すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ゼファニヤ書  >  2013年10月23日祈祷会(ゼパニヤ2章、諸国民への裁きの告知)
1. 民の悔い改めを求めるゼパニヤ

・ゼパニヤはユダを支配していたアッシリアが衰退し、パレスチナが新しい世界帝国バビロニヤとエジプトのせめぎあいの中に置かれた紀元前640〜630年頃に立てられた預言者である。ユダは100年以上にわたり、アッシリアの植民地とされ、マナセ王(前687-642年)はアッシリアの祭儀を取り入れ、国中に異教礼拝が蔓延し、政治は堕落し、社会には不正がはびこっていた。ゼパニヤは「主の裁きの日」が来ると預言し、社会に警鐘を鳴らした。
−ゼパニヤ1:14-18「主の大いなる日は近づいている・・・聞け、主の日にあがる声を。その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。その日は憤りの日、苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。城壁に囲まれた町、城壁の角の高い塔に向かい、角笛が鳴り、鬨の声があがる日である。私は人々を苦しみに遭わせ、目が見えない者のように歩かせる。彼らが主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は塵のように、はらわたは糞のようにまき散らされる。金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に、地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を、地上に住むすべての者に臨ませられる」。
・ゼパニヤは国の指導者には絶望している(1:8-9)が、民にはまだ救済の可能性を見ている。故に彼は民に呼びかける「主の日が来る前に悔い改めて主を求めよ。主はあなた方を災いから逃れさせて下さるかも知れない」。
−ゼパニヤ2:1-3「共に集まれ、集まれ、恥を知らぬ国よ。判決が出されぬうちに。もみ殻のように、その日は飛び去る。主の燃える怒りがお前たちに臨まぬうちに。主の怒りの日がお前たちに臨まぬうちに。主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた、この地のすべての人々よ。恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に、あるいは、身を守られるであろう」。
・指導者たちが道を誤ると、その災いは民に及ぶ。日本は戦前アジア侵略を行い、英米と戦争になり、その結果、空襲で多くの人々が死に、原爆が投下されて民が苦しんだ。何故指導者の罪を民が引き受けなければいけないのか。聖書はそこに共同責任を見る。指導者たちを選び、政治を委託したのは民であるからだ。シュトットガルト罪責告白(1946年)は、ナチス時代の罪をドイツの教会は「自分たちの罪」として告白する。
-シュトゥットガルト罪責宣言「大きな痛みをもってわれわれは告白する。われわれによって限りない苦難が多くの諸国民や諸国の上にもたらされたことを。われわれはわれわれの教会員たちにたいして,しばしば証ししてきたことを,いま全教会の名において発言する。われわれは確かに長年にわたりナチ的暴力支配の中にその恐るべき表現をとってきた精神に対して,イエス・キリストの御名によって闘ってきた。しかし,われわれはわれわれ自身を告発する。われわれはもっと勇敢に告白しようとはしなかったこと,もっと誠実に祈ろうとはしなかったこと,もっと喜ばしく信じようとはしなかったこと,もっと熱烈に愛しようとはしなかったことを」。

2.諸外国への裁きの預言

・2章4節以下にユダを取り巻く諸国への裁きが預言される。ユダの裁きは当然に近隣諸国に及ぶ。パレスチナ諸国の運命は一蓮托生なのだ。最初にユダと対立を続けていたペリシテ諸国の滅亡が預言される。
−ゼパニヤ2:4-6「まことに、ガザは捨てられ、アシュケロンは荒れ果てる。アシュドドは真昼にその住民を追われ、エクロンは根こそぎにされる。災いだ、海沿いの地に住む者、クレタの民は。主の言葉がお前たちに向けられている。カナンよ、ペリシテ人の地よ、私はお前を滅ぼし、住む者がないようにする。海沿いの地は牧場となり、羊飼いの井戸が掘られ、羊の囲いが造られる」。
・次にモアブとアンモンの滅びが預言される。彼らはユダがバビロニヤに占領された時、占領軍と共に兄弟国ユダに侵略した。その罪の値を払えと宣告される(この部分はゼパニヤの預言ではなく、捕囚後のものであろう)。
−ゼパニヤ2:8-11「私はモアブの嘲りとアンモン人の罵りを聞いた。彼らはわが民を嘲り、自分の領土について驕り高ぶった。『それゆえ、とイスラエルの神、万軍の主は言われる。私は生きている。モアブは必ずソドムのように、アンモン人はゴモラのようになり、とこしえに荒れ果て、雑草の茂る所、塩のくぼ地となる。わが民の残りの者が彼らの地を奪い取り、国の生き残りの者がそれを受け継ぐ』。このことが彼らに起こるのは、彼らの傲慢のゆえであり、万軍の主の民を嘲り、驕り高ぶったからだ。主は彼らに対して恐るべき者として臨まれ、地上のすべての神々を滅ぼされる。島々に住む諸国の民も、それぞれの地で主にひれ伏す」。
・最後に為されるのがアッシリアの滅亡預言だ。アッシリアの都ニネベは当時世界一の都市であったが、前612年バビロニヤに滅ぼされ、廃墟となっていく。「私だけだ、私の他には誰もいない」と驕った国が消滅していく。
-ゼパニヤ2:12-15「クシュ人よ、お前たちもまた、私の剣によって刺し殺される。主はまたその手を北に向かって伸ばし、アッシリアを滅ぼし、ニネベを荒れ地とし、荒れ野のように干上がらせられる。そこには、あらゆる獣が、それぞれ群れをなして伏す。ふくろうと山あらしは柱頭に宿り、その声は窓にこだまする。杉の板ははがされ、荒廃は敷居に及ぶ。これが、かつてにぎやかであった都だろうか。かつて、人々は安らかに住み、心の中で『私だけだ。私のほかにだれもいない』と言っていた。どうして、都は荒れ果て、獣の伏す所となってしまったのか。ここを通り過ぎる者は皆、驚きのあまり、口笛を吹き、手を横に振る」。
・ゼパニヤの世界審判の預言は単に罪ある世界を滅ぼすというものではない。それは救うための破壊だ。主の日は救いの日であり、滅びの日ではない。そしてユダは生き残ってきた。
-ゼパニヤ3:12-13「私はお前の中に苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い、彼らを脅かす者はない」。

