すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1. ヨシュアの大祭司職についての反対の動き

・バビロニアから帰国した捕囚民たちは、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを中心に、破壊されたエルサレム神殿の再建をすべく、その基礎石を築いたが、先住民たちの介入によって工事は中断した(エズラ4:23-24)。神殿工事が再開されたのは、その18年後であった。
−エズラ記5:1-2「預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた」。
・しかし、人々の中には大祭司ヨシュアの正統性について疑問を持つ人々がいた。その内容は不明であるが、工事再建にあたって宗主国ペルシャと妥協したとか、先住民たちと契約を結んだとかの噂があったのかもしれない。いずれにせよ、反対者たちはヨシュア指導下の神殿再建に反対した。ゼカリヤの見た第四の幻はこのヨシュアに関するものである。ヨシュアはサタンの告発を受けて、「汚れた衣」を着て、天の法廷に立たされている。
−ゼカリヤ3:1-3「主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンを私に示された。主の御使いはサタンに言った『サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃え差しではないか』。ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた」。
・「火の中から取り出された燃え差し」とは、滅亡から逃れた、あるいは捕囚から逃れたという意味であろうか。捕囚時代か帰国後かに、ヨシュアには大祭司として責められるべき行為があった。それ故、ヨシュアは汚れており、聖なる指導者に相応しくないとの批判があったのであろう。しかしヨシュアなしには神殿再建工事は進まない。そのため、主は彼の罪を赦し、汚れた衣を脱がせ、晴れ着を着るように命じられた。
−ゼカリヤ3:4-5「御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った『彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい』。また、御使いはヨシュアに言った『私はお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい』。また、御使いは言った『この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい』。彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物をかぶせ、晴れ着を着せた。主の御使いは立ち続けていた」。
・人は罪を犯さざるを得ない存在であるが、ある人々は罪を犯した者を決して赦そうとしない。4世紀に起きたドナティスト論争もそうである(詳細:参考資料)。キリスト教はローマ帝国で禁止され、迫害され、棄教する者も出たが、その後改心して司教になった者もいた。それに対して過去に棄教した者の行ったサクラメントは無効であると唱える者たちが出て大きな混乱が起きた。他者を許さない人々は自分が神(裁き主)になる。これはイエスが最も嫌われたことである。
-マタイ7:1-5「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」。

2. ヨシュアの大祭司任職とゼルバベル即位への期待

・主はヨシュアを祝福される。改めてヨシュアに対する大祭司職が、他の祭司たちも同席する中で、認証される。
-ゼカリヤ3:6-8「主の御使いはヨシュアに証言して言った『万軍の主はこう言われる。もしあなたが私の道を歩み、私の務めを守るなら、あなたは私の家を治め、私の庭を守る者となる。私はあなたがここで仕える者らの間に歩むことを許す。大祭司ヨシュアよ、あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。あなたたちはしるしとなるべき人々である。私は今や若枝であるわが僕を来させる』」。
・任職の言葉の中に「私は今や若枝であるわが僕を来させる」とある。メシア預言である。具体的にはヨシュアとともに神殿再建に取り組んだ総督ゼルバベルが王となり、王と大祭司の任命によりユダがペルシャの支配から脱して独立国になることをゼカリヤは夢見たと思われる。
-ゼカリヤ4:9-10「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主が私をあなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である」。
・メシア(油注がれた者)とはイスラエルの支配者の意味である。人々はゼルバベルが王となることを望んだ。しかし彼はやがて支配者ペルシャに逆らう者として処刑されていく。人々がイエスに期待したものもイスラエルの王である。しかしイエスはそれを拒否された故に、人々の失望を買い、殺されていく。イエスがローマの死刑法である十字架で殺されたのは、ローマに対する反逆者としてである。
-マルコ15:31-32「同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った『他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう』。一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった」。
・人々は何故王を求めるのだろうか。競争的な人間社会で勝ち抜くためである。しかし人間の王を求めることは神の支配を拒否することだ。王政は必要悪であることを再認識する必要がある。
-サムエル上8:6-9「裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、私を捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい』」。

*ゼカリヤ3章参考資料:ドナティスト論争(祭司に罪がある時、そのサクラメントは無効なのか)
(小海キリスト教会・古代教会史ノートから)

・ドナティスト論争とは、聖職者の礼典執行資格をめぐる論争である。311年司教フェリクスはカエキリアヌスをカルタゴ司教に任職したが、フェリクスは、かつてディオクレティアヌス帝迫害のとき、聖書、聖なる者を官憲に渡し棄教した者であった。そこでヌミディアの司教たちは、背教者フェリクスの任職を否認し、別にマリヨヌスをカルタゴ司教として選任した。さらに、マリヨヌス死後、ドナトゥスが公認とされ、厳格派を率いてドナトゥス派と呼ばれる。ドナトゥス派は、背教者の行なった礼典は無効であり、自派の教会のみが真の教会であり、ドナトゥス派に改宗する者は再洗礼を受けるべしとした。
・背景にあるのは経済的利害の対立である。カエキリアヌスの支持者はカルタゴとその周辺の総督領に集まっていた。彼らはラテン化された大土地所有者や商人、軍人などであり、イタリアとの貿易で利潤を独占していた。他方、西方のヌミディア、モーリタニアの人々は下層の農民たちであり、彼らの小麦をはじめとする農産物をカルタゴの支配層が安く買って、イタリアに売って巨利を得ていたので、反発があった。しかも、ヌミディア、モーリタニアに住む下層民には従来からキリスト教徒が多く、彼らはローマ帝国の偶像崇拝と戦ってきた。ところが、コンスタンティヌス大帝の改宗によって、カルタゴのローマの支配層たちが急激に改宗して教会に押し寄せてきた。こうした事態に対する反発が、ドナティスト派と一体となった。
・最初にこの分派に神学的な攻撃を加えたのはオプタトゥスである。後にアウグスティヌスが加わった。特に後者は、自分の教区の中に多数のドナトゥス派がおり、説得を試みたが成功しなかった。405年に帝国側が介入しこの分派を攻撃、411年のカルタゴ会議で皇帝派遣の全権大使はドナトゥス派断罪を宣言した。この後この派は弱体化した。彼らは神学的には厳格派である。聖徒の教会は聖でなければならないとし、背教者の執行するサクラメントを無効とした。教会は唯一の聖なる群れであるゆえにドナトゥス派だけが真の教会であり、この派に改宗する者は再洗礼を受けなければならないと主張した。これに対して教会は、サクラメントの執行も教職の任職も、たとえ人格的に問題のある教職によって執行されようとも有効であると宣言した。アウグスティヌスは言う「背教者も教会に復帰し悔い改めて回心するならば、たとえ再び洗礼を施されずとも、前の洗礼の恵みが失われたなどと考えるべきではない」、「洗礼を受けた人が教会の一致から離れても叙階された人が教会の一致から離れようとも、洗礼を施すサクラメント権を失わない」。
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