すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ゼカリヤ書  >  2013年12月12日祈祷会(ゼカリヤ4章、総督ゼルバベルへの祝福)
1. ゼカリヤの見た第五の幻

・ゼカリヤはバビロン捕囚帰国後の第二神殿設立に尽力した預言者である。彼は戦後の荒廃したエルサレムに立ち、イスラエル再建のため国の象徴である神殿建築を人々に説いた。神殿再建の中心になったのは大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルであった。第3章でゼカリヤはヨシュアの大祭司任職の幻を見るが、第4章では総督ゼルバベルの王への即位を夢見る。ゼカリヤが見た第5の幻は7つの枝を持つ金の燭台と傍らの二本のオリーブの樹だった。
−ゼカリヤ4:1-4「私に語りかけた御使いが戻って来て、私を起こした。私は眠りから揺り起こされた者のようであった。彼は私に『何を見ていたのか』と尋ねたので、私は答えた。『私が見ていたのは、すべてが金でできた燭台で、頭部には容器が置かれていました。その上に七つのともし火皿が付けられており、頭部に置かれている灯火皿には七つの管が付いていました。その傍らに二本のオリーブの木があり、一つは容器の右に、一つは左に立っていました』。私は言葉をついで、私に語りかけた御使いに言った。『主よ、これは何でしょうか』」。
・5節から幻の解き明かしが始まる。油を入れた燭台はゼルバベルに向けられた主の言葉である。オリーブの油は明かりのための灯火として用いられ、同時に戴冠式の塗油(油注ぎ)にも用いられていた。
−ゼカリヤ4:5-6「私に語りかけた御使いは答えて『これが何か分からないのか』と言ったので、私が『主よ、分かりません』と言うと、彼は答えて、私に言った。『これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる』」。
・神の業は「武力によらず、権力によらず、神の霊によって為される」。「武力(ハイル)」は軍事力、経済力などを意味し、「権力(コーアッハ)」は、個人的な力量、才能を意味する。人間的な力によっては神殿を再建することは不可能であり、ただ「主の霊(ルーアッハ)」によってのみ真の神殿は再建されると言われる。そして神の霊はゼルバベルと共にあるゆえに、彼は困難の中でも神殿再建を為すことができると預言される。
−ゼカリヤ4:7-10「大いなる山よ、お前は何者か。ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば、見事、見事と叫びがあがる。また主の言葉が私に臨んだ『ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主が私を、あなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である』」。

2.ゼルバベル即位の預言は成就しなかった

・預言ではゼルバベルが「神殿の親石」を据えると言われる。「親石(ハエヴェン・ハローシャー)」は、工事の最後に建物をしっかりと組み合わせるための石で、要石、頭石とも呼ばれる。ゼルバベルが神殿を完成させるとの幻である。その完成時にゼルバベルに油が注がれる(王に戴冠される)と預言は続く。
−ゼカリヤ4:11-14「私は言葉をついで御使いに尋ねた『燭台の右と左にある、これら二本のオリーブの木は何ですか』。私は重ねて彼に尋ねた『その二本のオリーブの木の枝先は何ですか。それは二本の金の管によって、そこから油を注ぎ出しています』。彼が私に『これが何か分からないのか』と言ったので、私は「主よ、分かりません」と答えると、彼は『これは全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである』と言った」。
・ゼカリヤの預言は成就しなかった。ゼルバベルは神殿再建を前に姿を消す。歴史家はゼルバベルが叛乱容疑で、ペルシャによって処刑されたと推測する。主は預言の中で「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」と言われた。ゼルバベルはダビデ王家の血を引いており、神殿再建が進捗し、独立を期待する民の要望に応えて、イスラエル独立運動に走ったのかもしれない。旧約学者はこのゼルバベルがイザヤ53章の主の僕のモデルではないかと考えている。
−イザヤ53:7-8「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。私の民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」。
・初代教会はメシア(救済者)と望みをかけたイエスが、何故処刑されたのかを理解できなかった。しかし彼らはイザヤ53章に接して、イエスの死がそこに預言されているのを見て、イエスが自分たちの罪のために贖いの死を死なれたと理解した。
−イザヤ53:4-5「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。
・この理解が離散していた弟子たちを集め、教会を形成していく。
-汽撻謄2:24「(イエスは)十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」。
・ゼルバベルは姿を消した。しかし彼はイエスの復活を準備し、やがてイエスの系図の中にその名前を残した。
-マタイ1:12-16「バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」。
・ゼルバベルは姿を消した。しかしゼカリヤの預言「ゼルバベルの手にある選び抜かれた親石を見て喜び祝うべきである」は、イエスの死を通して成就した。このことは私たちにも、「人生は死では終わらず、死は途中経過に過ぎない」ことを知らしめる。
−使徒4:10-11「皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です」。
・復活の希望の前に立つ時、人生の意味は異なってくる。
−八木重吉詩集・春の水「キリストわれによみがえれば/よみがえりにあたいするもの/すべていのちをふきかえしゆくなり/うらぶれはてしわれなりしかど/あたいなきすぎこしかたにはあらじとおもう」
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