すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.神の赦しによるエルサレムの回復

・バビロニアからの使者たちが、「神殿の完成が近づいているので断食を止めても良いか」との伺いをしてきた時に、ゼカリヤは反問した「あなたたちは何のために断食を行うのか、神のためか、それともあなた自身のためなのか」と。
−ゼカリヤ7:4-6「万軍の主の言葉が私に臨んだ。『国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも、あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが、果たして、真に私のために断食してきたか。あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか』」。
・民の悔い改めは十分ではない。しかし、神は民を赦され、エルサレムを復興させられる。何故ならば「神は滅ぼすためにではなく、救うために裁かれる」からだ。ゼカリヤが語るのは神の裁きは「脅し」ではなく、「福音」であるということだ。
−ゼカリヤ8:1-3「万軍の主の言葉が臨んだ。『万軍の主はこう言われる。私はシオンに激しい熱情を注ぐ。激しい憤りをもって熱情を注ぐ。主はこう言われる。私は再びシオンに来て、エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムは信頼に値する都と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれる』」。
・宗教者はいつの間にか福音を忘れ、裁きや脅しを強調する。洗礼者ヨハネがそうだったし、アメリカ信仰復興運動の指導者ジョナサン・エドワーズもそうだった。それは聖書の思想ではない。
-ジョナサン・エドワーズの説教から「昨晩あなたが目を閉じて眠った後、地獄に墜ちることなく再びこの世に目を覚ますことが出来たのは、全く何の理由もないことです。あなたが今朝起きて後、地獄に墜ちなかったことには何の根拠もありません。ただ神の手があなたを支えていたに過ぎないのです」。(1741年説教「神の怒りの手の中にある罪人たち」、森本あんり『アメリカ的理念の身体』(創文社、2012年、pp.200-201))。
・ゼカリヤは預言を続ける「復興の暁には町の広場に老人たちが座り、子どもたちの笑い声が響くであろう」と。前518年当時、エルサレムには老人はほとんどいなかった。多くの人は病気と混乱のために若くして死に、捕囚地にいた老人たちの多くは帰国しなかった(バビロンとエルサレムの間には砂漠と荒野の困難な1千キロが障壁となり、帰還を妨げていた)。また子どもたちを持つ若い家族も、廃墟と貧困の都への帰還をためらったであろう。エルサレムには老人も子供もいなかった。ゼカリヤが語るのは今の現実ではなく、将来のビジョン(幻)だった。
−ゼカリヤ8:4-5「万軍の主はこう言われる。エルサレムの広場には、再び、老爺、老婆が座すようになる、それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。都の広場はわらべとおとめに溢れ、彼らは広場で笑いさざめく」。
・当時のエルサレムの状況は2011年原発事故後の福島と似ている。福島県の人口は事故後8万人減少し、県外避難者が5万人いる。25年後の2040年県人口は148万人(−46万人)と推計されている。市町村レベルではもっと深刻であろう。過疎と原発被害の重層構造による人口減少である。しかしゼカリヤは、主が人々の心を動かして多くの捕囚民を帰国させると預言する。
−ゼカリヤ8:6-8「万軍の主はこう言われる。そのときになって、この民の残りの者が見て驚くことを、私も見て驚くであろうかと万軍の主は言われる。万軍の主はこう言われる。見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも、私はわが民を救い出し、彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。こうして、彼らは私の民となり、私は真実と正義に基づいて、彼らの神となる」。

2.断食の日が祭りの日に

・ゼカリヤの預言は打ち沈む人々を励ますためであった。「主が共におられるではないか」とゼカリヤは語る。「あなたたちが神殿再建に取り掛かり始めた時に、回復は始まっている」のだと。
−ゼカリヤ8:9-11「万軍の主はこう言われる。勇気を出せ。あなたたちは、近ごろこれらの言葉を、預言者の口から、度々聞いているではないか。万軍の主の家である神殿の基礎が置かれ、再建が始まった日から。以前には、人間の働きに報いはなく、家畜も、働きの報いに何の食も得なかった・・・しかし今、私はこの民の残りの者に対して、以前のようではない、と万軍の主は言われる」。
・主が共におられるのであれば、大地は実を結び、豊かな祝福が臨むとゼカリヤは預言する。
−ゼカリヤ8:12-15「平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。私は、この民の残りの者に、これらすべてのものを受け継がせる。ユダの家よ、イスラエルの家よ、あなたたちは、かつて諸国の間で呪いとなったが、今や私が救い出すので、あなたたちは祝福となる。恐れてはならない。勇気を出すがよい。まことに、万軍の主はこう言われる。あなたたちの先祖が私を怒らせたので、私はかつて、あなたたちに災いをくだす決意をして悔いなかった、と万軍の主は言われる。そのように、今や私は再びエルサレムとユダの家に幸いをもたらす決意をした。恐れてはならない」。
・イスラエルの罪は赦されるが、再び過去の生活に戻ってはいけない。「罪赦された者としての新しい生き方をせよ」とイスラエルは命じられる。
−ゼカリヤ8:16-17「『あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき、平和をもたらす裁きをせよ。互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしようとするな。これらすべてのことを私は憎む』と主は言われる」。
・そして最後にゼカリヤは、「断食を止めるべき時が来た」と語り始める。裁きの時は終わった、これからは断食の日を祭りの日にするのだと。
−ゼカリヤ8:18-19「万軍の主の言葉が私に臨んだ。『万軍の主はこう言われる。四月の断食、五月の断食、七月の断食、十月の断食はユダの家が喜び祝う楽しい祝祭の時となる。あなたたちは真実と平和を愛さねばならない』」。
・その時、諸国の人々はエルサレムに礼拝のために集う。シオンの山が再び巡礼者であふれると。
−ゼカリヤ8:20-23「万軍の主はこう言われる。更に多くの民、多くの町の住民が到着する。一つの町の住民は他の町に行って言う。『さあ、共に行って、主の恵みを求め、万軍の主を尋ね求めよう』、『私も喜んで行きます』。多くの民、強い国々の民も来て、エルサレムにいます万軍の主を尋ね求め、主の恵みを求める。万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ』」。
・それはイザヤやミカの終末預言と同じだ。エルサレムは平和の都となり、諸国からの巡礼者で満たされると彼らは預言した。しかし現実世界ではそれは生じ得ない。だから私たちは「神の国」を待望するのだ。
-イザヤ2:2-5「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」。
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