すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ハガイ書  >  2013年11月14日祈祷会(ハガイ2章、救いとは何なのか)
1. 神殿再建の始まり

・前538年バビロンの捕囚民はエルサレムへの帰還を始め、彼らはすぐにエルサレム神殿再建工事を始めるが、先住者の妨害や経済的困難により再建は頓挫した。18年後の前520年、預言者ハガイが神殿再建のために人々を励まし、工事が始まる。第6の月の24日であった。
-ハガイ1:12-15「シャルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者は皆、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされた時、彼の言葉を通して、彼らの神、主の御声に耳を傾けた。民は主を畏れ敬った・・・主が、ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者すべての霊を奮い立たせられたので、彼らは出て行き、彼らの神、万軍の主の神殿を建てる作業に取りかかった。それは六月二十四日のことであった」。
・神殿再建が始まって1ヶ月、第七の月の21日に、人々は仮庵の祭りを祝うために集まったが、神殿工事現場を見た民衆から失望の声が出る。破壊された神殿はソロモン王が7年の歳月と膨大な財政を注ぎ込んで建立したものだった。それに比べると、今造ろうとしている神殿はあまりにも小規模でまた粗末だった。
−ハガイ2:1-3「七月二十一日に、主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ『ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者に告げなさい。お前たち、残った者のうち誰が、昔の栄光の時のこの神殿を見たか。今、お前たちが見ている様は何か。目に映るのは無に等しいものではないか』」。
・失望する人々をハガイは励ます「総督ゼルバベルよ、大祭司ヨシュアよ、ユダの民よ。勇気を出せ。主が共におられる。必要な財貨と宝物は主が与えて下さる。この神殿の栄光は先の神殿に勝ると主は言われる」と。
−ハガイ2:4-9「今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと主は言われる。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、私はお前たちと共にいると万軍の主は言われる・・・私の霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない・・・私は、間もなくもう一度、天と地を、海と陸地を揺り動かす。諸国の民をことごとく揺り動かし、諸国のすべての民の財宝をもたらし、この神殿を栄光で満たす、と万軍の主は言われる。銀は私のもの、金も私のものと万軍の主は言われる。この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍の主は言われる。この場所に私は平和を与えると万軍の主は言われる」。
・再建工事開始から3ヶ月、神殿の基が置かれる。ハガイは人々に「これまでいくら農作業に励んでも収穫はわずかだった。しかしお前たちが神殿の基を置いたこの日以降、どのように私がお前たちに祝福を与えるかを見よ」との主の言葉を与えて励ます。
−ハガイ2:15-19「今日この日から以後、よく心に留めよ。主の神殿の石を積み重ねる前に、お前たちはどんな状態であったか。人が二十エファの小麦の山に来ても十エファしか得ず、五十バトのぶどう酒をくもうと酒舟に来ても二十バトしか得なかった。私は、お前たちをその手の働きの実もろとも、黒穂病と赤さび病と雹で撃ったが、お前たちのうちだれ一人、私に帰らなかった、と主は言われる。この日以後、よく心に留めよ。この九月二十四日、主の神殿の基が置かれたこの日から、心に留めよ。倉には、まだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブはまだ実を結んでいない。しかし、今日この日から、私は祝福を与える」。

2.救いとは何か

・復興の中心になったのは総督ゼルバベルであった。彼はダビデ王家の血を引き、ハガイは神殿の完成と共にこのゼルバベルを新しい王とするダビで王家の再興を夢見る。当時の支配者ペルシャがクロス王死後不安定化し、各地に叛乱が相次いでいた国際情勢もそれを期待させたのであろう。
-ハガイ2:20-23「同じ月の二十四日、主の言葉が再びハガイに臨んだ。『ユダの総督ゼルバベルに告げよ。私は天と地を揺り動かす。私は国々の王座を倒し、異邦の国々の力を砕く。馬を駆る者もろとも戦車を覆す。馬も、馬を駆る者も、互いに味方の剣にかかって倒れる。その日には、と万軍の主は言われる。わが僕、シェアルティエルの子ゼルバベルよ、私はあなたを迎え入れる、と主は言われる。私はあなたを私の印章とする。私があなたを選んだからだ』と万軍の主は言われる」。
・同時代のゼカリヤも同じ預言をする。ゼルバベルを中心とした独立の機運が高まっていたのである。
-ゼカリヤ4:7-10「大いなる山よ、お前は何者か、ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば、見事、見事と叫びがあがる・・・ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主が私をあなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである」。
・神殿は5年後に完成した。しかしその時にはゼルバベルはいず、彼の名はその後の歴史には現れない。歴史家はゼルバベルが支配者ペルシャによって危険視され(叛乱を疑われ)、処刑されたのではないかと考えている。ハガイの預言は当たらなかった。しかし預言書を編集した後代の人々はそれでもハガイ書を聖書から取り除かなった。ハガイにより語られた「主の言葉」を、人間の判断で削除してはいけないと思ったからだ。救いとは何なのだろうか。国が独立を達成し、自分たちの王を抱くことなのだろうか。ティリッヒは「永遠の今」という説教集のなかで、国家の救いについて考えを改めよと説く。
-ティリッヒ・永遠の今「古代社会では偉大な政治的指導者は救い主と呼ばれました。彼らは国民をそして国内の集団を、悲惨さや隷属状態、そして戦争から解放しました・・・国民は外部からの征服者や国内の弾圧者から解放されたと言えるかもしれません。しかし、その時、国民は癒やされたのでしょうか。救われたのでしょうか。預言者たちは答えています『たとえ少数派でも、その国家の本質と呼ばれるものを象徴するような一つの集団を形成するような人々がいるならば、その国は救われる』と。彼らは打ち負かされるかもしれないが、しかし彼らの精神は国民に有害な悪霊に対して抵抗する一つの力となるであろう」。
・本当の救いは国の独立や繁栄から来るものではない。パックス・ロマーナもパックス・アメリカーナも人々を幸福にしなかった。本当の救いは神から来る。そして神の働きは人間の力が尽きた時から始まる。
-2013.11.10篠崎教会説教から「イエスは刑場に連行されました・・・兵士たちはイエスを十字架につけ、その服を分け合い、通りがかりの人々は頭を振って『十字架から降りて自分を救ってみろ』と罵りました・・・祭司長たちもイエスを嘲笑して罵ります『他人は救ったのに、自分は救えない・・・今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう』。人々の罵りの言葉は同じです『他人は救ったのに自分は救えないのか、神の子なら十字架から降りて自分を救え』。この世においては『自分を救う』ことが人生の最終目標です。自力救済、自己実現、それがこの世の理想です。そこにおいては力の強い者、能力の高い者が勝者となり、そうでないものは敗者として卑しまれます。・・・『神の子なら十字架から降りてみよ』、もしイエスが誘惑に負けて十字架から降りられたら何が起こったでしょうか。人々は感動し、イエスを神の子として拝み、イエスはユダヤの王になったかもしれません。しかし、それだけです。イエスはやがて死なれ、死後は別の王が過酷に支配したでしょう・・・十字架の試練は、私たちの意識転換を求めています。『自分の命を救う』ことが人生の最大目標ではないのです。人生の最大目標は『神に生かされて生きる』、そのことにあるのではないでしょうか」。
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