すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ゼファニヤ書  >  2013年10月31日祈祷会(ゼパニヤ3章、エルサレムの罪と贖い)
1. エルサレムの罪の告発

・ゼパニヤは紀元前640年頃に立てられ、ヨシヤ王時代(前640−609年)に活動した預言者である。ヨシヤ王は8歳で即位し、実権は後見の王族たちが握り、神殿で祭司たちは主なる神に犠牲を捧げながら、同時にアッシリアの天体神やカナンの農業神バアルも拝んでいた。そのようなユダにゼパニヤは裁きを預言する。
−ゼパニヤ3:1-4「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は。この都は神の声を聞かず、戒めを受け入れなかった。主に信頼せず、神に近づこうとしなかった。この都の中で、役人たちはほえたける獅子、裁判官たちは夕暮れの狼である。朝になる前に、食らい尽くして何も残さない。預言者たちは、気まぐれで欺く者、祭司たちは、聖なるものを汚し、律法を破る」。
・人はいつでも強いものを拝む。アッシリアが強い時はアッシリアの神を、バビロニアが強い時はバビロンの神を拝む。強いもの、すなわち人間の神を拝む時、道徳は地に落ちる。役人たちは傲慢になり、裁判官は賄賂で判決を曲げ、祭司も自分たちの利益を追求する。そのようなユダを神は裁かれるとゼパニヤは語る。
−ゼパニヤ3:5「主は、都の中にいまして正しく、決して不正を行われない。朝ごとに裁きを与え、それを光とし、誤りをなさることはない。不正を行う者は恥を知らない」。
・ユダの民は自分たちが滅ぼされることはないと多寡をくくっていた。何故ならば「自分たちは神の選びの民であり、エルサレムは神の住まれる神殿のある聖所ではないか」と思っていたからだ。しかし、神はかつて北イスラエル10部族を滅ぼされたように(前720年)、このたびはエルサレムを滅ぼされるとゼパニヤは預言する。
−ゼパニヤ3:6-8「私は諸国の民を滅ぼした。彼らの城壁の塔は破壊された。私は彼らの街路を荒れるにまかせた。もはや、通り過ぎる者もない。彼らの町々は捨てられ、人影もなく、住む者もない。私は思った『必ず、お前は私を畏れ、戒めを受け入れる。私がどんなに罰しても、その住む所が断たれることはない』。しかし、彼らはますます堕落を重ね、あらゆる悪事を行った。それゆえ、お前たちは私が獲物に向かって立ち上がる日を待つがよい、と主は言われる。なぜなら、私は諸国の民を集め、もろもろの王国を呼び寄せ、彼らの上に、憤りと、激しい怒りを注ぐことを定めたからだ。必ず、地上はくまなく、私の熱情の火に焼き尽くされる」。
・神はエルサレムの悪が限界を超えたゆえにエルサレムを打たれる。エルサレムは前587年バビロニア軍の侵攻により燃え、廃墟となる。哀歌はその時の情景を歌う。
−哀歌1:1-3「なにゆえ、独りで座っているのか、人に溢れていたこの都が・・・奴隷となってしまったのか、国々の姫君であったこの都が。夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き、異国の民の中に座り、憩いは得られず、苦難のはざまに追い詰められてしまった」。

2.エルサレムの贖い

・ゼパニヤは「主の日」の審判預言を行った。それは民を滅ぼすためではなく、救うために為される。必ず「残りの者」が立てられ彼らを通して再建がなされる。ゼパニヤは「主の日の裁き」こそ救済の業であると宣言する。
−ゼパニヤ3:9-13「その後、私は諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える。クシュの川の向こうから私を礼拝する者、かつて私が散らした民が、私のもとに献げ物を携えて来る。その日には、お前はもはや、私に背いて行ったいかなる悪事のゆえにも、辱められることはない。そのとき、私はお前のうちから、勝ち誇る兵士を追い払う。お前は、再びわが聖なる山で、驕り高ぶることはない。私はお前の中に、苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い、彼らを脅かす者はない」。
・このバビロン捕囚はユダの人々の信仰を根底から変え、彼らは苦難の年月の後に聖書の民としてエルサレムに帰還する。ゼパニヤ書14節以降は、捕囚民の帰還とエルサレム再建の預言が、付記として語られる。
−ゼパニヤ3:16-20「その日、人々はエルサレムに向かって言う『シオンよ、恐れるな、力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる』。私は祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ、お前の重い恥となっていた・・・私は足の萎えていた者を救い、追いやられていた者を集め、彼らが恥を受けていたすべての国で、彼らに誉れを与え、その名をあげさせる。その時私はお前たちを連れ戻す。その時私はお前たちを集める。私がお前たちの目の前で、お前たちの繁栄を回復する時、私は地上のすべての民の中で、お前たちに誉れを与え、名をあげさせると主は言われる」。
・しかし聖書の民とされたユダは再び頑なな民となり、それから500年後、エルサレムは再び滅ぼされる。今度はローマ軍の手によってである(紀元70年)。
−マタイ23:37-39「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決して私を見ることがない」。
・以降、ユダヤ人は2000年間ディアスポラの民として繰り返し苦難を経験する。ナチスによる民族殺戮を彼らは「ジェノサイド(虐殺)」や「ショアー(惨事)」ではなく、ユダヤ教の宗教言語である「ホロコースト(焼き尽くす捧げ物)」と表現する。ユダヤ教徒の上に降りかかる災厄は、「神がユダヤ人を悔い改めさせ、救済するための究極の試練である」との宗教的意味がそこにある。しかし、建国して強者になれば今度は弱者であるパレスチナ人を弾圧する。人は迫害や嘆きを通してしか神に出会えないのだろうか。
・人は何故悪を繰り返すのだろうか。ゼパニヤ時代の人々は言った「神は幸いをも災いをも下されない」(1:12)。彼らは「神はこの世を支配しておられない。支配者はアッシリアだ」と思った。現代人も、「神は死んだ」、「この世を支配するのは人だ」とうそぶき、その結果、身に破滅を蓄積している。ゼパニヤが預言した滅亡前のユダの人々と極めて酷似している(3:1-4と対比せよ)ように思える。
―E.アクティマイヤー「我々の社会は契約を守ろうとしない人々によって徐々に土台を崩されている。公共の委託を冷笑的に無視する政府の役人たち、信頼出来る品物を作らず、消費者の払う金に見合う商品を提供しない企業家たち、自分たちの結婚を容易に破棄できると考える夫や妻たち、自分たちの子どもたちを指導する責任をテレビに譲り渡している両親たちによって」。
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