びを与えられたからである」。
・注目すべき記事が21節にある(「その地の諸民族の汚れを離れて来た人々も皆、過越の生け贄にあずかった」)。7章からエズラ・ネヘミヤの改革記事が始まるが、その中核は「異民族の汚れ」を取り除く(具体的には異邦人との結婚の禁止、異邦人の妻の離別)ことであった。イエスが取り組まれたのもユダヤ人の抜きがたい「汚れ」観念の除去であった。イエスの弟子たちもこの「汚れ」と戦った。
-マルコ7:15「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」。
-使徒10:11-15「天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。しかしペトロは言った『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません』。すると、また声が聞こえてきた『神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない』」。
・ナチス支配下のドイツでも同じ出来事が起こった。ドイツの賛美歌作者として著名なヨッヘン・クレッパーは妻がユダヤ人だった故にナチス政権下でいわれのない迫害を受け、妻が強制収容所に入れられることに抗議して、自死した。彼はその日記を「御翼の陰に」と題して克明につづり、死後刊行された。
-ヨッヘン・クレッパー「死の二日前の日記」(1942・12.9)
「妻ハンニと子どもとを強制追放の中でももっとも残忍で身の毛もよだつそれへ(絶滅収容所)行かせることが、私には耐えられないのは神もご存知だ。ルターがしたように「わが体も、財産も、名誉も、わが妻子も取らばとりね」(讃美歌538番神はわが力)と神に誓うことが私に出来ないのは神もご存知だ。「わが体も、財産も、名誉」も出来る。しかし・・・」。
-ヨッヘン・クレッパー「死の当日の日記」(1942・12.11)
「午後、保安情報部での交渉、終に私たちは死ぬ。ああこのことも神の御許でのことだ。私たちは今晩一緒に死につく。私たちの頭上にはこの最後の数時間、私たちのために闘っておられる祝福するキリスト像が立っている。この眼差しの下で、私たちの生は終わるのだ」。
-ヨッヘン・クレッパー「夕べの歌」
「あなたは強き御腕をさしのべたまいました。わざわいも私を苦しめることはありません。私の眠りがなお脅かされることがあるとしても、私は見守りのうちに安らかに生きるのです。あなたは私のまぶたに手をさしのべたもう。私は一切の憂いなく眠ります。この夜、私を導きたもう方は、明日もまた導いて下さるのですから」。
(宮田光雄「聖書の信仰」第7巻・信仰と芸術から)。
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