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トップ  >  エステル記  >  2013年10月23日祈祷会(エステル記9:20−32、プリムは運命の祭り)
1.プリム祭の起源

・「エステル記」9章後半はプリム祭を始めた契機と経緯を記している。プリム祭はハマンが企てたユダヤ人抹殺計画を覆した勝利を記念する日として、エステルとモルデカイにより定められた。「エステル記」9章後半はその経緯を伝えているのだが、あえて言うならプリム祭制定の由来は9章後半だけではなく、「エステル記」全体で語られていると考えるべきだろう。ユダヤ人が苦難を乗り越えた日を歴史的教訓として、心に刻み、世代を越え忘れることなく、後世へ伝えるためプリム祭は定められ継承されたのである。
−エステル9:20−23「モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいるユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、毎年アダルの月の十四日と十五日を祝うように定めた。ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。ユダヤ人は既に実行し始めていたことでもあり、またモルデカイが書き送ってきたこのことを受け入れたた。」
・「モルデカイはこれらの出来事を書き記し」て、ユダヤ人が絶滅の危機に遭遇し、その危機を乗り越えた、その事実を記念して後世に伝えるべきであると考え行動を始めた。ペルシャには王の保護下の速達郵便制度があったので、モルデカイは郵便を使い「近い所や、遠い所に住むユダヤ人すべて」に祭りの由来と目的、日時を文書に記して送り、毎年アダルの月の十四日と十五日の両日を祝日とするよう法令で定めた。ユダヤ人は「敵をなくして安らぎ得た」日を忘れず宴会を開いてその日を祝い、貧しい人に施しをし、贈り物を交換するよう指導した。同様のことを各地のユダヤ人らはすでに始めていたので、モルデカイの提案は、たやすく彼らに受け入れられた。
−エステル9:24−26a「すなわち『全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼし去ろうとした。ところが、このことが王に知らされると、王は文書をもって、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らとともに木につるされるよう命じられた。それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる』」
・「プリム祭」の名の由来となった、ユダヤ人の敵ハマンが、プルと呼ぶサイコロを投げ、ユダヤ人抹殺の日を定めた経緯が、ここでまた繰り返し語られている。ハマンが何度もプルを投げてユダヤ人抹殺の日を定めたことを忘れないように、プルを複数形のプリムにして、プリム祭と呼ばれるようになった。
−エステル9:26b−28「それゆえ、その書簡の全文に従って、またこの件に関して彼らが見たこと、彼らに起こったことに基づいて、ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りはユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。」
・ユダヤ民族を絶滅させようとした、ハマンの脅しは逆にユダヤ人を団結させるきっかけとなった。プリム祭はペルシャ全国で、さらに他の離散の地でもユダヤ人の住む所どこでも祝われることになった。プリム祭はユダヤ人の中から子々孫々に至るまで継承され、絶やしてはならない重要な祭りとなった。
−エステル9:29−32「さて、王妃となったアビハイルの娘エステルは、ユダヤ人モルデカイと共にプリムに関するこの第二の書簡をすべての権限をもってしたため、確認した。クセルクセスの王国百二十七州にいるすべてのユダヤ人に、平和と真実の言葉をもって文書が送られ、こうしてユダヤ人モルデカイが王妃エステルと定めたとおり、また彼らが自分たちとその子孫のために断食と嘆きに関して定めたとおり、プリムの祭りの日付が定められた。エステルの言葉によってプリムに関する事項が定められ、文書に記録された。」
・プリム祭についての最初の書簡に続き、王妃エステルと宰相モルデカイの二人が共同して、二人の名によって、二人の権威をもって、プリム祭に関する事項を定めた詳細な第二の書簡が、王国百ニ十七州に住むユダヤ人すべてに送られた。このような努力により、プリム祭はユダヤ人の間に定着、今も受け継がれているのである。

2.現代のプリム祭

・プリム祭は今もユダヤ人の間で受け継がれ盛大に祝われている。現代のユダヤ人にとってもプリム祭は大きな意義をもっている。「エステル記」9章にあるように、プリム祭は、ユダヤ暦のアダルの月の(太陽歴なら2月から3月にあたる)14日と15日に祝われている。14日の夕方、ユダヤ人は住居地のシナゴ−グか、でなければ、地域のコミュニテイセンタ−などに集合し祝会が始まる。
・祝会が始まると、まず朗読者が立って、独特の節回しで「エステル記(メギラ−)」を読まれる。メギラ−は巻物を意味するが、ユダヤ人の間でただメギラ−と言えば「エステル記」をさすのである。3章に入るとハマンの名が出て来る、すると会衆はおとなもこどもも、机を叩き、足を踏みならし、おもちゃのガラガラなどを鳴らしたりするので、会場は騒然となる。ハマンの名が出ない間は静かにしておいて、ハマンの名が出ると大騒ぎするのである。そのハマンの名は「エステル記」にはなんと54回も出てくるのである。ハマンの名が出るのを待ち、その度に彼らは騒ぎたてるのである。
・プリム祭におとなもこどもも食べる菓子に、「オズネ−ハマン(ハマンの耳)」と呼ばれる焼き菓子がある。小麦粉、砂糖、マ−ガリンで生地を作り、その真ん中に、けしの実のジャム、(他のジャムやチョコレ−トを入れることもある。)を包んで焼いた三角形の焼き菓子で、もちろんユダヤ人を抹殺しようとしたハマンの名を忘れないために食べるのである。そして彼らは貧しい人への施しをし、家族や友人の間で贈り物の交換をする。
・プリム祭が教えるのは、ユダヤ人迫害は遠く古代から存在したという教訓である。ハマンやペルシャ帝国が滅んだ後も、ギリシャ、ロ−マ、イスラムの迫害、ロシアの虐殺、ヒトラ−のホロコ−スト、イスラエル独立時のアラブの包囲など、数えあげれば切りがないほど、ユダヤ人への迫害は多かったのである。彼らがその度に絶望的状況を耐えてこられたのは、見えざる神の手による救いの恩寵だったのである。彼らはその恩寵を忘れないため毎年プリム祭を行うのである。
・詩編22:31−32「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来るべき世に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう。」
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