すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エズラ記  >  2014年3月20日祈祷会(エズラ記1章、捕囚からの帰還)
1.エズラ記・ネヘミヤ記とはどのような書か

・旧約聖書の歴史には二つの流れがある。一つは預言者の立場から書かれた歴史書で、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)-ヨシュア記-サムエル記上下-列王記上下と続き、族長時代からバビロン捕囚までの歴史を罪の歴史として批判的に記す。
・もう一つの流れは歴代誌上下-エズラ記-ネヘミヤ記の祭司の描く歴史書である。前334年のアレキサンダーのパレスチナ占領で始まったヘレニズム化の進展の中で、伝統的な宗教の後退に危機感を抱いた祭司たちが、律法という視点で歴史を書き直したのが、歴代誌以降の歴史書といわれる。歴代誌は族長時代以降捕囚期までを記し、捕囚期以降の歴史をエズラ・ネヘミヤ記が担う。エズラ・ネヘミヤ記は歴代誌の続編である。歴代誌は概ねサムエル記・列王記の焼き直しであるためその学びは省略し、エズラ・ネヘミヤ記の学びに入っていく。

2.捕囚からの帰還

・前538年バビロニヤ帝国はペルシアに滅ぼされ、ペルシア王クロスは捕囚民の帰国命令を出す。その命令への記述でエズラ記は始まる(内容的には歴代誌36:22-23と重複する)。
-エズラ記1:1-4「ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。『ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国を私に賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることを私に命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ』」。
・文中に引用されるエレミヤの預言は、捕囚時の前594年頃にエレミヤが書いた書簡の中にある。
-エレミヤ29:10-14「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。その時、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる。私は捕囚の民を帰らせる。私はあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる」。
・捕囚帰還時の預言者・第二イザヤはユダヤ人に帰国(第二の出エジプト)をもたらしたペルシア王クロスをメシア、主の牧者と呼ぶ。神は異邦人をさえ用いて、ご自分の業を為される方である。
-イザヤ44:24-28「あなたの贖い主、あなたを母の胎内に形づくられた方、主はこう言われる。私は主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。虚しいしるしを告げる者を混乱させ、占い師を狂わせ、知者を退けてその知識を愚かなものとする。僕の言葉を成就させ、使者の計画を実現させる。エルサレムに向かって、人が住み着くと言い、ユダの町々に向かって再建される、と言う。私は廃虚を再び興す。深い水の底に向かって、乾けと言い、お前の大河を私は干上がらせると言う。キュロスに向かって、私の牧者、私の望みを成就させる者、と言う。エルサレムには再建されると言い、神殿には基が置かれると言う」。
・1章後半から捕囚民の帰還が描かれる。最初に帰国したのはセシバザル(シェシュバツァル)に率いられた少数の者たちであった。バビロンに生活の基盤を置き、帰国しない者たちは帰国民を財政的に支援した。
-エズラ1:5-10「そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした。周囲の人々は皆、あらゆる随意の献げ物のほかに、銀と金の器、家財、家畜、高価な贈り物をもって彼らを支援した。キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムの主の神殿から出させて、自分の神々の宮に納めた祭具類を取り出させた。ペルシアの王キュロスは財務官ミトレダトによってそれを取り出させ、ユダの首長シェシュバツァルの前で数えさせたところ、その数は次のとおりであった。金の容器三十、銀の容器一千、小刀二十九、1:10 金杯三十、二級品の銀杯四百十、その他の祭具一千、以上金銀の祭具の合計五千四百。シェシュバツァルは、捕囚の民がバビロンからエルサレムに上って来たとき、これらの品々をすべて携えて上った」。
・ここにあるのは第二の出エジプトとも言える記述であり、著者は新たな救いの出来事として記述する。それは新約記者にも継承され、マタイはイエスのエジプト避難からの帰国を救いの始まりとして福音書冒頭に書く(史実的にはイエスのエジプト避難はなかったであろう。マタイは信仰の視点からそれを書く)。
-マタイ2:14-15「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『私は、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」。

*エズラ1章参考資料:エレミヤ29章との出会いについて

・ある時、聖書の言葉がその人間を捕え、一生を変えてしまう出来事が起こる。私が27年間の会社勤めを辞め、神学大学に行くきっかけになったのはエレミヤ29章との出会いであった。エレミヤは捕囚から4年たった紀元前594年頃、手紙をバビロニヤの捕囚地の人々に送った。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」(29:5-6)。捕囚地の人々は、ある者は祖国帰還を熱狂的に確信し、反バビロニヤの画策をしていた。他の者は前途を諦め、絶望的になっていた。その人々にエレミヤは勧めた。「自分たちの置かれた状況を冷静に見つめ、その地で為すべきことを為せ」。
・私がこの言葉を自分への使信と受取ったのは、1998年11月のことである。私は大学卒業後、東京に本社を持つ会社に入社し、大半を東京本社で過ごしてきたが、ある時本社課長から福岡支社課長への転属を言い渡された。明らかな左遷であった。支社の仕事には身が入らず、東京本社への早期帰還だけを考えていた。福岡は仮の地、やがて東京に帰る時までの短期滞在の地と考えていた。
・その時、教会の聖書研究会でエレミヤ29章に出会った。この言葉を読んだ時、東京に帰ることのみ考えて、現在の仕事や学びに上の空だった自分に対して、「その地に根を下ろせ」と言われたような気がした。この言葉に接して福岡での生活が変わった。仕事は九州管内企業への財務営業であったが、取引のない地場企業への接触を活発に始めた。教会も現地教会に転籍し、教会学校教師として毎週の学びのための自作テキストを作り始めた。福岡に行って最初の1年間は空虚だったが、エレミヤ29章に出会った残りの1年間は充実した時であった。そして2年が過ぎ、勤務する会社が希望退職者を募り始め、それを契機に、会社を辞め、神学大学に再入学し、卒業後現在の教会に牧師として赴任した。エレミヤ29章が道を導いた。
・聖書学者の佐藤研は著書『イエスの父はいつ死んだか、講演・論文集』(聖公会出版、2010年)の中で、「ゼロ人称的な聖書との出会い」があると語る。「ゼロ人称的な読み方とは、新しい世界を開いてくれる主体に聖書の言葉自体が変化するという出来事です。一生に一度か二度、そのような危機の状態で、何かに出会った瞬間、いわば全身全霊で自分が飲み込まれるような、そして今まで全く思ってもいなかった何かが、ポカッと開くという、そのような体験的な読み方です」。私のエレミヤ書との出会いもそうであったと思う。
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