ゼパニヤ2章参考資料:「ユダヤ人が生き残りえた理由とは何か」(アウトサイダー・ダイアリーから)

・ニューヨークの街を歩いていると、河童の皿のような帽子をかぶり、酷暑でも黒ずくめの服装で、豪快にひげを蓄えた異形の人物とすれちがうことがある。ユダヤ人である。ニューヨークには本当にユダヤ人が多い。ニューヨークに住む人の4人の1人がユダヤ人だというが、それも頷ける。ユダヤ人ほど日本人にとって謎に包まれた人々はいないかもしれない。日頃持っている疑問をちょっとでも解消することができたらと思い、今日は、Jewish Museum(ユダヤ博物館)を訪れた。同ミュージアムは、ニューヨークの高級住宅街、メトロポリタン美術館から程近いアッパー・イーストにある。
・ミュージアムにつくと、折よく館内ツアーが始まる時刻という。私も妻と一緒に参加することにした。ガイダンスの参加者は10名弱。ガイダンスの冒頭、私は説明員から声を掛けられた。「どこから来たのですか」。参加者を見回すと、それと見て明らかに異教徒とわかるのは、私たち夫婦2人だけである。「日本から来たが、もう1年間こちらに暮らしている」。そう私が答えると、説明員は満足したように参加者を見渡しながら、こう切り出した。「彼らのように、故郷の地を離れ、異国の服を着て、異国の言葉を理解し、異国の中で暮らす人びと。これこそがユダヤ人の歴史だったのです」。何とも違和感のある話ではあったが、ガイダンスの初めから話の腰を折るのも何である。私たちは「離散の民」の身分に甘んじることにした。
・「4000年の歴史をもつユダヤ人は何故生き残りえたのか」。それがガイダンスのテーマであった。常設展の名称は、“Culture and Continuity”(文化と継承)。ガイダンスは、ユダヤのシンボル「メノラ」と呼ばれる7本のロウソクを立てる燭台と、イスラエルの国旗にもあしらわれている「ダビデの星」の説明から始まった。エジプトでの奴隷時代、モーセが中心となった脱出と解放、古代イスラエル王国の繁栄、バビロニヤの侵攻、ローマ帝国による迫害、そして2500年に及ぶ大離散(ディアスポラ)。度重なる民族の存続の危機を救ったのが、「イスラエルの民」としてのアイデンティティであった。そのアイデンティティは、数多の迫害と危難を乗り越え、3つの方法によって継承されたという。それは、コーシャー(清浄なる食事の習慣)、トーラー(モーゼ五書による教え)、そしてサーカムシジョン(割礼)である。
・そうして、ユダヤ人はアイデンティティを保持しつつ世界各地に散らばって行った。ヨーロッパ、ロシア、アフリカ、中東、インド、さらには唐代の中国にも至っているという。説明員は興味深いことに、その過程をadaptation(適応)と表現した。「ユダヤ人は各地にadaptした」。彼女はこの表現を何回繰り返したかわからない。「ユダヤ人は各地に適応した。ところが、ユダヤ人はしばしば各地で迫害の対象となった。よって、なおさらユダヤ人は適応を旨とした」。彼女によれば、「適応」こそ、ユダヤ人が現代まで生き残りえた理由である。
・「それは適応なのだろうか」。私は彼女の表現に違和感を覚えた。私の疑問はこうであった「真の意味で、アイデンティティを保ちつつ、適応することは可能なのだろうか」。彼らはどこまで「譲歩」し、どこから先を「譲れない」ものとしたのだろう。ユダヤ人の隣人たちは、そんなユダヤ人を彼らの社会に適応した人びととみなしていたのだろうか。日本語で「適応」といった場合、自他の間にコンフリクトの起こりようのない状態、限りなく同化に近い状態を指すのではないだろうか。もちろん私は、ユダヤ人がクリスチャンに同化しなかった歴史を責めているのではない。そのことがユダヤ人に対する迫害の正当化事由になると言っているのでもない。「適応とはどういう状態なのか」。その問いのもつ深遠さについて考え込んでしまっただけである。
・そう考えれば、アメリカ社会を、多人種が一に溶け込む「人種のルツボ」と評し、あるいは文化多元主義の見地から「サラダボール」と言い換えたのは、いずれもユダヤ人であった。いずれも、「アイデンティティ」と「適応」の間の緊張関係に、一つの答えを与える試みであったとも言える。とするならば、この問いはユダヤ人の歴史に限らない普遍性をもつ。結局、私は日本人のことを考えていたのかもしれない。我々は日本人としてのアイデンティティを保持しつつ、どこまでアメリカに、“グローバル・スタンダード”に「適応」することが可能なのだろうか。私を「離散の民」に擬した説明員は、実は日本人の心の迷いを見抜いていたのかもしれない。
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