すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ゼカリヤ書  >  2014年1月9日祈祷会(ゼカリヤ7章、悔い改めのない断食は無意味である)
1.断食は何のために行うのか

・ゼカリヤは人々を鼓舞して神殿再建工事を励ましてきた。工事再開から2年、神殿の骨組みが見え始めたダレイオス王4年(紀元前518年)、バビロニアの残留ユダヤ人の代表者ベテルが二人の部下をエルサレムに派遣し、今年もまた5月と7月に断食を行うべきかを聞いてきた。5月にはエルサレム神殿崩壊を悲しむ断食が、7月にはエルサレム崩壊後のユダヤ再建を図ったゲダリヤの暗殺を悲しむ断食が70年に渡って続けられていた。神殿が完成に近づいているので、「断食を止めても良いか」との伺いだった。
−ゼカリヤ7:1-3「ダレイオス王の第四年になって、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。それは九月、キスレウの月の四日のことであった。ベテルはサル・エツェルとレゲム・メレクおよび彼の従者たちを遣わして、主の恵みを求めさせ、また万軍の主の神殿の祭司たち、および預言者たちに次のような質問をさせた。『私は、長年実行してきたように、五月には節制して悲しみのときを持つべきでしょうか』」。
・ゼカリヤは「断食を続けるべきか」という問いには直接に答えずに、反問する「あなたは何のために断食を行うのか、神のためか、それともあなた自身のためなのか」と。
−ゼカリヤ7:4-6「そのとき、万軍の主の言葉が私に臨んだ。『国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも、あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが、果たして、真に私のために断食してきたか。あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか』」。
・ユダが何故滅ぼされたのか、それは人々が神の求める正義を行わなかったからだ。断食をするとはそれを悔い改め、新しく生きるためだ。しかしあなたたちは何も変わっていないではないか。なるほど国が滅び、捕囚の憂き目にあって悲しんだかも知れない。しかしあなたたちの生き方は相変わらず、裁きを曲げ、人から貪り、貧しい者を虐げている。70年間断食をして何も変わらないとすれば、それは「神のため」ではなく、「自分のための」断食だったと言わざるを得ないではないかとゼカリヤは問い詰める。
−ゼカリヤ7:7-12a「エルサレムとその周りの町々に人が住み、平穏であり、ネゲブにもシェフェラにも人が住んでいたころ、主が先の預言者たちによって呼びかけられた言葉を知らないのか。そのとき、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。『万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者らを虐げず、互いに災いを心にたくらんではならない』。ところが、彼らは耳を傾けることを拒み、かたくなに背を向け、耳を鈍くして聞こうとせず、心を石のように硬くして、万軍の主がその霊によって、先の預言者たちを通して与えられた律法と言葉を聞こうとしなかった」。

2.礼拝は何のために行うのか

・これは現在の私たちの礼拝にも言える。何十年間も礼拝を守りながら、人格が変えられない人も多い。それは主のためではなく、自分のために礼拝しているからだ。礼拝を捧げるためではなく、生活の飾りとして礼拝しているからだとカール・バルトはかつて人々に語った(カール・バルト説教撰集第6集)。
-人々を満足させる牧師から「キリスト教はあなた方にとって好ましく重要なものである。あなた方は生活の美しい飾りとしてそれを好む。しかし、神の霊とこの世の霊との間には平和はない。神の意志と人間の意志との間の平和を説教し、現在の生と新しい生を穏やかに賢く結び付け、民が築く隙間の多い壁に宗教と言う漆喰を上塗りし、人々を満足させようとする、そのようなことには何の意味もない」。
・神が求められるのは断食ではなく、悔いた心である。それがなければ礼拝を神に捧げることにはならないと詩篇記者は歌う。
-詩篇51:18-19「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」。
・神が何故国を滅ぼし、ご自身の名を置くと言われたエルサレム神殿を破壊されたのか。それを十分に理解しないのであれば、仮に神殿を再建しても何もならないとゼカリヤは言う。
−ゼカリヤ7:12b-14「こうして万軍の主の怒りは激しく燃えた。『私が呼びかけても彼らが聞かなかったように、彼らが呼びかけても、私は聞かない』と万軍の主は言われる。 『私は彼らを、彼らの知らなかったあらゆる国に散らした。その後に、地は荒れ果て、行き来する者もなくなった。彼らは喜びの地を荒廃に帰させた』」。
・今神はあなたたちを赦して下さった。その結果、都にはまた人が集まり、子どもたちの笑い声が響くだろう。それは神の赦しの故だ。しかしその祝福はあなたたちが神の命じられる正義と慈愛を行うであろうという前提のもとにあることを忘れるな。
−ゼカリヤ8:15-17「『そのように、今や私は再びエルサレムとユダの家に幸いをもたらす決意をした。恐れてはならない。あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき、平和をもたらす裁きをせよ。互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしようとするな。これらすべてのことを私は憎む』と主は言われる」。
・しかし人々はまたもや同じ罪を犯す。それ故に再建されたエルサレム神殿は再び崩されるとイエスは預言され、その通りになった。神殿は紀元70年にローマ軍により破壊され、その後再建されることはなく、今日に至る。
-マルコ13:1-2「イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。『先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう』。イエスは言われた。『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』」。
・アメリカの一部の熱狂派キリスト教徒たちは「第三神殿」の建設を夢見ている。アメリカ人の8割は伝統的な教義を信じるキリスト教徒であり、「天地創造」説を全面的、あるいは部分的に信じる者が63〜82%いるのに対し、進化論を支持する者は14〜26%しかいないという(2007年ギャラップ調査)。彼らが宗教右派を形成し、中でもディスペンセイション主義(経綸主義)といわれる人々の動向は不気味である。彼らは終末が接近しており、1948年のイスラエル建国をヨハネ黙示録の預言の成就(散らされたイスラエルの再建)ととらえ、今後は第三エルサレム神殿の建設(現在のイスラム教・岩のドームを壊し,そこに第三神殿を建てていく)を目指しているという。もし彼らが行動に出れば第三次世界大戦の引き金になりかねない。彼らの信仰を小説化した「レフト・ビハインド」がアメリカで650万部も売れている事実は不気味である。(日本ではいのちのことば社から刊行)。
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